18:三流舞台は終わり
何故、先輩がここに? とか
何が起こっているんですか? とか
彼に聞きたいことは沢山浮かんだけれど、どれもこれも、口から音として出ることはなかった。
出せる訳がない。
全身から殺気を発して、底の見えない冷たさを浮かべる彼に、どうして話しかけられようか。
今ならわかる、目の前の女性たちの視線なんて生易しかった。
私はまだ死にたくない。
だからこそ、例の金髪の人は……はっきり言って頭が悪いんじゃないかと思った。
あるいは、ただの命知らずなのか。
「ギル!」
彼の姿を見た第一声は、嬉しさと甘えを全面に押し出したような一言だった。
先ほどよりも意図的に高くしているであろう音が、ひどく耳にまとわりつく。
そうして、たった数歩の距離をあえて駆け寄ると、豊満な体を押し付けるように先輩に抱きついた。
彼女以外の女性たちが顔を引き攣らせたのは見えていないのだろうか。
一方、呼ばれた方のクラルヴァイン先輩は、彼女を視界に入れることもなく
「何をしているんだ?」
と、同じ質問を繰り返す。
…けれど、同じ言葉・同じ内容なのに、一度目とは全く違うものに聞こえた。
いつも聞いている先輩の声とは全然違う。
低く、背筋に響くその音には、何の感情も乗っていない。
先ほどの彼女たちのように“怒り”さえも乗っていないソレは、ただただ言葉通りの意味しかもたない。
人間がこんな無機質な音を出せるなんて知らなかった。
痺れた手足が、違う意味で震えているのは多分気のせいではない。
これが名門家の人間、選ばれた世界の住人。肩書きだけでなく、彼はちゃんとソレを背負える人間だったってことだろう。
「…久々に逢えたのに、つれない返事ね」
そんな恐怖で動けない私たちとは正反対に、金髪の彼女の声だけは明るく妙に色めいている。
…この人、本当に頭大丈夫なのか? 周囲で今にも泣きそうな女性たちが、ちょっと哀れにすらなってきた。
足元で煌々と揺らめく魔術陣は、まだ健在だと言うのに。
蜘蛛のような動きで先輩の胸に指を這わせると、その動きに続くように頬をすり寄せる。彼女の表情も“うっとり”と言う表現がぴったりだ。
周囲の状況さえ違えば、恋人同士の1コマなのかもしれない。私には、犬猫の縄張り主張行為よりも下品に見えるけど(むしろ犬さん猫さんごめんなさい)
私と青い顔の女性たちが見守る中、先輩は動かないまま彼女の好きにさせている。
それを是と思ったのか、彼女は手を背中まで回すと、ぴったりと体を合わせて満足そうに笑った。
まるで、私たちに見せ付けるかのように。今はそんなこと、誰も気にも留めていないと言うのに。
数分、もしかしたら数十秒だったかもしれない。
おもむろに、先輩の手が彼女の後頭部へと伸びた。
抱きしめてくれると思ったんだろう。金髪の女性は、満足気に目を閉じて
「………あがっ!?」
次の瞬間には、蛙の鳴くような声をあげて、床に転がっていた。
否、どうやら叩きつけられたらしい。口元を押さえて激しくむせこんでいる。
私には何が起こったのか全く見えなかったけど、先輩がそうしたのだけは間違いない。
彼が右手に掴み、半分引きずり出しているのは、彼女のブラウスの襟だから。
先輩は彼女を一瞥すると、何事もなかったかのように手を放した。
ほんの一瞬だけ、『汚物を触った』と言わんばかりに眉をひそめて。
「……っほ、がふ…って、待ってよギル!」
唾液混じりの荒い息を吐きながら、なおも先輩にすがろうとする彼女に、周囲の女性たちの視線も蔑みの色が濃くなってきた。
呼ばれた先輩はそちらを見ることもなく、顔には何の感情も浮かんでいない。
「んで…どうして? あたしはまだ、貴方と別れたくないのに……ッ!!」
別れって…この人、もしかして先輩の恋人だったのか!?
外見的には似合いそうだと思ったけど、まさか本当にそうだなんて。そりゃ、私は目障りだろうね。
とにかく、先輩がどう答えるのか視線を向けるけど…変わらず、彼は冷たい無表情のままだ。
と言うか、元(?)恋人を床に叩きつけたりして良かったのか?
「…イライザ」
短い沈黙を経て呼ばれた名前に、金髪の…改めイライザさんと言うらしい女性は、パッと顔を上げる。
すがるような、媚びた笑みを浮かべて。
「お前は、俺の何を知っている? 『クラルヴァイン』でなく、俺のことを。何か答えられるか?」
「そ、そんなの、いくらでも………っ」
イライザさんの顔が輝いた。
それはそれは嬉しそうに、任せてといわんばかりに……けれど、その表情は見る見るうちに固まっていく。口角を吊り上げた、作り笑い顔のまま。
「好きな食べ物でも得意な教科でも、何でもいい。何か答えられるか?」
「え、あ……そ、れは………」
すっかり汚れた化粧顔が、傍から見てもわかるぐらいに血の気を失っていく。
嘘でしょう? あんなに恋人っぽい行動をしておいて……
「答えられないだろう? クラルヴァイン家の先々代の経歴は言えるくせにな」
「………ッ」
「俺は答えられるぞ。お前が欲しがった洋服の仕様も、指名した仕立て人も、取り寄せた装飾品のサイズも…ちゃんと覚えて、贈ったからな」
イライザさんの顔からは完全に笑みが消えた。
彼女を見ないまま、一歩二歩と先輩が離れていく。
「それが別れた理由では不服か? 第一、もう半年以上前のことだ」
淡々と告げる彼の声からは、やっぱり何の感情も受け取れない。
ただ言葉の通りの『報告』だけ。
コツと、妙に大きな靴音の……ちょうど、歩みが魔術陣の範囲から出た頃、
本当に少しだけ、彼が彼女を振り返った。
「それとも、俺に“それ”を使わせたいのか?」
今度こそ死刑宣告に近い一言に、イライザさん以外の女性たちが悲鳴を上げた。
やがて、他の四人が彼女を抱き起こしながら、実技室から駆け逃げて行く。
広い広い部屋には、私と彼の二人だけが残ってしまった。
「………」
どう声をかけたものか。
手も足も石のように固まってしまって、立ち上がることも出来ないし。
さっきまであんなに怖かったのに、色んなことが一度に起こりすぎて、頭の中はやけに冷静だ。
「メリル」
やがて、座り込む私の前まで来た先輩が、いつも通りに私を呼ぶ。
いつも通りに。聞き慣れてきた、先輩の優しい声で。
「……先輩」
視線を上げれば、額が当たるほど近づけられた、嫌味なほどの美形顔。
眉を下げて、形だけは鋭い金眼に心配の色を浮かべて
あの無機質な先輩はいない。
「………好きな食べ物言えってずるくないですか? 先輩、いつだって日替わりランチを完食してるじゃないですか」
逆に避けてる食べ物を見てないです、と続けたら
「…それが正解だ」
ぽすん、と。座り込んだままの姿勢で、先輩に抱き締められた。
「………無事で、良かった」
「全然無事じゃありませんけど」
耳元に降った低い声が、あんまりにも優しかったから。
一気に力が抜けて、押し付けられた硬い胸でちょっと泣いてしまったのは内緒だ。
すみません、また書きたい所までまとまりませんでした。
セコム先輩が手荒な扱いしてますが、虐殺魔術よりはマシかと。
メリルの分の返しも含めて(次回わかります)
次回にはちょっと恋愛的な波乱?回になりそうです。