13:進歩と呼ぶか失敗と呼ぶか
今日もさんさんと輝く太陽に、目が痛いぐらいに美しい青空。
若者たちの一日の始まりを祝福するような良い天気だと言うのに、なぜか霧のような湿っぽい空気をまとった女子院生が一人。
「…敵影なし。メリル、出て来ていいわよ」
「毎朝ごめんね、モニカ」
先導して外を確認していたモニカに頭を下げて、重い空気を引き摺りながら扉をくぐるのは他でもない私である。
周囲の院生たちの視線が相変わらず痛いが、もう慣れましたとも。
朝から溜め息をつく私の頭を、温かい手が撫でてくれる。
ああ、我が心の友! 貴女がいるから今日も登校する気になれるよ!
「顔色良くないわね。昨日はちゃんと眠れたのよね?」
「……眠れはしたんだけどね」
純粋に体調を心配してくれる彼女に申し訳なくて、思わず視線を逸らしてしまう。
確かに眠れはしたのだ。何せ、そう言う手段をとったのだから。
昨日の嵐のような放課後の一件のせいで、とてもじゃないが自然睡眠が無理だった私は、早々に別の手段に逃げた。
通称『眠りの術』と呼ばれる初歩魔術…それをモニカに使って貰ったのだ。
本当は自然に出来ることを魔術に頼りたくなかったけど、昨日の場合は仕方ないと言うことにしておいて欲しい。
消費魔力は少ないし、二年に進級出来た人間なら誰でも使える簡単な術のひとつなので、使って貰ったこと自体に負担はない。問題は、この魔術の特性だ。
元々この『眠りの術』は、夜泣きが酷い赤ちゃんを慰めるための子守唄から発祥したもので、効果もそれほど強くないし、もちろん後遺症なども残らない。
が、ひとつだけ特性がある。それが『良い夢が見られる』と言うものだ。
普通に聞いたら利点以外の何ものでもないはずなんだけど……
「………あんなのが良い夢だなんて、絶対認めないわ」
「メ、メリル?」
珍しく起きた後もハッキリと覚えていたその夢には……出てきたのだ、ヤツが。
よりにもよって、逃げたかった原因のクラルヴァイン先輩が!!
それも、二人で仲良く寝転がって、キャッキャウフフとじゃれあうような内容!!
有り得ないだろ、おかしいだろ、何をどう解釈したらヤツが出て来る夢が『良い夢』なんだよ!!
「しかも私も嬉しそうに笑ってるとかさ、絶対ないから意味わかんないもうやだ自分が信じられない……」
「メリル…小声でブツブツ言うのやめてくんない? さすがにちょっと不気味だわ」
若干引き気味のモニカに謝罪しつつ、また深く息を吐く。
逃げるために使った魔術の中にまで進入してくるなんて、本当にどこまで厄介なんだ。
(…もう、関わりたくないのに)
私の名前を呼ぶ声を。あの金眼が、柔らかく細められる微笑みを。
触れた手の大きさも温かさも、夢の中で再現出来るぐらい鮮明に覚えていた。
「青くなったり赤くなったり、朝から忙しいわねアンタ」
「好きでやってないわよ」
そして、思い出す度に反応するこの顔にもうんざりだ。自分が嫌いになりそう。
「……体質が欲しいだけのくせに」
「…そうだといいわね」
悔しくて、なんだか情けなくて。モニカが返してくれた苦笑は、あえて聞こえないふりをした。
* * *
やがて、無事学院に到着してから数時間。
教室階の離れた二年と六年では接点も何もなく、平穏にここまでの授業を受けることが出来たのだが…
(…あと五分か)
教卓の上の時計を確認して、自然と手に力が入るのがわかった。
まもなく午前の授業は終了。ここ二日続いた、魔の昼食の時間がやってくる。
今までなら昼休憩は一日の楽しみだったはずなのに、何がどうしてこうなってしまったのだか。
憂う私など構わず教師の声はまとめに入り、『ではここまで』と言う締めくくりと同時に、鐘の音が響き渡った。
(さて、どうするか)
教師の退室すら待たずに駆け出して行くクラスメイトを見送りつつ、ちらっとモニカに合図をする。
彼女も考えは同じなのか、視線が合うと何とも言えない表情で『どうする?』と返してくれる。
昼は食堂が定番だけど、今日は売店の方へ買いに行くのもアリかもしれない。方向が違うので、先輩が食堂方面にいれば出くわすこともないだろう。
よし、と気合を入れて席を立つと、同時に扉の外が騒がしくなるのが聞こえた。
………嫌な予感しかしない。
「あの、フォースターさん…廊下で先輩が呼んでるよ?」
やがて、赤い顔をしたクラスの女子が扉を開けると、すぐ後ろに青銀の髪の元凶男の姿が見えた。
うな垂れる私を助けられる人間など、このクラスにはいない………
「悪い、少し遅くなった」
「どこが遅いのかわかりませんし、そもそも待ってもいませんが」
六年生の教室は校舎の最上階だ。そもそも私の教室とは棟すら違うのだが、鐘が鳴ってから何分で移動できるのが彼の普通なんだろうか。…とりあえず、触れないでおこう。
私が(嫌々ながら)教室から出て来ると、彼は嬉しそうに笑いながら迎えてくれる。
サラサラの青銀の髪も、私を映す細められた金眼も、今日も嫌味なほどに綺麗だわこの無駄美形め。
先輩だけ見れば学年の違う恋人同士の甘いひと時のようだが、私の眉間に皺が寄りまくっている時点で察して欲しい切実に。
「俺はメリルに会いたかった。昼食にしよう」
「確定ですか、拒否権はないんですか」
「嫌なのか?」
思わず低い声で反抗すると、スッと大きな手が伸ばされた。
頬を撫で、髪を梳いて…その流れるような動作の間には、半歩分距離が詰められている。
「…嫌なのか?」
「せ、先輩、近いです!!」
また半歩、背後は引き開きの扉なので、私は下がれない。
空いていたもう片方の手が、腰の辺りを滑るように撫でていく。
こ、この変態男、どこ触って…っ!!
「先輩、ちょっと!?」
「俺はずっと昼に会えるのを待ってたのに、駄目なのか、メリル」
「ご一緒します! させて頂きますから離れなさい!!」
屈辱を噛み締めつつ、仕方なく頷いて返す。頷くしかない。
衆人環視の廊下で、昨日みたいなことをされるのは絶対にごめんだ。
途端に触れていた手は離されて、代わりに手を繋いできやがった。
「メリルはやっぱり可愛いな」
「脅迫しておいて、何が可愛いですかッ!」
「大声出すなり攻撃魔術を使うなりすればいいだろう? 第一、力は入れていないから振りほどけるぞ?」
ほら、と嬉しそうな声で持ち上げられた手が視界に入る。
「………」
指が絡んではいるが、確かに力は入っていない。
昨日話していた時と同じ、私がほどこうと思えば、すぐに離れられるささやかな絡まりだ。
「嫌だ、離せって言いながら、メリルはほどかないでくれるから」
とても、可愛いと。
持ち上げた手を引き寄せて、今度は小さく口付ける。
「ッッッッッッッッ!!!!??」
「今日の日替わりは何だったか…何を食べる? メリル」
そして、何事もなかったかのように私の手を引いて、食堂への道を歩き出す。
力いっぱい引き寄せるのではなく、指を絡ませただけのささやかな繋がりで。
(ああ、もうッ!!)
体じゅうの温度を集めたような頬の熱さに苛立ちつつ、結局私は彼の手を振りほどけないまま、二年の廊下を後にした。