10:じゃれてみた
世の中本当にままならない。きっと彼に会いたいと思う人は沢山いるだろうに。
何故、どうして、心から会いたくないと願っている私のところに縁があるのか!
「メリル?」
半歩も離れていない距離、私の目線にかがんだ彼が、こてんと首をかしげる。男の貴方がそんな動作したってちっとも可愛くないんだからね!
「ど、どうして先輩がここにいるんでしょう…」
「俺が売店を利用するのはおかしいか?」
訝しむ私に視線で示されるのは売店…つまり、学年を問わない共用施設だ。
ですよねー言われるまでもないですよねー!
(何故教室集合にしなかった私…!!)
うな垂れてみても時すでに遅し。学院に安全な場所などなかったと再確認してしまったわ。
「俺の用件は売店だが、メリルは何をしていたんだ?」
「わ、私も飲み物を買いに来ただけです。もう帰ります失礼しますね先輩さようなら!」
一息で言い切って、全力で回れ右をする。とにかく、これ以上関わるのはごめんだ。早く逃げ…
「……誰が、誰に惚れるって?」
「ひぃっ!?」
…ようとしたはずだったのに。
がっしりとした腕に絡めとられて、歩んだはずの足が空を泳いでいた。背中にあたる広い胸板と、耳元には甘い吐息。これって後ろから抱き上げられてる!?
「メリル」
「せ、先輩離して…おろして下さい!」
「話すまでは、離さない」
言葉通りに動いた唇が、そのまま耳たぶに触れる。
「ちょっと!? 何してるんですか!」
「何も?」
髪の重なるサラサラとした音が、妙に艶めかしく響く。耳から輪郭をなぞってうなじへ、身じろぐ度に彼の吐息が触れる。
な、なんだこれ、凄いくすぐったい!!
「や、やめ…っ! 本当に人を呼びますよ!?」
「いいじゃないか、ぜひ呼んでくれ。この状況を他者に見せ付けるのは好都合だ」
「………ッッ!!」
人目も憚らず、女を抱きしめる男。どう見えるかって?
……口にしたくもないわよ、そんなもん!!
「抵抗したいならするといい。ただの痴話喧嘩だと説明しきる自信はあるぞ?」
「この変態! 色情魔!!」
「…別にお前の凹凸の少ない体に欲情はしていないが」
悪かったわね凹凸の少ない幼児体型で!! そんな女をどうこうするって言ってる貴方は、やっぱり変態じゃないかちくしょー! 卒業までには成長してやるばーかばーか!!
「……話してくれればすぐに離す。何をしていたんだ、メリル?」
さっきの言葉が刺さったことに気付いてくれたのだろうか。少しだけ優しくなった口調で、抱きしめたままの先輩が顔を覗きこませる。
眉を下げた、穏やかな微笑みを浮かべて。
「貴方には、関係のない話です」
「口説いている女が惚れるだ何だと口にしていて、見過ごせると思うか?」
額と額が触れ合うような至近距離で、いかにも悲しいと言う声色だ。
普通の女性ならば、これだけで落ちてしまうのかもしれない。
「……貴方が私を構うのは“家のため”でしょう? 何の感情もないくせに」
「………」
だから私は、あえて何の感情も込めずに返す。私の場合は普通の女性と状況が違う。
どんなに優しい声をかけてくれても、悲しそうに見つめられても、そこにあるのは家のため、クラルヴァインのための努力だ。
…ほだされる訳にはいかない。
たとえ黙った先輩が一層体をすり寄せて、その綺麗な顔を私の首筋にうずめても。
その動作が甘えてくる愛玩動物のようで、『ちょっと可哀相かも』とか良心が痛んでも。
「……って、だからくすぐったいんですってば!! 本気で離して下さい!!」
「話してくれるか?」
「距離が近い!! 何ですか、その捨て犬の目!! 泣きたいのはこっちですよ!! ああもう、ツッコミ追いつかない!!」
誰か、このでっかい犬を押し退けられる力を! もしくは私にもう少しだけ身長を!
……なんて願ってみても都合のいいことは起こる訳もなく、抱くと言うより完全にしがみ付き体勢の先輩は、体をすり寄せたまま離れる気配はない。
漫才のようなやり取りを続けること数分、結局私が折れて離して貰った時には、一歩も動いていないのに息があがってしまっていた。