1.内戦の終わり
宿敵と決着をつけるため、フレスは軍を率いて戦場に向かっていた。
黒い雲は風に流されて東へ追いやられ、煌々と陽光が大地へ照り付けていた。
敵は城から出て、平地でフレスたちを待っている。市街地を荒らされることを嫌ったのだろう。
収穫が終わった後に放置された麦畑が遠くに見える。それを行軍によって巻き起こる砂煙で覆い隠そうとしながら、彼らは進んでいた。
大きな喧騒が聞こえてきている。向かう先では、すでに戦いが始まっているようだ。
フレスは後ろから近付いてきた部下へ目を向けた。その部下は、少し焦った様子で口を開く。
「軍師殿、あの様子ではすでにザメル様が敵にぶつかっています。このままでは後れを取りますよ」
「ああ、心配ない」
フレスはそう答えながら、軽く笑いかけた。たった今から最終決戦なので、部下たちには高揚と緊張がある。それを少しでも緩和したかったからだ。
この行く先に敵の大将が待ち受けていることは確実であった。その軍勢もフレスたちよりもずっと多い。二倍近い数がいるはずだった。
先行して状況を確認してくれる者がいれば、もっと正確に数を知れただろう。ましてや、空を飛べる者が味方にもいた。彼らが偵察や斥候に出ることができていれば、もっと確実に戦況を知ることができるのに。
それができなかったのは、適性のあるものがいないからだ。部下たちの多くは、敵を見つければ使命を忘れて突撃をかけてしまい、そのまま戦死してしまう。実際にそうなった者が何人もあり、フレスは部下たちに偵察を任せることをほとんどあきらめていた。特に、生まれついて翼を持っている部下たちについては。
「しかし、この先にはロンシャロンがいます。もうここから全速力で突撃したほうがいいのでは?」
焦りを感じているのか、部下はそう言ってせっついた。
敵軍の大将であるロンシャロンは、フレスたちが倒すべき宿敵である。この地に重税を課し、民衆を苦しめた圧政の象徴だった。彼を殺すためにこの戦いに参加した者も数多い。この部下もその一人である。
フレスとしては、部下の提案に承諾はできなかった。すでに戦い方は決まっていたからだ。むしろ急ぐよりも、遅れて戦いにいくほうが都合がいいとさえ感じている。
「敵はおそらく、西側から入ったザメル様の軍に食いついている。急いでいくより、遅れていったほうがいい。そのほうが確実に敵の後ろをとれる」
と、フレスは部下に答えた。部下はこの答えをうまく理解していないのか、納得した顔を見せずに、首を傾げる。
もう一言、フレスは付け加えて説明した。
「これもすべて作戦の内だ。戦いには十分に間に合う」
「むう、軍師殿がそうおっしゃるなら」
部下はそうこたえて、彼の少し後ろに控える。
呼ばれた通り、フレスは軍師だった。一軍を預かる立場にある。
ここまでやってきてもなお、彼は自分が名軍師であるとは露ほども思えない。なんとかだましだましやってきただけだと考えている。
フレスとしては自分より有能な者があらわれればいいと本気で考えていた。しかし『軍師になりたい』とか『参謀をやらせろ』と手を上げる者はおらず、味方の兵士は大半が突撃部隊を希望する者ばかり。
そのような中でフレスは敵に勝つため、あるいは軍を維持するためにない知恵を絞ってきたのだ。
ほどなく、彼の目にも戦時の激しい砂煙が飛び込んできた。フレスたちは敵から見えにくいように大きく迂回して森を回り込むように進軍してきた。
視界を隠していた森が終わった途端、激しい戦いの状況が見えたのだ。
先行した味方の軍勢はわずかに三百名。これにあたっている敵の数は正確にわからないが、五千名はくだらないだろう。
敵もフレスたちの気配に気づいて、慌てて軍を二つに分けようとしている。
それでも、間に合ってはいなかった。敵のほとんどはフレスたちに背中を向けていた。
「おおっ、敵軍の背中が見えています! これを狙っていたのですね。軍師殿の策は完璧でした!」
先ほどの部下が大喜びではしゃいだ声を上げた。森を迂回してきたぶんの疲労はあるだろうが、ものともしない。
「よし、突撃」
「いくぞ、突撃!」
フレスの声に続き、部下が右腕を天に突き上げ、彼に代わって大きな声を張り上げた。
放たれた矢のように、周りの兵士たちが雄たけびを上げ、敵軍に向かっていった。筋力と武力で全てを解決しそうな、屈強な者たちが突進していく。まともに応戦の準備もできていない敵軍は、あっけなく食い散らされていく。
フレスが率いてきた軍は、二千名。士気旺盛な彼らは飢えた猛獣のごとく、敵軍を蹂躙した。
「いきましょう! ロンシャロンも、これで最後です」
大声を張り上げていた部下も、身長ほどもあるような大きな剣を鞘から引き抜きながら、フレスに笑いかけてきた。女性のはずだが、これから行う戦闘が楽しみで仕方ないという獰猛な愉悦が見えている。
積年の恨みと怒りを今こそ解き放つのだ。この部下も、今この瞬間のために長い戦いをくぐってきた。
フレス自身は突撃の最前線にいくわけにはいかないが、彼女の覚悟を受け取って、力強く頷いた。するとその部下はまるで野獣のような奇声を上げ、剣を構えて突撃していった。
彼女はフレスの護衛役だが、この時ばかりはフレスも彼女を呼び戻さない。
戦いは、三十分ほどで終わったようだ。フレスが馬の上で戦況を見ているうちに、たちまちロンシャロン軍は敗走した。
二千三百の兵士で五千名の敵軍を打ち破ったのだから驚異的といえるが、フレスは自分の手柄だとは思っていない。先ほど突撃した部下たちの屈強さと士気の高さが勝利の要因だった。
兵士たちの練度というよりも、士気が違いすぎている。ロンシャロンはそれほど人々から憎しみを受けていたのだ。
この戦いの結果に、軍師フレスの策はほとんど貢献がなかったと彼自身は信じていた。
ロンシャロン軍が敗走していくのが見えるが、味方の総大将であるザメルはこれに追撃を行っている。
逃げている兵へ攻撃を仕掛ければ、ほとんど一方的に叩きのめすことができる。敵兵とはいえ、死傷者が増えることは歓迎したいことではなかった。とはいえ敵の首領であるロンシャロンを捕らえなければ、戦いは終わらないという考えもわからないではない。
いずれにせよ、フレスはこの様子を見て自分も追撃命令を出した。
「追撃せよ! 追撃だ!」
先ほど声を上げてくれた部下はまだ戻ってきていないので、フレスは自分で声を張り上げた。実際にはそうするまでもなく、ほとんどの味方は逃げていく敵兵を追いかけている。
フレスの乗る馬は駿馬だった。味方に乗馬のできる者が少ないこともあり、手に入れた馬の中では五本の指に入る。馬は戦場を風のように駆け抜け、たちどころに潰走するロンシャロン軍に迫った。
部下たちが矢を射かけ、剣を振るい、槍を突き出し、ロンシャロン軍の兵士たちを叩き潰していく様が見える。
その先には、ロンシャロン本人と思われる豪華な鎧をまとった長身の男が、馬にまたがって必死に逃げている様子があった。これに迫るのは、額に荒縄のような太い布を巻いた、筋骨隆々とした巨漢である。巨漢はまとっていたはずの鎧をいつの間にか脱ぎ去って、ほとんど全裸、どうにか下着と脚絆だけをひっかけたような状態のまま、丸太のような両足を振ってロンシャロンにすがった。
これをみた味方の兵士たちは武器を振り上げて雄たけびを上げる。歓喜と興奮の絶叫だった。
「おお、大将の一騎打ち!」
「ザメル様、やっちまってください!」
「ザメル様!」
彼らの言う通り、ロンシャロンに迫っている裸体の巨漢こそが、フレスも含めた全軍の首領であるザメルだった。ロンシャロンはなんとか彼から逃げようと槍を振り回したが、所詮は貴族の武術。戦場と実戦で鍛え上げられたザメルにかなうわけもない。
ロンシャロンの槍も決して鈍いものではないが、ザメルはそれを意にも介せずまるで暴れ狂う猪のように彼の前に躍り出た。馬に乗ったままのロンシャロンの前に、徒歩で飛び出したのだ。
隙を見たロンシャロンは、鋭く槍を突き出した。華麗で、穂先を正確にザメルの体の中心に向けた一撃だった。
ところが槍は突進してくるザメルの肩に刺さったように見えて、まるで子供が投げた小枝のように軽く弾かれる。岩のようなザメルの筋肉は、鋭利な刃でさえも防いでしまったのだ。ロンシャロンはあらぬ方向に跳ね上がってしまった槍ごと体を崩し、その事実に目を見開いた。
そのロンシャロンに向けてザメルの渾身のパンチが繰り出される。太く荒々しい拳が馬の胴体に吸い込まれ、勢いのままに肘のあたりまでめり込んだ。骨も内臓も打ち砕くような、圧倒的な暴力の一撃であった。
ただの一撃で、鎧ごとロンシャロンを乗せていた屈強な大馬が転倒。いななく暇もなく血反吐を吐き、その場にロンシャロンを投げ出した。
ロンシャロンは落馬したものの、素早く槍を構えなおす。
「むう!」
彼とて、この地を一度は支配した大物である。ただの雑兵ではない。
ロンシャロンには勝ち目はもうほとんどなかった。周囲はザメル軍に囲まれており、ザメル本人の強さも明らかだ。だが、それでも彼は槍を構え、最後の意地を見せた。
「おう!」
ザメルは両手を広げて強靭な筋肉を見せつけ、その直後に両足を踏み切った。まるで虎のような猛烈な速度でロンシャロンにとびかかる。渾身の鋭い突きが迎え撃つが、これをザメルは左腕で跳ねのけ、そして鉄槌のような右腕のストレートパンチを叩き込んだ。
瞬間、ロンシャロンの貴族の大鎧は跡形もなくひしゃげ、彼は血反吐を吐きながら回転して吹き飛んでいく。
部下たちは大はしゃぎで、拳を空に突き上げ咆哮を上げる者が多数いた。倒れたロンシャロンがぴくりとも動かないことを確認すると、その咆哮は命令もしないうちから勝鬨へと変わり、その場の兵士たちが皆、もろ手を突きあげ始める。
「三貴族ロンシャロン、討ち取った! 俺たちの勝ちだ!」
と、ザメルは豪快に血に濡れたままの拳を突き上げた。
この瞬間、長く続いた内戦は終わった。地獄のような戦いは終結した。
部下たちは爆発的に雄たけびを上げた。先ほどよりもさらに大きく、歓喜と感動の叫びだった。声もなく涙を流す者、号泣して抱きあう者もいる。手を合わせて祈る者さえも。
ザメルという男は、山賊の頭目のような男であった。遠目から見れば、部下たちの倍はあろうかと見間違えるような巨体。親分肌で、粗野である。ザメル軍で最も勇猛で、武闘派の男がこのザメルなのだ。
しかしこの男に多数の兵が従うのは、彼が武力に優れるからだけではない。ザメルは、義憤のある男だった。
ロンシャロンを今まさに倒したのも、その義憤による。
ザメルのいうとおり、ロンシャロンは魔界の三貴族と呼ばれるほど、この地で実力をもった勢力であった。
フレスやザメルの立つこの地は、魔界である。魔界はかつて魔王が支配し、「三貴族」と呼ばれる彼の部下が分割して統治した。魔王が魔界を去った後もなお、魔界の三分の一以上を支配した者は「三貴族」と呼ばれる。ロンシャロンはその一角だった。
だがロンシャロンは、それで満足しなかった。他の三貴族へ攻撃を仕掛け、彼らの勢力を併呑しようとしたのだ。このために、自らの勢力下の土地へ重税を課し、軍事費をまかなった。
ザメルはロンシャロン勢力下に暮らしていた荒くれの一人で、人々が苦しんでいることに怒り、ついには自分で兵力を集めて立ち上がったという、気骨のある武人である。
「ロンシャロンめ、最後まで槍一本で立ち向かってくるとはな。意地を見せおった。やはりヤツも武人であったな」
しばらく後、拠点に戻ってきたザメルがフレスにそのように言い、ニヤリと笑って見せた。
彼の体には、よく見ればあちこちに傷がつけられていた。ロンシャロンは生け捕りにしたとの話であったが、フレスとしてはあのように力任せに殴られてよくぞ生きていられるなという感想しかでない。
しかし、ロンシャロンが生きていることは事実であるらしい。彼は賛辞と質問を口から吐き出した。
「お見事です、ザメル様。ロンシャロンの処遇については、なにかお考えがありますか?」
「そうだな、俺としちゃあもうどうでもいい。本人が望むなら殺しておくか、でなきゃ追放するか。あとはお前に任せる。それよりフレス、俺はそろそろ引退しようと思ってるんだがな」
ついでのように言われた言葉に、フレスは飛び上がりたい思いだったが、なんとか押し殺して小さく訊ね返した。
「勇退なさると? しかし跡継ぎの方が。ご子息はおられないとうかがっていますが」
「ああ、だが娘はいるだろう。俺のあとが務まるか心配だったが、お前がいりゃあ安心だ」
何を言っているんだ、とフレスは言いたかった。だができなかった。
ロンシャロンは倒れた。当然、ザメルは領地をそのまま統治し、三貴族となるのだろうとフレスは思っていたのである。そうすれば軍師の職などあまり重要性がなくなるだろうし、自分も自信のない地位から解放されるのではという期待がなかったとはいえない。
だが現実はこれである。言ってしまえば、ザメルはやりたい放題にこの地を荒らし、ロンシャロンを倒したら後は引退するというのだ。彼の娘というのは、まだ幼い無垢な少女である。それを後見できるような存在は、ザメル軍にはいない。自分がするしかない、ということは明らかだった。
「みんな、今日もフレスの知略が冴えたな。おかげでロンシャロンを捕らえられたぜ! もうクソみてえな徴税官はいねえ! この地は俺たちのもんだ!」
ザメルは怪我もかまわず、その大きな体で配下へと戦果を説明し、それから彼らの労をねぎらった。
しかし、フレスは褒められて功績が知らしめられたにも関わらず、あまりうれしくはなかった。
ロンシャロンという敵の大将をすでに捕らえているため、彼の居城や首都は降伏するだろう。だから、この地はもう俺たちのもんだというザメルの言葉は間違っていない。だが、それを統治するというのは、占領するのとはまた違う知識と才能が必要なのだ。
とにかくザメルの部下は基本的に体力主義なので、知力に優れた者が少なすぎる。
「ザメル様万歳! フレス様万歳!」
部下たちは勝利に浮かれ、優れたリーダーと軍師をほめたたえた。長い戦いの末に圧政者を打ち倒したのだから当然である。
彼らはそのまま勝利を口々に語り散らした。その結果、次第に話が大きくなり、フレスの活躍も事実から少し誇張されていくようになる。
しかしフレスは、降伏した城や町を掌握することに忙しかった。ただでさえ、ロンシャロンの課した重税や、ザメルたちの無茶苦茶な戦いによって土地は荒れている。治安もかなり悪くなっているのだ。
それらをどうにかしなければならない。そうでなければ統治どころではなかった。
忙殺される日々を送る中、彼はザメルから召喚されて城に向かった。
「お召しにより、参上いたしました」
すでにロンシャロンの勢力下にあった地域は全てザメル軍に制圧されている。ロンシャロンが拠点としていた城もすでに降伏し、明け渡されていた。ザメルはその城に住み、各地へ指示を出している。
そこへ呼ばれたということは、おそらく引退の意向が固まり、具体的な期日や発表の段取りも考えようというのだろう。そのようにフレスは考えていた。
だが、彼を出迎えたのはザメルではなく、フレスの胸のあたりまでしか背丈のない、権力者の娘としては地味な、厚手のドレスを着た細身の娘だった。髪の生え際あたりから、蛾の触角のような二本の角が生えている。
「フレス。あなたが私を支えてくれると聞いています」
「はい」
思わず、フレスは言葉に詰まった。それでもなんとか肯定の返事だけはしたが、続くものがない。
目の前にいるのは、ザメルの娘であるポプリだったが、あらためてみればあまりにも幼く、無垢だった。
「……ポプリ様のために、微力を尽くしましょう」
なんとかそう言って、視界の端でザメルの姿を探したが、どこにも見えない。
「父は今朝ここを出まして、あとを私に任せると言っていました」
なんだと。思わずフレスは毒づきかかったが、それを口に出す勇気はなかった。
「しかし、急なことで、私も軍や国のことはわかりません。あなたが頼りです」
「かしこまりました。お任せください」
と、フレスは全てを押し殺して言った。ポプリは悪くないからだ。フレスも政治に関する知識はそこらの凡人と変わらないくらいだったが、とにかくロンシャロンの元配下の者を探し出し、再雇用するべきだとは考えている。そうしなければ、ロンシャロン勢力下で行われていた政治体制が無に帰してしまう。
「ザメル様は、即断即決のお方ですが、短慮な方ではありません。ポプリ様なら大丈夫だとご判断されたのでしょう」
安心させるように、フレスは懸命に笑顔を作ってポプリに向けた。
以前からポプリとは知り合いであるから、これくらいはおそらく許されるだろう。予想通り、ポプリは少し緊張を緩めて、しっかりと頷いた。




