SIDE:03
※ギルベルト側の話です
彼女たちが頭を抱えている時刻より少し前のこと。
徒歩二分の距離をおいた男子寮の食堂では、院生たち…とりわけ、最上学年生たちが言葉を失っていた。
ある者はどう声をかけるべきか思考を巡らせ、ある者はついにネジが外れたかと諦めの表情。
視線の先には一人の男。今はうつむいて座っているために見えないが、顔立ちがきれいなことで有名な、ここまで共に学んで来た一人である。
……問題は、彼がその手に『有り得ないもの』を持っているのだ。
「……ギル、とりあえずソレ置いて来たら?」
長年同室で過ごしてきた相方、同六年のエリオット・ガードナーの一言に、ギルベルト・クラルヴァインはようやく顔を上げた。
自分の腕の中にある『ソレ』と呼ばれたものを見直して、緩慢な動きで首をかしげる。
「…なんで俺は食堂に枕を持ってきているんだ?」
「それはこっちが聞きたいよ」
そう、食堂に“枕”。食事をとるべき場所に、どう考えても必要ない寝具である。
彼の様子では、先程までソレに“顔を埋めていた”ことも覚えていないだろう。
寝ぼけていた雰囲気もないので、無意識の行動だったと思われるが…頭の中どうなってんだよ、と誰もがツッコミたかったのは言うまでもない。
疑問符を浮かべつつも、何事もなかったかのように席を立ち、長い脚で歩いて行く。その足取りがフラつくこともなく、視線もちゃんと前を向いている。
…手に持っている枕は余計浮いて見えるが。
結局、それから彼が戻って来るまでの数分間、食堂内は何とも言えない微妙な空気が流れていた。
「…で、何があったのギル。何か心配ごと?」
「心配? 何の話だ?」
やはり何事もなかったように戻って来たギルベルトに、向かいの席へ手招きしながらエリオットが尋ねる。周囲が盗み聞き体勢になってしまうのは、まあ状況的に仕方ないだろう。いきなり枕だったのだし。
「特に心配ごとはないが…」
「じゃあ良いことかな? 無意識で枕持って来るぐらいには、気になることがあったんだろう?」
相方とは逆の、やや垂れ目がちな赤茶色の瞳が穏やかに細められる。
どう見ても優しげな微笑だが、こういう顔をしたエリオットは、実は納得いくまで離してくれない厳しい人物でもある。
彼は彼で、伊達に天然男の相方を務めてはいない。…もっとも、彼が追求体勢になる時は、今日のようにギルベルトの奇行が原因なのが大半だが。
(俺は何かしたか?)
友人いわく『エリオット母さんのお説教モード』な相方に、また首をかしげる。
確かに、食堂に枕を持って来ていたのは想定外だったが…
(心配ごとは本当に思い浮かばないし。良いこと…?)
形の良い眉をひそめて、今日一日を振り返ってみる。
頭に残っていることと言えば…
「あ」
思い出そうとして、考えるまでもないことに気付いた。
今日一番良かったことなんて、別の会話をしている先ほどでさえも、ずっと頭をチラついているじゃないか。
濃い青色の髪と、怖い顔を“作っている”大きめの緑眼。
自分の肩よりも低い位置から、必死に抵抗してくる少女の姿。
「なるほど、良いことで正解みたいだね。顔がニヤけてるよ、ギル」
苦笑のこもった指摘を受ければ、確かに口角が上がっていることに気付く。が、特に直す気も起こらない。本当にとても良いことだったのだから。
…ああ、なるほど。これが理由なら、自分が枕なぞを持って来ていたのもわかる気がする。
「抱き心地が、とても良かったんだ」
「……は?」
惚けるように告げられた言葉に、今度はエリオット以下食堂の院生たちが目を点にする。
抱き心地と言うと、先ほどの枕のことか? まさかの枕萌え?
「華奢なのは見てわかっていたから、もっと骨っぽいと思っていた。実際触れれば柔らかいし温かかった。それに、腕にすっぽりとおさまって、とても可愛かった」
「華奢…ああ、枕じゃないんだね」
続けるギルベルトは、普段の無表情からは想像できないほど穏やかに笑っている。
『なんだ、のろけ話かよ』と気付いた周囲は、続々と盗み聞きを中断していく。
一方、相方の珍しい表情を見たエリオットは、好奇心の色を強めながら更に続きを促した。
「新しい恋人ができたの?」
「まだ恋人じゃない。俺は結婚したいぐらいに好みだが」
「……珍しい」
目を閉じて、おそらく彼女を思い浮かべているであろう相方は、とても嘘をついているようには見えない。そもそも、ギルベルトは嘘をつくのが上手くないのだ。エリオットに対しては特に。
本当に彼女を気に入っているとみていいだろう。
「それに、とても良い匂いがしたんだ。洗髪剤と石鹸の。女ってのは、香水臭い生き物だと思っていた」
「それはギルに寄って来た人達が特殊なんだと思うよ」
揃って思うところがあるのか、顔を見合わせて苦笑する。
ひどい時などは、寮に戻って来たギルベルトを即風呂に放り込んだぐらいだ。清潔感のある香りの女性なら、同室の住人としても大変有難い。
「上手くいくといいね」
「有難う。頑張るから応援してくれ」
社交辞令のような言葉に、返されるのはにっこりと音のつきそうな笑顔。
区切りとばかりに席を立ち、おかずを補充しに行く相方を、エリオットはただ呆然と見送ってしまった。
女関係が華やかな割に、誰と居ても大抵無表情を貫いた彼が、色恋ごとに“頑張る”だって?
頬をつねってみても、夢じゃないのは確かだ。学院生活六年目にして、ようやく本物の春が訪れたのだろうか。
(…これは、本当に上手くいってくれるといいな)
うっかり枕を持ってきてしまうぐらいには、ご執心の彼女。気にならない訳ではないが、彼と幸せになってくれるなら、どんな相手でも祝ってあげよう。
デュークに続いて二人目の協力者(?)を迎えた彼の夜は、緩やかに、穏やかに更けていった。
寮の食事は基本バイキング制。
新キャラエリオット・ガードナーは番外編初登場の子です。
デュークがツッコミ属性でエリオットはおかん属性。主要キャラが勝手するので、苦労人ばっかりの六年生