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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

春日ノ国物語 〜浪人座小異譚〜

作者: 志麻あをい
掲載日:2026/01/03

 岩肌に灯るいくつかの小さな明かりだけでも広い黄泉窟の中が見渡せていた。

(わたしはただ巫女の衣が着たかっただけなのに……)

 杵築咲耶は十間ほど先の小柄な影を睨みつけた。

 小鬼だ。

 この黄泉窟で最も多く姿を見せる人鬼の一つで、多数に襲われない限りそれほど強くないと聞いていたが、その醜悪な容貌は咲耶を心の底から怯えさせていた。

手に棍棒のようなものを持ち、背の高さは二足で立った状態で咲耶の腰くらいまであるだろうか。大きな目の上の狭い額には小さいがはっきりとした二本の角を持ち、耳の近くまで裂けた口に乱杭歯がむきだしになっている。

「なんでわたしがこんな目にっ!」

「つべこべ言わんと、さっさとやりぃな。さっき、ちゃんと教えたったやろ」

 都訛りの声が背中のほうから飛んできたが、咲耶はそれどころではない。

 もともとは黄泉窟の浅いところで大魔草の実を取るだけの研修で、他の同じ年頃の人たちはそれぞれ一人の指導者の元に数人の組を作っていたのだが、咲耶だけはたった一人で宋玄と名乗る初老の男に教導されていた。

 つまり、この小鬼と戦うのも一人きりなのだ。

(もう……しかたないか……)

 それでも咲耶は黄泉窟に入る前に受けた簡単な説明を思い出して、作業の前に地に置いておいた小手薙刀を腰を屈めて拾い上げた。

 もちろん目は小鬼に向けたままだ。

 あらかじめ渡されていた小手薙刀は穂も柄も短めで、広いとはいえ岩壁に囲まれた黄泉窟の中でも邪魔にならずに使うことができる。これも教導役の宋玄に勧められたものだった。

養護院育ちの咲耶は男勝りの性格もあって小さな頃から棒術も習っていて、近い年の男子にも負けないほどの技を身につけており、小手薙刀も手にしっくりとくる。

「……いいよ、おいでよ……」

 そう呟いたあと、ふと咲耶は気がついた。

 手にした小手薙刀には、まだ鞘がついたままだ。

「……キイィッ!」

 思わず咲耶が手元に目を落とした瞬間、小鬼が奇声をあげて襲いかかってきた。

 慌てて鞘を払ったあと視線を戻すと、小鬼はすでに目の前にまで迫っている。

 恐怖に駆られながらも無意識に、両手で握った小手薙刀の穂先を小鬼へ突き入れた、その時だった。

「ぼんっ……」

 小さな破裂音とともに、穂先にかかった小鬼が白煙と化してして広がっていく。

「……え?」

「ありゃ、いらんことしてもうた」

 咲耶がその声に振り向くと、初老の男がにやにやと笑っているのが見えた。人差し指と中指を揃えて印を結んだ掌を顔の近くまで持ち上げ、左手でするりとわずかに毛の伸びた禿頭を撫でている。

「えと、何が……」

「危なそうやったから、思わず咒符を使うてしもた……あ、それ拾うといてな」

 宋玄が指差したほうへ目を向けると、ちょうど小鬼が姿を消したあたりに丸くコの字に曲った石が転がっていた。

「それ、禍珠ちゅうて、けっこうええ値がつくからな……」

 背中から宋玄の長閑な声が聞こえてきた。


§


(でも、あの日はまあ楽しかったな……)

 黄泉窟での実習で小鬼に遭遇してから数日が経っていた。

 あれから今日までの間、咲耶はずっと八十神教の郡社の講堂で出仕(見習い)としての研修を受けてきた。

(この子たちが、みんな神職になれるんだろうか……)

 長文机が並べられた講堂の中には、咲耶と同じ年頃の出仕が十数人並んで座っていた。男女ともに白衣に白袴という姿で、神妙な顔で教導役の言葉に耳を傾けている。

「……このように八十神教では主だった神が八十柱おられるが、中でもこの国で特に尊崇されているのが『扶桑神』と呼ばれる木の神で、万物の再生を司り、皇祖神である天日神も扶桑神から生じたと言われています……」

 そのあたりのことは養護院育ちの咲耶にとっては当たり前の知識だった。養護院はこの春日ノ国の国教である「八十神教」が管理していて、ある程度の大きさの郡社には必ず置かれているものだからだ。

「そうして都のある春日島には実際に扶桑樹と呼ばれる大樹があり、それを古来より守っていたのが木人族と呼ばれる一族で、今でもその末裔の方々が……ああ、そこにもおられますね……」

 そう言って教導役が手を向けたため、周囲の目がいっせいに咲耶に集まった。

(えー、もういいよ……)

 恥ずかしくなった咲耶はうつむいたが、つやのある黒髪から覗いた尖った耳が赤く染まっているのは隠せていなかった。

 咲耶は先程説明があった扶桑樹を守る一族の出で、村から出た両親が流行病に倒れて咲耶だけが一人取り残されたため、八十神教の養護院で保護された経緯があった。

 養護院では一族の特徴的な容姿のせいで虐められた記憶は特にはないのだが、やはりたまに奇異の目を向けられることもなかったわけでもない。

 やがて講義も終わり、退出しようとした教導役が、ふと立ち止まり言葉を続けた。

「あ、そうだった。咲耶さん、これから、わたしといっしょに来てください……」

 そうして教導役の神官に連れられて咲耶がたどり着いたのは、講堂から境内を横切り、少し離れた場所にある武道場裏の広場だった。

 咲耶が驚いたことに、そこに一人立っていたのは、黄泉窟に行った時に指導してくれた宋玄という初老の男だった。

「まあ、いろいろあってな……おおきに、あとはわしが説明しとくわ……」

 宋玄がそう言うと、教導役は咲耶を一人置いて広場から去っていってしまった。「とりあえず黄泉窟であんたが一番、度胸があったみたいやから、ちょっと別のことをやってもらおうと思うてな。とりあえず最初は、これやな……咒符や」

 宋玄は懐から紙束のようなものを取り出してパラパラと捲り、そのうちの二枚を切り取って、一枚だけ咲耶のほうへ差し出した。

「……ええと、まず陰陽師や修験者が鬼の力を使うための咒術というもんがあるんやけど、それを誰でも使えるようにしたのがこの咒符や。これからあんたには、ちゃんとこの咒符を使えるようになってもらおうと思ってな……」

 咲耶はそんな説明を聞きながら、宋玄から手渡された咒符に見入った。短冊状の細長い紙の上に黒ぐろとした墨の印章が押されている。

「これは黄泉窟でワシが小鬼を倒した時の咒符で、これをこうして……ハッ!」

 最後の声とともに、印を結んだ指に挟まれた咒符が淡く光ると同時に、宋玄の指先から少し離れた木立へおぼろげな光が飛んでいき、幹の一部分を淡く包んだ。

「これが『木礫』で、特に木の辺の民のあんたには相性がええはずの咒符や」

 宋玄が話すうちにも木の幹にまとわり付いたかすかな光が消え、気が付くと指先に挟まれた元の咒符も消えていた。

「まあ、そのあたりはおいおい説明するとして、まずは先に、別の処へ行く用事があってな。ほな、ついといで……」

 そう言うと宋玄は歩きだし、咲耶も訝しがりながらそのあとをついていく。

 やがて二人がたどり着いたのは、郡社から外へ出て、しばらく歩いた先にある建物だった。

「あの、このお店って……」

 外から見るとただの大きな建物だが、どことなく不穏な雰囲気も感じられる。

「浪人座、やな。明日から行く所はちょっと難しいところでな、あんたの名前をここの台帳に載せとかなあかんのや」

 そう言って戸を開けてさっさと中へ入る宋玄を、咲耶も慌てて追っていった。

「浪人座」は「労人座」とも書き、正式には「労作人周旋役所」という、いわゆる「口入屋」の元締めのようなものだった。

 それゆえ浪人座にやってくる各人の境遇も様々で、地方で食い詰めたり、各家から放逐された人などもいて、中には当然、粗暴な輩も混じっている。

 成人後に養護院を出たものの多くがこの浪人座に属していたため、咲耶も話には聞いたことがあった。

(あれ? わりと中はきれいなのね……)

 この店はその浪人座の会所の一つだったが、咲耶がそう思ったくらい店内は清潔で明るかった。

 広い土間の壁際には縁台が並び、床几代わりの酒樽も置かれている。

 ただし店の片隅には蓬髪に汚れた着流しという怪しい風体の数人がたむろしていて、咲耶たちの方にも胡散臭さ気な目を向けている。

 咲耶は用心深く、宋玄の後ろを離れないように店の中を進んでいった。

 店の奥の方には格子に仕切られた帳場があり、中には若い女性が座っていた。

 帳場の隣には上り框もあって、店の奥へと続いているようだ。

「あら、玄さん、いらっしゃい……」

 宋玄が近づくと、格子のついた受付台の内側から女性が声をかけてきた。

「先に知らせが来てると思うけど……」

「ああ、その子ね。ちょっと待って……」

 女性は背後に備え付けられた棚を探って帳面を取り出し、受付台へと戻ってきた。

「字は書ける? そう、なら、そこに名前と年を書いてくれる?」

 問いに頷いた咲耶に紙と筆を差し出してくる。

 指示を受けながら咲耶が書き終えると、受付の女性はまた別の帳面にその内容を書き写して、咲耶が書いた紙も裏に重ねた。

「……人別帳は、まだ向こうのままで良かったのね?」

 女性に声をかけられたが、咲耶はなんと答えていいのかわからない。

 浪人座は八十神教が管理していて、所属すると特別な人別帳にも載せることができるという、一種の身元保証の側面も持っていたのだが、咲耶はそれを知らなかった。

「せやな、まだ身分は郡社の出仕やからな……」

 そんな咲耶を見かねたのか、後ろから宋玄が答えてくれて、咲耶もほっとため息をついた。

「わかったわ。じゃあ、今回は玄さんの小党で、と。これも良いのよね?」

「ああ、それで良えわ。そんなに長い間やないやろうし……」

「ねえ、小党、ってなんですか?」

 どんどん自分を脇において話が進められていき、訝しんだ咲耶が思わずたずねると、宋玄はにやりと笑ったあと口を開いた。

「まあ、仲間みたいなもんや。こうやって台帳に残しとくと、いざという時に便利やけど、なんかあったら二人の責任になるな」

「えー? そんな勝手に……そういうのダメだと思います」

 咲耶はけっこう真剣に抗議したつもりだっただが、宋玄と受付の女性に笑い飛ばされてしまった。


§


「こんなことなら、もっと先に教えてくださいよ……」

 そんな愚痴が咲耶の口から漏れたのも仕方ないことだった。

 浪人座へ小党の登録した翌日の朝、行き先も知らされないまま出発した。

 途中で村の鎮守社に二泊し、今朝も暗いうちに発ったので、もう丸二日以上が経ったことになる。

 途中で何度も行き先や目的をたずねたのだが、宋玄は答えてくれなかった。

「言うてもおんなじやろ。どうせ来ることになるんやし……」

「それにしたって、心構えというか、覚悟というか……」

 咲耶はため息をつきながら、眼の前にそびえ立つ山塊に目を向けた。

 この山地一帯が伊都郡では有名な修験場であり、八十教の神官が修行に加わることも珍しくないと聞いたことがある。

「まあ今回はホンマの修行やなくて、散歩みたいなもんや。ほな、行こか……」

 もはや宋玄の言うことは全く信じてはいなかったが、それでも咲耶は後をついていくしかない。

「……それで、ここで、一体、何を、するんですか?」

 足元の悪い荒れた山道を懸命に登り、息を乱しながら咲耶はたずねた。

「そうやな、もうええか……百鬼夜行、て習うてか?」

 長めの杖をつきながら軽々と登っていく宋玄が振り向いたが、咲耶は首を横に振ることでしか返事ができなかった。

「そうか……数年か十数年に一度くらい、もともと黄泉窟にしかおらん鬼が山ほど外へ出てきてな、近くの村を襲うことがあるんや。まあ夜行言うても、昼間になることもあるんやけどな……」

 ふと宋玄は立ち止まり、咲耶のほうへ顔を向けた。

「百鬼夜行の時には当然、武家も加わるんやけど、だいたいは浪人衆が主になるんや。浪人座は八十教が総領しとるし、浪人衆が神官兵の代わりみたいなもんやしな……」

 咲耶もようやく足を止めて休むことができ、しばらくは下を向いて息を整えるだけで精一杯だったが、それでも宋玄が言葉を切る合間に思い切ってたずねた。

「じゃあ、その百鬼夜行? に向かってるんですか? 今から?」

 戻ってきたのは無言だった。

 恐る恐る顔をあげると、宋玄はあっけに取られた顔をしていたが、すぐに口を大きく開けて大笑した。

「そんなわけがあるかい。百鬼夜行が起きたら、二人だけでなんとかなるもんやないからな、今日は下見みたいなもんや……」

「下見?」

「まあ、実はそれだけでもないんやが……よし、じゃあ行こか」

 宋玄はそう言うと、さっさと山道を再び進み始め、咲耶も慌ててその後を追った。

 束の間休んだおかげでいくらか楽になった気がしたが、ろくに先の見えない獣道を登るうちに、そんな気分はすぐに消え失せた。

(まだ、まだ、着かないの?)

 何十回も心のうちで唱えた頃、ようやく前を進む宋玄が歩みを止めた。

 顔をあげた咲耶に見えたのは、能舞台ほどの開けた広場で、さらに木立を先へ進んだ道端には小さな祠が3つほど並んでいる。

「ここが黄泉峠と言うて、ちょうど黄泉窟の入口の反対側くらいになるんや……」

 宋玄が手にした長い杖を地に付き、あたりを見渡した時だった。

(あ、きましたな……)

 ふいに咲耶の頭の中に童子のような高い、それでも落ち着いた声が響いた。

 咲耶もあわてて付近を見渡すと、いつのまにか広場の中頃に白色と茶色の二匹の動物が並んでいた。白いほうは猫で、茶のほうはどうやら狢のようだった。

「えー、とにかく、この、猫のほうがあんたのシキみたいや。こっちの狢がワシのシキなんやけどな」

「シキ?」

 咲耶が鸚鵡返しに聞き返すと、宋玄はわずかに伸びた禿頭を指でかきながら口を開いた。

「陰陽道や修験道の言い方でな、普通は儀式の『式』なんやけど、それとは別に使う鬼と書いて『使鬼』と書く時もある……」

「この子たちが鬼?」

「そう、そこの狢も猫もな。百鬼夜行なんかで鬼が黄泉窟から外へ出た時に、まれに獣の魂と交わることがあって、それで生まれた子が式として力を貸してくれることがあるわけや」

 咲耶は目の前の式と呼ばれたものを見つめた。

 確かに姿はそれぞれ元の獣と変わりないが、良く見ると頭に小さな膨らみがある。

「……角があるの?」

 またも咲耶が疑問を口にすると、今度は頭の中に先ほどよりさらに高い声が響いた。

(小さいのがあるです。ちょっと硬いのです)

「もしかして、猫さん、あなた?」

 白猫がじっと自分のほうを見つめていることに気がついて、咲耶は問いかけた。

(そうなのです。角があるから、こうしてお話ができるのです。でも、そちらのほうは、始めのうちはちゃんと声に出してくれないと、こっちはわからないのです)

「それが式が持ってる力の一つでな、頭の中に直接伝えてくるんや。他にもいろいろあるけど、まずはその式に名前をつけてやらんとな」

 その様子から察しただろう宋玄に言われて、咲耶も少し考えてから答えた。

「じゃあ、サバ、で」

「なんでやねん」

「見たままの、シロ、じゃつまらないので……」

(なんでバレたですか?)

 ふいにまた声が頭の中に響いたと思ったとたんに、猫の体にトラサバ模様が浮かび上がってきた。

「ああ、それも式の力の一つでな。見た目を変えることができるんやな……」

 咲耶の逡巡を悟った宋玄が言うように、この式の猫も元のトラサバ模様から白へ毛色を変えていたのだろう。

「……それで、あなたがわたしの式で、力を貸してくれるってことでいいのね?」

(そうなのです)

「それじゃ、サバ、これからよろしくね」

(はい、よろしくです)

 サバはそう答えると、咲耶へ近づいていき、脚絆を巻いた足首へ身を擦り付けた。

(それはそうと、鬼門が開きましてな……)

 先程も耳にした、おそらく狢の落ち着いた声が脳裏に響いて、咲耶は思わず身をこわばらせた。

「ほう、それは大変やな、ちょっと見にいこか」

 宋玄が答えると、いきなり狢とサバがともに峠のほうへ走り出し、宋玄と咲耶も慌てて二匹の後を追う。そのまま峠を越えてしばらく進むうちに、急に宋玄が立ち止まり左手をあげて咲耶をその場に留めた。

「何ですか?」

「しっ、あそこに鬼門が開いとる。前にはなかった洞穴やな。あれが開くと間近に百鬼夜行が起きると言われとる」

「大変じゃないですか……」

「せやから、こうやって見に来とるんやないか。まあ、心配せんでもすぐに起きるわけでもないけど……ありゃ」

 宋玄の声にあわてて咲耶が目を向けると、岩の崖に空いた洞穴からのそりと大きな鬼が姿をあらわした。背丈は人の倍くらいあり、浅黒い肌の顔も醜悪で、さらに額には大きな二本の角が生えている。

「あれは物見やろうな、中金鬼ってところか……」

「中金鬼って?」

「そのまま、中くらいの大きさの、金の力を持つ鬼やな……おっと、このまま出ていく感じやな。ほな、ちょっと行ってこよか、止めとかんとまずそうやからな」

「頑張ってください」

 咲耶が声を潜めて言うと、宋玄は振り向いてニヤリと笑った。

「あほう、あんたも行くんや」

 そう言った宋玄が手にした長杖の上部を払うと、中から細身の槍の穂先が現れた。

「そんなの、持ってたんですね。全然気が付かなかった……」

「まあ、このくらいはないとさすがにな……じゃあ、あんたは離れたところから、あの鬼に咒符で木礫を射ってくれるか。わしが合図をしたらな……」

 浪人座で小党を組んでから今朝までの間に、時間を見つけては宋玄から咒符の使い方を教え込まれたおかげで、咲耶も今では大きな的ならば木礫を当てられるようになっている。

 咲耶が頷いたのを見てから、宋玄はゆっくりと中金鬼のほうへ近づいていった。

「あなたたちも、下がってなさいよ」

(わかったです)(うん、な)

 二匹の式からの重なる脳内の声に顔をしかめながら、咲耶も宋玄の後を追った。

 宋玄はなんの躊躇もなく中金鬼との間の距離をつめていく。中金鬼の巨大な体躯に比べれば、宋玄の背丈は半分ほどしかなく、体つきも細かった。

(玄さんは鬼には見えないようになっているです。狢がやってるです……)

 サバの説明を聞きながら、咲耶も腰に下げた印籠から咒符の束を取り出し、中を検めた。指示された木咒符を選び、行使に備える。

「うんたりなくまんだいのうまくばたら……ハッ」

 宋玄がなにやら咒文を口にしたあと、発声とともに手にした仕込み槍を力強く突き刺した。

「があああああああ……」

 中金鬼は腹を貫いた槍を両手でがっしりと掴んで押し返そうとしたが、宋玄も力を込めてそれを許さない。

(あんなに大きい、強そうな鬼に負けてない……)

 咲耶が驚いて見つめていると、それでも中金鬼の力がやや勝ったようで、槍の穂先が鬼の体内から抜け出てしまった。

「がああっ」

 さらに中金鬼は雄叫びをあげて槍を横へ払うと、一気に宋玄に向かってくる。

「あっ……」

 思わず咲耶は声をあげたものの、宋玄もこれまで見たことがない速さで槍をひきつけ、素早く後退って中金鬼の突進を躱したかと思うと、再び槍を突く。

 束の間、中金鬼の目が声を上げた咲耶に向いたが、槍の穂先に首筋を浅く抉られて、慌てて宋玄の方へ体の向きを変えた。

「ハッ」

 さらに宋玄が再び繰り出した槍を、中金鬼も体を捻って穂先を危うく躱した。

 素早く宋玄は槍を引き追撃するが、なおも中金鬼には当たらない。

 そんな宋玄と鬼との争いを、咲耶は息を飲んで見守ることしかできなかった。

 やがて不意に、つい、と退いて間を空けた宋玄と鬼が向き合った刹那だった。

「今やっ」

 宋玄の声に咲耶も我を取り戻して、手にした咒符を指に挟んだ。

「ハッ!」

 発声とともに習った通りの印綬を結んだ指先から、霞の塊のようなものが中金鬼に向かって飛び、がっしりとした背中に当たって飛び散った。

「ぐあああああ……」

 中金鬼が叫び声をあげ、背を反らせて耐えたように見えた瞬間、宋玄の繰り出した槍の穂先が今度は胸を深々と貫いた。

「え?」

 次の瞬間、いきなり中金鬼の姿が揺らいだと思うと、小さな破裂音がした後には白煙のみが漂っていた。

 がくりと宋玄が地に膝をつき、仕込み槍が手から離れてしまう。

 思わず咲耶もその場から大声で宋玄に声をかけた。

「大丈夫、ですか?」

「……なんてことないけど、慣れんことしたからちょっと疲れたわ。それにしても、あんたの咒符、ごっつい力やな……」

「え?」

「普通はあれを仕留めるのに三、四発はいるんや。それが一発で済んだんは、それだけあんたが強い木の力を持っとるちゅーこっちゃ。ちゃんと修行したら、咒符もいらんようになるかもしれんで?」

 咲耶も実際に鬼に木礫を当てたのは初めてで、宋玄の言っていることが本当かどうかはわからない。

(でも、修行なんて誰がするかい……)

 思わず両親ゆずりの都訛りで咲耶はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。


§


(どうしてわたしはこんなところに……)

 浪人座会所の帳場に腰を下ろして、待合場の喧騒をぼんやりと眺めながら咲耶は思った。

 宋玄とともに中金鬼を倒してから二月が経っていた。

 あの後、二人は浪人座へ戻り、鬼門が開いたことを報告した。それからのことは詳しくは咲耶には知らされていなかったが、社家と武家とが一体となって黄泉窟へ向かい、鬼門を閉じて百鬼夜行を未然に防ぐことに成功したらしい。

 そうしてその後、神職としての研修を終えた咲耶が言い渡されたのが、浪人座会所の帳場方という役目だった。

(いつまでも文句言ってないのです。あきらめが悪いのです)

 ふいに頭の中に声が響いて、咲耶は思わず顔をしかめた。

 具合が悪いことにサバが式になってからしばらくすると、いつのまにか咲耶の考えていることがサバに伝わるようになってしまったのだ。

 そんなサバは咲耶の役目中はいつも、背後の帳箪笥の上に陣取るようになっていた。周りの人も式の扱いを心得ているらしく、サバが会所にいても気にもしていない。

「どうかしたの?」

「いえ、ちょっと煩いのが……」

「ああ、あれね?」

 隣に座っている同役の女性は、役札のあたりで言い争っている二人の男へ目を向けた。どうやら作事の取り合いをしているらしい。二人とも、薄汚れた着流しに脇差だけを差している姿で、どちらも武家崩れのようだ。

「じゃあ、ちょっと行って来ますね」

 同役の勘違いを正すのも悪い気がして、咲耶も帳場台から離れ、揉めている二人に声をかけた。

「ちょっと、あんたたち、落ち着きなさいよ」

「なにおうっ、女は黙ってろ!」

 片方の男がいきなり咲耶のほうへ顔を向け怒鳴りつけたが、相手の男のほうが慌てて手で制した。

「ちょっ、待てっ、お前、コイツを知らないのか?」

「あぁ? 会所の帳場の姉ちゃんだろ?」

「ばっ、ばかっ、アレは『鬼殺し』だぞ……」

 男たちは声を抑えてはいたものの、もちろん咲耶にも聞こえている。

 それでも微笑みは崩さず、咲耶はもう一度声をかけた。

「うん、落ちついたみたいね。それじゃあ、こっちに来てもらいましょうか」

 そう言い捨てて帳場のほうへ戻ると、男二人も周囲の人にも窘められて、咲耶の座る帳場へ近づいてきた。

「じゃあ、役札を見せて……あなたはそのままこれを、そっちの人は……」

 男たちの対応をしながらも、咲耶は別のことを考えていた。

(みんな、玄さんが悪い……)

 宋玄が倒したのは実際には単なる中金鬼ではなく「物見番」の異名を持つ「名持ち」だったらしく、大鬼と同等だとみなされるという話になった。

 そうしてその鬼を宋玄といっしょに倒したことにされた咲耶にも、大鬼以上の鬼を倒すとつく「鬼殺し」という異名がついてしまったというわけだ。

「かまへん、そっちのほうがこの後、何かと都合がええから……」

 その時は宋玄の言うことに従ったが、まさかこうして後ろ指をさされるように噂されることになるとは思ってもみなかった。

(こんなところ早く出ていって、ちゃんとした社で働くんだ……)

 男たちの処理が終わってから、咲耶はあらためてそう心に誓った。

 だが咲耶は、その後も長年、浪人座に務め続けることになる。

 結局一度も社家に戻ることなく、それどころか機会があって公家の名家である三条家の養女として武家に嫁いだ後、最終的には浪人座頭取を務めて「三家の架け橋」とも呼ばれるようになったのだ。

「浪人座の帳場方の女装束を巫女姿にできたのが一番嬉しかったわ……」

 生前に何度もそう語っていた咲耶の隣には、トラサバ模様の猫が終生つきそっていたといわれている。

                                (了)

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