第三話 三度目の衝撃(春野天使作)
深町早苗先生は、大学を卒業して直ぐにここ、緑高校の臨時教師になったはず。ということは、今、二十二か二十三才ってことだ。ここの在校生だったのは、えっと……四年前か五年前。割と最近だ。そん時、俺は中一か小六。緑高校は同じ市内だし、もし緑高校の生徒が転落死してたなら、新聞かニュースで話題になったはずだ。う~ん、俺の記憶にはそんなもん残ってないし。あの噂が本当だったとしても、突き落とされた生徒は死ななかったんだよな。
「おーい! 洸!」
俺が少ない脳味噌をフル活動させて、必死に考えをめぐらせていると、突然馬鹿でかい声が聞こえ現実に引き戻された。
「……何だよ?」
「お前、どこ行くんだ?」
「何処って、着替えに行くんだよ。次は体育だろ」
数学の授業なんて全く頭に入ってなかったけど、確かさっき終業のベルが鳴ってたはずだ。俺はぼんやりとした頭で、席を立ったとこだった。
「はぁ? 何、言ってんの? 今日の授業は終了したんだぜ。体育は午前中に終わってんだろ?」
「え……?」
ようやく我にかえった俺は、座ったまま俺を見上げてにやついてる藤倉に気付く。
「あ、そっか……」
「大丈夫かよ? 顔色悪ぃぜ。そんなに早苗ちゃんのこと気になる?」
「別に」
気持ちとは裏腹に、俺はポーカーフェイスを装いながら、鞄を掴んで教室を出ていく。気にしてなんかいないさ。ちょっと考え事をしていただけだ。深町、深町、深町なんて、ただの臨時教師の先生だし……そ、俺とはただの教師と生徒っていうだけで……。
ゴンッ!
突然激しい音とともに、目から火花が散った。
「イテーッ!」
思わず鼻を押さえる。まわりからクスクス笑う女子達の声がした。今日二度目の衝撃。鼻血、鼻血は出てないな? そのとたん、今朝の電車での出来事が鮮明に蘇ってきた。深町の差し出したハンカチ。深町の笑顔。深町の声。俺の頭中が深町でいっぱいになる。
深町はクラスの女子どもとは違う! そこいらの女子高生とも全然違う! 教師だろうが生徒だろうが、そんなことはどうでも良い! いじめっ子を突き落としたって? そんなのどうってことないだろ。だいたい悪いのは向こうだ。深町は深町なんだ! 深町は俺の初恋の人なんだ!
俺の中で何かがふっきれた。そう思ったとたん、俺は教室を飛び出し走り出していた。
『職員室に行って、他の先生どもの前で、深町に告ってやる!』
俺にとっては命がけの行為を頭に描きながら、職員室に突進して行く。今の俺には怖いものなんてない。深町のためなら何だって出来る。俺は深町を一生守って生きていくんだ! 熱すぎる思いに燃えながら廊下を曲がり、目の前に職員室が迫って来た時だ。
ガラガラガラッ! と扉が開いて、突然深町が職員室から出てきた。
『な、な、な、何ー!?』
予定が狂った! って言うか、深町の姿を目にした途端、俺の燃えたぎる熱い思いが急になえてしまった。効果音で表現するなら、目一杯膨らんでいたいた風船がしぼんでいくような、まさに、ふぁふぁふぁふぁふぁ~ って感じ。俺はとっさに身を隠す。無理だ。授業中でさえ、まともに深町の目さえみれなかったのに……。
深町と向かい合って告白するなんて、あまりに無謀過ぎる。今だって、顔が茹でダコみたいに赤くなって、心臓が爆発しそうだってのに。
「お先に失礼します」
そんな俺の気持ちも知らず、深町は深々と職員室に向かって一礼すると、軽やかな足取りで廊下を歩いて行く。次第に俺から離れて行く深町先生……。
いいのか? このままで? 自分に問いかけてみる。深町は臨時教師。来年にはここにはいないかもしれない。初恋の人に告白出来ないまま、一生会えなくなってしまうかも。俺は一生、後悔を引きずって生きていくことになる。振られても良い。俺はもっと、もっと先生のことが知りたい!
反射的に足が動き出す。気がついたら、俺は深町の小さな背中を追っていた。学校を出て、駅への道を歩いて、深町との距離を一定に保ちながら、彼女の後についていく。後で冷静に考えてみると、これは、かなりやばい行動だった。ストーカーすれすれ……。いや、ハッキリ言って、ストーカーだ。
けど、その時の俺には、冷静に考えている余裕なんかなかった。ただただ、深町の側にいたい、深町のことを知りたい、という思いだけだった。同じ電車の隣りの車輌に乗り込んで、ドアの側に立つ。深町が降りたら、俺も直ぐに降りるつもりだ。しばらく、ぼんやりと電車に揺られながら、俺はある事実に気がついた。
『深町はどこに行くんだろう?』
今朝、学校行くときは、同じ駅から乗り込んだはず。真っ直ぐ家に帰るなら、反対方向の電車に乗らなきゃならないんだけど、電車は逆向きに進んでいる。帰りにどっか寄るのかな? 誰かと待ち合わせとか? もしかして、もしかして……デート! 考えてみりゃ、深町はあんなに可愛いんだ。彼氏の一人や二人いたって、ちっともおかしくない。っていうか、いない方がおかしいというか。
告白前から、どんどんネガティブ思考が頭をもたげてくる。俺が大きくため息をついた時、電車がある駅に到着した。何気に、ホームに目をやると、そこに深町の姿があった。彼女は、俺が着いてきていることなど気づかず、急ぎ足でホームを歩いて行く。俺も慌てて、深町の後を追った。
見知らぬ駅の見知らぬ町。俺はただひたすら、深町の後についていく。一体ここはどこなんだろう?
しばらく歩いて行くと、どこからか幼い子供たちのはしゃいだ声や笑い声が聞こえてきた。見ると、通りの道筋にこぢんまりとした保育園が姿を現した。
「えっ?」
俺が保育園に気を取られていると、深町がスッとその保育園の中に入って行った。彼女の笑顔は、いつも以上に柔らかくなっていた。深町は立ち止まり、遊具で遊んでいる園児達を見回している。と、一人の二、三才くらいの女の子が、滑り台を滑り降りるなり、満面の笑みを浮かべて深町に駆け寄って行った。深町もそれに気づき、大きく両手を広げる。
誰だよあの子は? まさか、まさかな……いくらなんでも、そんな訳はないだろ。必死に自分に言い聞かせながらも、俺の心は不安でいっぱいになる。そんな不安をよそに、女の子は甲高い声をあげて、深町にしがみついた。
「ママー!」
ガーンッ! 頭をぶん殴られたような衝撃が俺を襲う。今日、三度目の衝撃に痛みはなかった。鼻血もない。けど、この衝撃は、前の二回なんか比べ物にならないくらい、強烈に俺を打ちのめした。