第二話 この世界に、自由は存在しない
※第二話です。
異世界でも、理不尽は丁寧に襲ってきます。
「目を覚ましたか。まず理解しておけ。これより先、お前に自由は存在しない」
やはり言語は異国語そのものだった。
しかし、この少年の記憶のおかげで言葉が理解できることに安堵したが、その内容は決して安心できるようなものではない。
現代知識無双をしてやろうと思った矢先に出鼻を折られた。
低く、よく通る女の声だった。
感情の起伏がなく、命令でも確認でもない、事務的な響き。
そしてなによりも、圧。
前世で働いていた会社の上司よりも怖いと感じるほどだ。
ゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒髪の女だった。
年齢は二十代半ばほど。美人だが、笑顔は一切ない。
背筋は真っ直ぐで、軍人か役人か――どちらにせよ、現場に慣れきった人間の目をしている。
冷たい灰色の瞳が、俺を値踏みするように上下する。
「……あなたは?」
「自己紹介は後。お前に質問がある。」
その声は、喉元に突きつけられた刃のようだった。
おそらく嘘は通用しないであろう。
とりあえず今は質問に答えるしかない。
「名前は?」
「……分からない」
即答すると、女は眉一つ動かさなかった。
「記憶欠損。想定内だ」
そう言って、女は手元の紙に何かを書き込む。
「ここがどこかは理解しているか」
「……牢屋、ですよね」
「正解。だが理由は?」
「……それは、分かりません」
女は一瞬だけ俺を見るのをやめ、溜め息ともつかない息を吐いた。
「身元不明。記憶欠損。年齢推定十七。違法入国の疑いあり。よってこれからお前は難民認定だ」
「なッ……難民ですか?」
思わず声が裏返った。
難民――その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、かすかに緩む。
保護。救済。庇護。少なくとも、即座に処刑とか、強制送還とか、そういう最悪の未来ではないはずだ。
だが、その安堵は、長くは続かなかった。
女は、紙から視線を上げないまま淡々と言う。
「この国の法では、出自不明で保護者を持たず、登録記録のない人物は、例外なくそう扱われる」
「いや、でも……俺は――」
「“お前”は、何も証明できない」
ぴしゃりと、言葉を切られた。反論の余地を最初から与えない口調だった。
この状況で自分が何を言っても、耳を傾けてすらしてもらえないだろう。逆に不信感が生まれるだけだ。
だから今はおとなしく首を縦に振るしかない。
「名前がない。身分証がない。戸籍も、所属も、保証人もない」
「その状態で国境内に存在している時点で、立場は一つだ」
「――難民」
俺は冷や汗を流しながらその言葉口に出した。
この人なら、少しはこの少年――いや、俺自身について何か知っているのではないかと思っていた。
だが、それはやはり都合のいい期待だった。
これは、まさに宣告だった。
胸の奥が、ひやりと冷える。
難民。 助けを求める人。 保護されるべき存在。
……そんな、綺麗な言葉じゃない。
女の目は、はっきりそう言っていた。
「難民となったものは保護される。最低限の衣食住も与えられる。だが、権利はない。拒否権も、発言権も、選択権も」
淡々とした説明が、逆に重い。
「命があるだけ、感謝しろ――そういう立場だ」
喉が、きゅっと鳴った。
「ちなみに言っておくが」
女は初めて、俺の目を真正面から見た。
「この国は、役に立たない難民を長く養うほど、優しくはない。だからお前には仕事を与える」
『仕事』という単語に反射的に、前世の記憶を思い出す。
ブラック企業。 新人。 断れない立場。
……ああ。 形は違えど、構造は同じか。
冷たい灰色の瞳。
その瞳は何か哀れんでいるかのように見えた。
「ここでは、生き延びることだけでも成果だ」
「……まじか」
その言葉でこの女性が何を伝えたいのかを理解できた。
つまり――
今から働く場所は死ぬのが普通で、生きて帰った者だけが評価される場所だ。
「お前にはその覚悟ができているのか?」
背中に、ぞわりと寒気が走る。
逃げ道のない箱は、電車だけじゃなかったらしい。
俺は、鉄格子越しに女を見上げる。
仕事を断ればおそらく待っているのは『死』だろう。
もう後に戻ることはできない。
腹をくくれ。覚悟を決めるしかない。
今度は、間違えないために。
「……質問をします」
「答えろ」
俺は、ゆっくり息を吸った。
「俺に、何をさせたいんですか?」
女は、俺の言葉を聞いてもすぐには答えなかった。
代わりに、手元の書類を一枚、裏返す。
そこに描かれていたのは、紋章だった。
歯車を模した円環。
その中央に、矢印のような三叉の槍。
「帝国公認企業、アーク・フロントグループ 討伐部 第十三討伐部隊に入隊しろ」
淡々と告げられた社名に、俺は思わず瞬きをした。
――そして、入隊?
ようはこの女性は俺に、軍隊に入れといっているのか?
「アーク・フロントグループは、帝国公認の企業だ。物流、加工、流通――そして魔物討伐。この国の“危険な仕事”を、すべて請け負っている」
……要するに物流会社。聞こえはいい。
そして、魔物。
異世界系やファンタジー系のなろうでよく魔物が出てきていたが、やはりこの世界にも魔物は存在しているらしい。
「討伐部は、アーク・フロントグループの一部署であり、魔物討伐などが仕事だ。死亡率が高く、常に死と隣り合わせだから、死神の部署とまで呼ばれている。」
……死神の部署。
そのフレーズだけが、やけに現実味を持って胸に突き刺さる。
死亡率が高い。
死と隣り合わせ。
死神。
言葉を並べれば並べるほど、
「生きて帰れない前提」で話が進んでいる気がしてならなかった。
(俺、ついさっきまで一般人だったんだぞ……?)
しかも俺がやる側。逃げる側じゃない。
魔物なんて、画面の向こうでしか見たことがない。
それなのに――現場担当。
さっきまで「物流会社」とか言ってたくせに、ふたを開けたら完全に前線要員だ。
(ブラック企業とかいうレベルじゃねぇ……命が残業代だろ。)
喉がひくりと鳴る。
――正直、逃げ道を探し始めている自分がいた。
(完全に人選ミスだろ……いや、ミスじゃない。使い捨てか)
「難民は、労働力として最も扱いやすい」
遠慮のない言い方だった。 包み隠す気もないらしい。
「戸籍不要。保証人不要。死亡時の補償も最低限」
「だが、その代わり――」
女は、ようやくこちらを見た。
「結果を出せば、身分は買える」
その一言で、空気が変わった。
「功績次第で、正式な市民権、部内での昇進、討伐報奨金と、素材歩合」
「運が良ければ、貴族の目に留まることもある」
(……成り上がりか)
前世で聞いたことがある。
危険な現場ほど、夢みたいな言葉が並ぶ。成功例だけを強調して、失敗例は語られない。
耳障りのいい単語が、妙に現実味を帯びて胸に刺さる。
ブラック企業で何度も聞いた。
「成果主義」 「実力次第」 「チャンスは平等」
だが――
(この世界では生き残った者だけが、そう言える)
女は、その沈黙を肯定と受け取ったのか、静かに続ける。
「選択肢は二つだ。アーク・フロント討伐部に所属し、生き残る。あるいは、難民としてこの区画で朽ちる」
どちらも、自由とは程遠い。
だが。
生きる道が“ある”だけ、まだマシだった。
「……半強制スカウト、ってやつですね」
俺の皮肉に、女はわずかに口角を上げた。
「帝国では、それを“雇用”と呼ぶ」
やっぱりか。
この世界も、言葉だけは綺麗だ。
「配属先の第十三討伐部は損耗率は高いが、成果も出やすい。」
……嫌な予感しかしない。
恐らくこれから先に待っているのは前世のブラック企業よりも比べ物にならない過酷な茨の道であろう。
だが、覚悟はもうさっき決めた。
必要なのは生き残り、成果を積み上げること。
そして、奪われた選択肢をひとつずつ取り戻す。
ここは、命が成果として計上される世界。
だから――
俺は最後まで消えない。消えたくない。
「どうせ、《《拒否権なんてない》》ですよね」
拒否権なんてない。
つまり討伐部に加入するしか選択はない。
一瞬、女の視線が鋭くなった。
だがすぐに、事務的な顔に戻る。
「理解が早くて助かる」
女は鍵を手にし、鉄格子が、重い音を立てて開いた。
「ようこそ、討伐部へ」
「ここは、努力が数字になる世界だ。そして、なんとしてでも生き残れ」
俺は立ち上がり、濡れた床を踏みしめる。
(……生き残れ、か)
望んだ人生じゃない。だが、選んだ人生だ。
正義感で死ぬほど、俺は綺麗じゃない。
生き汚くていい。惨めでもいい。
生き残った者だけが、次を選べる。
そういう世界だと、もう分かっている。
この世界がどんだけ理不尽だろうが現実を受け止めるしかない。
なら――
俺は最後まで足掻く。
価値を示せと言うなら、示してやる。
成果がすべてだと言うなら、数字で殴ってやる。
生き残るためなら、
汚れても、逃げても、手段は選ばない。
ここは、死ななかった者だけが先に進める世界。
死神の部署?
上等だ。
この世界での目標を見つけた。
俺は――
何が何でも生き残る。
この《死神の部署》で、生き残る側として。
俺は鉄格子の外へ一歩踏み出しながら、胸の奥で、静かにそう誓った。
この世界で生き残るために。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
少しずつ仲間や環境が見えてくる章になります。
よろしければ、次話もお付き合いください。




