第一話 1(哀願)
本田貞蔵はさっきから、姪っ子の吉田翼がやけに絡みついてきて、ものをねだるのに、辟易しつつも少し嬉しかった。だが、彼には巨大な理性があったので、そんなことで彼女の言いなりということもなかった。しかし、若いものからある種のエキスを貰うことは、創作活動において、大切だと思っていた。
「ねえ。テイちゃん。お願いしますう。あたし、バイク壊しちゃったんだから、代わりのお願い」
「でもなあ。やっぱりバイクはやめた方がいいんじゃないのか。お前、まだ大学生だろう」
「欲しいの。バイクが」
「何で、バイクにこだわるんだよ。意味わかんないよ。あんなの。だって、怪我するだろうに」
「それがスリルなんじゃないの。それに若い頃は怪我の一つや二つした方がいいんだって」
「誰が言ったんだよ。そんな名言風なやつ」
「わかんない。でも、欲しい!欲しいっ!」
翼はここが頑張りどころだと思ったに違いない。確かに、これまで数多く誘惑に抗しきれない自分がいたのであるが、しかも、「テイちゃん」なんて言ってくるところが可愛らしい。自分でもその可愛らしさに気づいている、そして、それを武器に使っているに違いあるまい。まるで、愛玩犬のように潤んだ瞳で見つめてくる。翼は、ブリジット・バルドーという昔の外国の女優に似ている。加賀まりこが昔、和製ブリジット・バルドーと呼ばれていたはずであるが、確かに近いところがある。こんなに土地が離れ、純日本人なのにどうして似てくるのか。それほど、人間の生活というもの、営みというものは、根底的には変わらないということなのであろう。
「おじさんって小説家なんでしょ」「うん。一応、世間ではそういうことになっているね」「でも、おじさんの小説って、本屋で見かけたこと一回もないよ」「うん。だって売れないもん。どの出版社も怖くて出せないんだって」「え?でも、どうしてこんなにお金持ちなの」「それほどでもないけど。ほら。僕は、小説きっかけで、大学教授になって、講演会や、テレビ出演が物凄く儲かるのよ。だから、代表作以外、誰も知らないでしょ」「代表作って何だっけ」貞蔵は顎で、本棚のある部分を示す。そこには「板部岡江雪斎」という分厚い本があった。それは、禍々しいというのか、あるいは明るいというのか、よくわからない模様で装丁されていた。装丁家の木村宗吾も、「俺もねえ。あの装丁だけはよくわからないんだよ」と言っていた。ちなみに、この本の帯と解説者は、文芸評論家の、百岡広八であったが、彼も「あの帯の文言と解説は、信じられないほどの出来栄えだった」と酒場でテキーラを飲みながら言っていた。




