15:緩みすぎ注意
それからの数日間は何事もなく、平穏に過ぎていった。
いや、正確には何事もなくはない。何せ、毎日きっちり先輩と昼食をとっていた。
平穏とか言っちゃいけないだろう私。うう、慣れって怖い…
初めこそ好奇の視線を向けてきたクラスメイトたちも、いつの間にか同様に慣れてしまったんだろう。
先輩の姿を見かければ誰も彼も当たり前のように私を呼ぶ。先輩イコール私じゃないと思うよ! 私以外に用事かもしれないよ!? 他の用件なんてまだ一度もないけどさ!
「どうかしたのか、メリル」
「……いえ、別に」
今日も今日とて、当たり前のように呼び出されて、当たり前のように隣りに並んで歩いている。
先輩も先輩だ。毎日律儀に迎えに来なくてもいいのに。
先日など、直前の授業が『演習』と呼ばれる集団戦闘訓練だったらしく、制服は汚れまくり髪も乱れまくりなのに、そのままの姿で走ってきたのだ。肩で息をしながら。
そこまでして私とお昼食べたいか? 全く理解できない。
…まあ、さすがにその日は優しく接したけどさ。
「売店の方が良かったか?」
「食堂でいいですよ。すみません、本当に何でもないんです」
歩みを止めて振り返る先輩に、努めて普通に返す。
今日も片手は彼に引かれている。けれど、乱暴に扱われたのは一度だけ…あの放課後の一件の前だけだ。
やろうと思えばすぐに振りほどけるような繋がりのまま、私と彼は並んでいる。
そう、並んでいるのだ。彼と私の歩幅の違いなど、身をもって知らされているのに。
言うまでもなく、先輩が私の短い足に合わせて歩いてくれている。
繋ぐ手にも害はなく、所作には気遣いを感じる。日をおうごとに私への態度が優しくなっていく彼を邪険に扱うことも出来ず、そんな日々を続けて今に至る。
“逃げなきゃいけない、関わっちゃいけない”
その言葉が、ただの建前になっていることなんて、私が一番よくわかっている。
……私は慣れ過ぎてしまっていた。
警戒すべき部分さえも見過ごして、この生ぬるい日々に流されてしまっていたんだ。
だからこそ、疑問に思わなきゃいけないことに気付けなかったんだと思う。
「メリルさん、伝言預かってるよ。『先輩が放課後に待ってる』ってさ。場所は第二実技室」
昼食を終えて教室に戻ると、開口一番に伝えられたのは意外な言葉だった。
「何それ? わざわざ放課後に?」
「あたしもそれだけしか聞いてないからなあ」
それほど交流のないクラスメイトは、伝言だけ告げると自分の席へ戻って行った。
その背に軽く感謝の言葉を送り、私も自分の席へと戻る。
さて、一体何の用事だろうか?
(さっきまで一緒に居たんだから、食堂で言ってくれればいいのに)
先輩と過ごす放課後と言うと…初対面の押し倒されたアレと、聞きたくもなかった恋愛話の一件だ。
どちらも正直、いい思い出とは言い難い。
(最近油断してたしね…そろそろ“本題”に入るのかしら)
いつかにモニカに聞かされたことを思い出して、少しだけ背筋が寒くなる。
ずいぶん慣れてしまったけれど、彼が貴族で名門家の跡取りであることは何も変わっていないのだから。
(…モニカにも相談してから行こう)
怯える心を励ましつつ、次の授業の教材を開く。
………この時点で間違っていると言うことに、気付きもせずに。
私も、クラスメイトも慣れ過ぎてしまっていたのだ。
呼び出した相手が彼だと信じて疑わなかった。
伝言には『先輩』とあっただけで『クラルヴァイン先輩』とは名言していなかったのに。
* * *
「第二実技室…ああ、ここだわ」
お昼から数時間が経ち、約束の時間がやってきた。
実技室は名前の通り、魔術の実技・実践を行うための部屋のことで、教室棟とはまた違う場所にある。
改めて、この学院の広さと規模のデカさを思い知らされるわ…さすが国内最高の学院。よく入れたわよね、私。
とにかく、主に危険をともなう魔術授業に使われる場所なので、まだ二年生の私には全く縁がない。三年になったら、もう少し危ない魔術も授業に加わってくるのだけど。
「失礼します。先輩、いらっしゃいますか?」
教室よりも頑丈そうな扉が、重々しい音を立てて開く。
内部は他の場所よりも気持ち装飾が少なめで、天井がかなり高い。ただ、壁などは触ってわかるぐらいにしっかりとしており、安全面を配慮された部屋であることが伝わってくる。
もちろん、各種防護用の結界も張られているようだ。よく見ると、淡く発光する魔術陣があちこちに書かれている。…深い意味はないけれど、防音性も高そうだわ。
「…先輩?」
まあ部屋の観察は後でもいいか。今日は呼び出されてわざわざ来ているんだ。
扉を閉めて見回してみるけれど…先輩の姿はない。遮るものの何もない部屋の中は、ただガランと静まり返っている。
「もしかして、部屋間違えたかしら」
中心辺りまで進んでみても、誰の姿もない。はるか上の天窓から、オレンジの混じりだした光が差し込んでいるだけだ。…おお、ちょっと綺麗かも。じゃなくて。
縁のない場所なので間違えてしまった可能性は否定できない。一応プレートの名前は確認したんだけど、呼称や略称が違う部屋なのかもしれない。
とにかく、いないものはいないんだ。今日は帰るとする………
「……本当に来てるし」
振り返って見た扉が、開いた。
けれど、同時に聞こえてきたものはクラルヴァイン先輩の声ではなく。
高く、耳につくそれは、どう聞いても女性の声だ。
「…ど、どなたですか?」
「それはこっちの台詞なんだけどね」
再び開いたそこから現れたのは、桃色の混じった金髪の女性だった。
ゆるく波打つそれは腰までの長さがあり、それだけでも大変華やかなのに、その縁取られた中身も抜群だ。
出るところとひっこむところが女性像として理想的な…こう、思わず貧相な自分の胸元を隠したくなるぐらいに整っている。
顔立ちはよくわからないけれど、お化粧がすごく上手いと言うのは一目瞭然な感じだ。私では逆立ちしても真似できない。
「え、え…?」
けれど、驚いたのはそれだけじゃなかった。
彼女の後ろから一人、また一人と女性が次々に、合わせて五人も現れたのだ。
皆さん前述の彼女とは髪の色こそ違えど、制服の着こなしやお化粧、爪の手入れに至るまで、女性らしいことに余念のない感じの方々だ。
私もモニカもあんまり積極的に着飾ったりしないので、正に縁遠い…いや、真逆の世界に生きている方々だろう。
「ちょっと、呆けられても困るんだけど」
「あ、す、すみません」
ややキツめにかけられた声に、思わず頭を下げる。入って来た時から雰囲気はしていたけど、多分間違いないだろう。
全員私よりも上級生……つまり『先輩』だ。
(………ああ、そう言うことか)
なんてこと。本人たちを目の前にして、ようやく間違いに気付くなんて。
彼の、クラルヴァイン先輩の呼び出しではなかったんだ。
自分の失敗を悔やむ間もなく、見知らぬ部屋の重々しい扉は、鈍い音を立てて閉じられた。