01:別世界で生きててくれよ
『魔術』と呼ばれる魔道技術を至上とする王国・ロスヴィータ。
この国において、唯一の国立の学び舎であり、その道の最高峰の名門校がある。
才能のある者ならば出自を問わず、15歳から入学が可能。
全寮制で、在学期間はどの私立学校よりも長い6年間。
それがここ、『ロスヴィータ王立魔術学院』
運よく才能を持って生まれた私、メリル・フォースターは、運よくこの名門校に入学でき、今年で二年目になる。
魔術師として特筆するような部分はないものの、クラスの友達とも寮の相方とも問題なく、日々平穏に暮らしている。
……暮らしていたのだ。
そう、平凡で何もない毎日を楽しく生きていたのだ。
(はい現実逃避終了)
目を開けば、相変わらず夕日に染まった教室の一角。至近距離には美形の先輩がいらっしゃる。一体何がどうしてこうなってしまったのか。
とりあえず、私が投げかけた『知らない』と言う事実に、先輩は整った形の眉をひそめている。
気分を害したとしても仕方ない。知らないものは知らないのだから。
「…俺は六年のギルベルト・クラルヴァインだ。それなりに有名なつもりだったが、こんなものか」
「ああ、クラルヴァイン先輩。名前だけ聞いたことあります、少し」
「そ、そうか」
眉間の皺を一本増やして、深く息をはく。先輩、この距離でため息つかれるとすごくくすぐったいですマジやめて。
ともあれ、最上たる六年のクラルヴァイン先輩と言えば、確かに下級生でも聞く名前だ。
クラルヴァイン家は確か、子爵位を賜る貴族でありながら、魔術の名門としてもその名を連ねている。
加えて先輩本人のこの整いまくった容姿とくれば、有名じゃない方がおかしいだろう。
…私のように、なーんの興味も関心もない庶民がいるのも事実だけど。
「それで、名門家の先輩が一平民の私に何の用でしょう?」
自分で言うのも何だが、私は本ッ当に平凡だ。
普通の家庭で生まれ普通の娘として育てられ、学院に入れたものの成績は真ん中やや下め。
容姿も先輩とは違い、礼賛の言葉には縁遠い。あと貧乳。
どう考えても先輩とは住む世界が違う。
こんな事態になっていることが、まず何かの間違いとしか思えない。
「この体勢から連想するようなことは、そう多くはないのではないか?」
「寝技の練習ですか?」
「斬新な返しだな」
「あとはすっごい目が悪くて、誰かと間違えたとか?」
「あいにくと、視力が下がった覚えはないな。メリル・フォースター」
残念ながら、呼ばれているのは私の名前だ。
同姓同名の美少女がいると言う噂も聞いたことはない。
「…名前で呼んでも構わないか?」
「…っ!」
左手の拘束が解かれて、離れた流れのままに指先が頬にふれる。
「くすぐったいです」
「じきに慣れる」
ゆっくりと輪郭を滑りおりて、顎の辺りで一度止まる。軽く上を向かされれば、もう影の重なるような位置にご尊顔が。
「………」
「………」
視界を埋める男性の姿は、びっくりするほどきれいだ。
赤い日差しが濃い影を落として、より一層整った輪郭を際立たせる。
このまま絵画として切り抜いて飾ってしまえるぐらいに。
……けど、なぜかときめきは沸いてこない。
(……瞳に、熱がない)
この上なく近くにいるのに、『観察されている』とでも言うのだろうか。
ますます美しい色を魅せる金眼は、何の感情も映さずにこちらを見ている。
「…珍しい反応をするな」
「そうですか?」
「俺がこの距離までせまって、無表情を通す女は初めてだ」
「貴方こそ、色事を構えるような表情ではありませんよ」
瞬間、初めて先輩の顔に表情らしい表情が浮かんだ。
きょとん、と。音がしそうなぐらいの、ちょっと間の抜けた驚きが。
「…そんなこと、初めて言われたな」
「いつもあの無表情で女性にせまってたんですか。割とひどいですね」
「そんなに酷い顔をしていたのか?」
すっと、予想外にもアッサリ拘束が外された。
大きな影がどくと、開けた視界に鮮やかな夕日がしみる。空にはいつの間にか紫が混じり始め、もう間もなく太陽も地平線に沈んでしまうだろう。
思ったよりも時間が経っていたみたいだ。そろそろ学院を出ないといけないのだけど…
「あの、先輩?」
人の世界を遮断していた男は、何やら少し落ち込んでいるご様子だ。
その立ち姿は、私よりも頭ひとつ以上背が高い。腰から下の長さは、もはや嫌味の領域だわ。
「先輩、用事がないのなら私は帰ってもよろしいですか?」
だから口調に少々トゲがはえてしまうのも、ご容赦頂きたい。
家柄がよくて顔がよくて、おまけに体型まで完璧とか。どこまで天にえこひいきされているのだか。
「ああ、悪い。用件を伝えていなかったな」
「…出来れば押し倒す前に伝えて頂きたかったですよ」
先ほどまで初見の女を押し倒していたと言うのに。いとも平然と。全く、何事もなかったかのように立っているのが、また腹立たしい。
……私はこの17年の生の中で、あんなことをされたのは初めてだったのに。
「それで、結局何のご用事だったんですか?」
色んなことが重なって、胸がムカムカする。
私はとにかく早く帰りたかった。住む世界が違いすぎる彼と、これ以上同じ部屋にいたくなかった。
……今になって思う。
あの時、用件を聞かずにそのまま逃げてしまっていたら、結末は変わっていたのだろうかと。
「では、単刀直入に。
メリル・フォースター、俺の子供を生んでくれ」
「……………は?」