裁判を無効にせよ! 被告は平民ではなく公爵令嬢である!
第1話 王子サイラス視点
失踪していたクラリッサを見つけたかもしれない――その知らせを持ち込んだのは、僕の叔母上でありクラリッサの母である公爵夫人ポーラだった。
「その子は……本当にクラリッサなのですか……?」
時刻は正午。ファラクト国の宮廷。人払いされた貴賓室。そこに第二王子である僕の問いかけが響く。向かいにはユクル公爵とその夫人である叔母上が座っていたが、二人とも感情を抑えるのがやっとという感じで表情を強張らせていた。
やがて叔母上は震え始め、その目から涙を滴らせる。
「まだ分からないわ……。でもその子は名前を“クララ”と言い、十二歳で、金髪に夕陽色の瞳を持っているそうなの……」
その返答に、僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。
公爵令嬢クラリッサ……彼女が生きていれば十二歳。失踪時、四歳だったクラリッサは自分自身のことを“クララ”と愛称で呼んでいた。さらには、金髪と夕陽色の瞳という見た目も一致している。その少女は、僕の婚約者なのだろうか?
次いで、クラリッサの父であるユクル公爵が詳細を語り出した。
「一昨日、妻はサフィル街にある聖堂へ寄付に向かいました。すると昨日、老司祭が三日前に起きた事件について語ってくれたのだそうです。ハリオット伯爵家で女中をしているクララが聖堂近くの空き家で罪を犯し、治安官に拘束されたと」
「何だって……? 一体どんな罪を犯したのだ……?」
「男性を殴って強姦したのだと――」
「嘘だろう……」
そう呟くと、ユクル公爵と叔母上が震え出した。
「私達も嘘だと思いました……! 悪い夢だと思いました……! しかしその少女は、現に傷害と強姦の罪で拘束されているのです……!」
「サイラス、どうか力を貸して……! その娘がクラリッサなのか調査して……! 見た目が一致していても、本当にクラリッサなのか分からないのよ……――」
泣き崩れる二人。貴賓室に響く嗚咽。僕の胸が激しく痛む。
クラリッサの失踪後――
王家とユクル公爵家は総力をあげてクラリッサの捜索を行った。王都、街、農村をくまなく探し、貴族の許可を得て領地や屋敷内までも探し切った。しかしクラリッサは見付からず……そして失踪から八年後の今、ようやく希望が見えたのだ。
この僕が、必ず真実を突き止めてやる――
僕はユクル公爵と叔母上に、すぐ行動すると約束した。
まず従者サムを呼び出し、サフィル街にある治安官事務所を見張るように命じる。さらに従者ベンをハリオット伯爵家へ小間使いとして侵入させ、クララの情報を集めさせる。十数名の従者には、クララが起こしたという事件を調査させる。
酷く取り乱しているユクル公爵と叔母上には、宮廷で休養を取らせることにした。今後のことを考え、体力と精神力を温存させるべきだ。
叔母上が事件を知ったのは昨日。事件が起きたのは四日前。通常は、犯人拘束から二十日程度で裁判となる。つまり残された日数は、十五日ほど。もし有罪判決を受け、刑が執行されたら手遅れになる。
しかし僕達にできるのは、待つことだけだ。もし拘束されているクララに接触し、クラリッサだと感じても証拠が足りない。クララを公爵令嬢だと認めるには、確実な証拠が必要なのだ。だから僕達は知らせを待ち続けた――
明後日の朝、サフィル街を調査したひとりの従者の伝書鳥が、僕の元へ飛んできた。その足の筒には、重要な手紙が入れられていた。
「何だと……? 老司祭は、治安官に嘘の証言をしたのか……?」
叔母上に事件を語った老司祭は、ハリオット伯爵から金銭を受け取ったらしい。そして“クララがマイルズを犯したことにしなければ、酷い目に遭わせる”と脅されたそうなのだ。
その発言は、従者が聖堂へ大金を寄付したことで聞き出せたようだ。さらに老司祭は、クララは強姦などしていないと語る。従者は目撃者の住民からも、重要な証言を引き出した。クララは、むしろ男達に襲われそうになっていたようだと。
つまりクララは罪を犯していない……ハリオット伯爵に陥れられたのだ。
そして夕方、伝書鳥が二羽飛んできた。ひとつは従者ベンからの手紙で、ひとつは従者サムからの手紙だ。僕はまずベンの手紙を見た。
「何ということだ……! 女中クララの肩にはライオン型の痣があるだと……!? それはクラリッサと全く同じじゃないか……!?」
クラリッサには生まれつきの痣がある。それはライオンが座った形をした薄桃色の痣なのだ。伯爵家の女中によると、クララにはその痣があるという。さらにクララは孤児で、六歳の時に伯爵家へ雇われたらしい。そして“お嬢様だった記憶がある”と周囲に語っていたというのだ――
間違いない! 女中クララは、公爵令嬢クラリッサだ!
すぐに従者サムからの手紙も見る。そこには“翌夕、クララの裁判が行われます。街を騒がせた凶悪犯罪のため、早急に裁くそうです”と書かれていた。この王都からサフィル街まで、馬を駆らせても丸一日かかる。
早く出発しなくては! クラリッサが危ない!
「ユクル公爵! 急いでサフィル街の裁判所へ向かおう!」
「サイラス様……! 必ずクラリッサを救い出しましょう……!」
「ああ、二人共……! どうかクラリッサを守ってちょうだい……!」
クラリッサを陥れたハリオット伯爵を必ず潰す――僕も、ユクル公爵も、叔母上も、言葉を交わさずとも同じ気持ちだった。
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第2話 クララ視点
私は、伯爵家にて女中をしているクララです。私には、とても幸せな……いいえ、とても悲しい記憶があります。
それは、優しいお父さんとお母さんに育てられた記憶です。私は汚い女中ですが、その記憶の中では綺麗なお嬢様なんです。立派なお屋敷で、執事や侍女に可愛がられ、王子様の婚約者までいるんです。
何の記憶なのかなぁ……。私は平民なのになぁ……。窓のないお部屋にいた時から持ってるこの指輪が、お嬢様の証とか……? そんな訳ないよね……――
そう思いつつ、溜息を吐きます。なぜなら皆から愛されていた記憶を思い出すと、とても悲しくなるのです。だって記憶の中の私は、凄く幸せだから。女中をやってる私は、凄く不幸だから。とてもとても辛くて、優しいお父さんとお母さんと王子様に会いたくなってしまうんです。
「おい、クララ? 聞いているのか?」
「すみません……! フィリップ様……!」
私は掃除の手を止め、フィリップ様を見上げました。このお方は、私を雇っているハリオット伯爵様の息子さんです。確か二十九歳だったはずですが、もっと老けて見えます。中年のおじさんみたいです。
「クララ、お前は今年で何歳になった?」
「十二歳です」
「ふむ、良い年頃だ。今夜、俺の部屋に来い。夜伽を命じる」
「よとぎ……? 何ですか、それ……?」
私が聞き返すと、フィリップ様は大袈裟に仰け反りました。
「はぁッ!? お前、夜伽を知らないのか!? 御添寝役だぞ!?」
「添い寝……? フィリップ様はお一人で眠れないのですか……?」
「おいッ! 馬鹿にするなッ! いいか、夜伽と御添寝役とはな……――」
何と夜伽と御添寝役とは、赤ちゃんを作る行為をするお仕事らしいのです。そしてフィリップ様は、赤ちゃんの作り方を語りました。そのお話は、汚くて、恐ろしくて、ぞっとするものでした。しかもそれを私にしてほしいと、ニヤニヤ笑いながら言ってくるのです。
きっと全部嘘です! そうに違いありません!
「そんなの嘘です……! 赤ちゃんは清らかな行為で出来るんです……!」
「はッ! 馬鹿な小娘だなッ! 今ここで分からせてやろうかッ!?」
「いやあッ……いやあああああああああッ!」
私は逃げ出しました。箒を捨てて、スカートを捲り、全力で走ります。逃げる途中に大きな花瓶を倒すと、フィリップ様は足を引っかけて転びました。
今のうちに逃げ切らなくちゃ! 伯爵家の領地の外へ逃げよう!
私は走って走って、サフィル街まで来ました。そして古い聖堂の横にある空き屋へ逃げ込んだのです。壺の横で小さくなって、震えながらお祈りします。どうかどうか誰も追ってきませんように。
でも――
「おい! クララが居たぞ!」
「すぐに捕まえて、屋敷へ戻るぞ!」
それはフィリップ様の手下のマイルズさんとロナウドさんでした。きっと命令されて追いかけてきたんです。そんな二人は怖い顔をして、こちらへ襲いかかってきます。私は横にあった壺を持ち上げ、マイルズさんの頭を思い切り殴りました――
「ぎゃあああああああああッ!」
パリィンと音がして、血が飛び散りました。聖堂からお年寄りの司祭が飛び出してきて、空き家を覗き込みます。
「なんじゃ!? 何が起きておる!?」
「チッ……司祭か……!」
司祭だけじゃなく、近所の人も集まってきたみたいです。私は怖くて怖くて震えていました。血塗れのマイルズさんが、ロナウドさんに何か言っています。
「ロナウド……今すぐ伯爵様に伝えろ……俺はクララを見張る……」
「マイルズ! 分かった! 待ってろよ!」
私はずっと震えていました。そのうち伯爵様が来て、司祭や近所の人にお金を渡します。しばらく経ってから治安官さんが来て、私の両手を縛ります。そして私は馬車に乗せられて、治安官さんの事務所にある牢屋に入れられてしまったのです。
どうして? マイルズさんを殴った罰なの? 襲われそうだったから、自分を守っただけなのに? どうして誰も、私の話を聞いてくれないの?
それから一週間後――
私はサフィル街の裁判所へ連れていかれました。裁判所の中に集まっていた街の人達が、私を指差して叫びます。
「見ろよ! あれが男を殴って犯した小娘だぞ!」
「いかにもやりそうな顔をしているぜ!」
「悪魔め! 死ねばいいんだ!」
え……? 犯すって何……? それ、私がしたの……――?
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第3話 ハリオット伯爵視点
クララが裁判所に現れた――儂はそれを見て、ほくそ笑む。
こいつ、見たところ何も分かっていないな。自分がこれから有罪判決を受けるとは、思っていないのだろう。きょろきょろと周囲を見渡すばかりだ。
やがてクララは被告席に立たされた。原告マイルズも、証人ロナウドも、裁判官も、傍聴人も座っている。自分だけ立たされているのが、不安な様子だ。これから始まるのは公正な裁判官による裁判だが、クララは必ず有罪になる。
やがて木槌が三度打ち鳴らされた。
「静粛に! 静粛に! 静粛に! これより開廷する!」
裁判官がそう宣言し、裁判が始まった。さて、クララはどう裁かれるのか。
「本法廷における審理を主宰するのは、この私リチャード・フレッカー裁判官である。原告は前に出て、女神像へ宣誓せよ」
「原告マイルズ・ミルは女神様に誓って、この法廷で真実を述べると誓います」
「宜しい。廷吏は罪状を読み上げよ」
そして廷吏が声を響かせる。
「罪状を読み上げます! ハリオット伯爵家の女中クララは、同じく伯爵家の小間使いマイルズ・ミル氏を空き家に呼び出し、その頭を壺で殴りました! そして身動きできないマイルズ・ミル氏を性的に辱めたのです! 傷害及び強姦の罪です!」
その罪状に傍聴人が、大きくどよめいた。ふふ、そりゃあそうだ。十二歳の小娘が、二十五歳の男を犯したのだ。どうだ? 儂が考えた罪は、最高の見世物だろう?
その時、クララが手を上げて発言した。
「あのう……性的に辱めたって何ですか……?」
儂は、吹き出しそうになった。馬鹿な小娘が! お前に発言権はない!
「被告クララは、本法廷で発言してはならん。一度でも嫌疑をかけられた者は、法廷での発言権を失う。発言したければ、弁護人に頼むがよい」
「べんごにん……? どうやって頼むのですか……?」
「金銭を支払って依頼するのだ。裁判の前に雇わなかったのか?」
「はい……雇ってません……。お金がないので……」
「ならば、発言はできない」
今にも笑いそうだった。指を差して笑いたかった。しかし儂は膝を揺らして堪える。しかしマイルズが証言を始めると、儂はついに笑ってしまった。
「事件が起きたのは五日前の夕方です。俺はクララから“大切な話がある”と書かれた手紙をもらい、サフィル街の空き家に呼び出されました。そしてひとりで行くと、いきなり頭を殴られたのです。クララはそうやって自由を奪うと、俺のズボンを降ろしました。そして自らのスカートを捲り上げて……あぁ……――」
そこでようやくクララが青ざめた。おやおや、流石に分かったのか。可哀想に。
そのまま裁判は進んでいった。空き家に駆けつけたロナウドの証言、治安官が近隣住民に聞き取りを行った際の調書、殴られた傷の診断書……クララを有罪にするための証拠はいくらでもあった。
そして裁判官が、木槌を鳴らした。
「静粛に! 静粛に! 静粛に! 本法廷は、被告クララが原告マイルズ・ミル氏に対し、傷害と強姦を行ったものと認定する! よって原告側の勝訴! 被告側には、絞首刑を言い渡す! 幼くも恐ろしき犯罪者よ! 死をもって罪を償え!」
やった! やってくれた! 裁判官はまんまと有罪判決を下してくれた! クララを見ると、顔面蒼白で震えていた。
「絞首刑って……もしかして縛り首のこと……? 私、死刑なの……?」
クララは涙を流し、その場に崩れ落ちる。
「首吊りで死ぬの……? 嘘ですよね……? あ、あのう……嘘ですよね!? 全部嘘なんですよね!? うっ……ううぅ……嘘だぁ……! 嘘って言ってよぉ……! いや……いやあああああああああああああああッ!」
これでユクル公爵とポーラの娘はお仕舞だ! この儂に屈辱を与えた夫妻の娘は、死刑となる! この光景を、夫妻に見せてやれないのが残念だ!
最高の気分だった。今すぐに立ち上がって、クララに罵声を浴びせてやりたかった。しかし今はじっと我慢して、閉廷を待つしか――
「待てッ! その判決は、間違っているッ!」
「その通りだッ! 今すぐ彼女を解放しろッ!」
突如、裁判所の扉が開き、身なりの良い紳士と見目麗しい少年が飛び込んできた。金髪に夕陽色の瞳をした紳士。銀髪に瑠璃色の瞳をした美少年。少年は身元が分からないが、この紳士はよく知っている……! なぜここにいるのだ……!?
紳士は裁判官に歩み寄り、声を上げる。
「裁判を無効にせよ! 被告クララは八年前に失踪した私の娘だ! 真の名前はクラリッサ・エーメナー・ユクル! クラリッサは紛れもないユクル公爵家の嫡女であり、王家の血を引く者である! 被告は平民ではなく公爵令嬢である!」
その言葉に、儂は凍り付いた――
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第4話 王子サイラス視点
僕とユクル公爵が裁判所に乗り込み、クラリッサの裁判を無効にしろと訴える。すると裁判官は立ち上がり、大いに狼狽えた。
「なっ……!? 裁判を無効にしろですと……!? あなたは……――」
どうやら裁判官は、目の前の紳士がユクル公爵であると判断できないらしい。平民であるため、貴族に詳しくないのだ。
「あなたは本当に公爵ですか!? 身分を証明するものを、お持ちですか!?」
「ユクル公爵家当主の証であるブローチを持っているが、裁判官には判断できないでしょう。それより、傍聴席に貴族がいます。彼に証明してもらいたい」
ユクル公爵はそう提案して、ハリオット伯爵を見た。するとでっぷり太った伯爵は、ばつが悪そうに立ち上がる。
「これはこれは! ユクル公爵様! なぜこのような裁判に?」
「たった今、事情を述べたはずだが? ハリオット伯爵」
「はは! 聞いておりませんでした!」
ふざけた狸め……。すぐに化けの皮を剥がしてやる……。僕が歯噛みしていると、ユクル公爵が裁判官に尋ねた。
「裁判官は、サフィル街の隣りに領地を持つハリオット伯爵を知っているはずだ。その彼が私を公爵と認めたが?」
「はい、公爵様と確認できました……! しかし被告は……」
「被告クララは、クラリッサと同じ髪色と瞳色をしており、特徴的な痣がある。外見が完全に一致し、年齢も同じ。さらにクララは孤児で、公爵令嬢だった記憶もある。裁判官は被告クララを、失踪したクラリッサと認めるか?」
「そ、それなら……間違いないかと……」
「では、裁判は無効だな?」
裁判官は息を飲み、返答する。
「確かに……被告クララが、公爵家のご息女様ならば無効のはずです……! 平民は通常の裁判所にて裁かれ、貴族は貴族院にて裁かれる……それが、我が国の決まりだからです……!」
裁判官は動揺しているらしい。我が国では、爵位保有者の伴侶と実子も貴族院にて裁かれるという答えで正しいのだ。しかしハリオット伯爵は、そんな決まりを知ってか知らずか、得意げな態度で口を挟んだ。
「おやおや? 公爵令嬢は法律的には平民でしょう? 爵位を持っているのは、父親であるユクル公爵様だけのはずですよ? ならば、この裁判は有効では?」
おおッ……と傍聴人が騒めいた。どうやらこいつらは判決を覆されたくないらしい。十二歳の少女が、無残に絞首刑となるのを見届けたいのだ。
「ぐははッ! 公爵令嬢と言えど、所詮平民ですよッ!」
ハリオット伯爵は調子に乗っている。許せなくなった僕は、即座に反論した。
「その言い分は、国の決まりとは違う! さらに、クラリッサは平民ではない!」
「何だと……!?」
「ユクル公爵は、父親から爵位継承した! しかし母親も爵位を有していたのだ! クラリッサの祖母は亡くなる前、侯爵の爵位を孫娘に譲った! つまりクラリッサは公爵令嬢であり侯爵である! 貴様よりも地位の高い少女なのだ!」
裁判所が、静まり返った。ハリオット伯爵の顔がみるみる赤くなっていく。
「く、くそ……! この餓鬼……伯爵である儂を愚弄するなんて……!」
「何を言っている? 僕を誰だと思っているのだ?」
「はッ! 公爵家の従者だろうが!」
僕は溜息を吐き、正体を明かす。
「では、名乗らせてもらおう。僕はこの国の第二王子サイラス・リア・ファラクトだ。ここにいる公爵令嬢クラリッサの婚約者である」
そう名乗った瞬間、裁判官が法壇から飛び出して跪いた。それを目にした傍聴人も、慌ててその場に平伏す。ひとりハリオット伯爵だけが立ち尽くしていた。
「何だと……あの引き籠りの第二王子……!?」
「さて、話は終わりだ。クラリッサを返してもらう」
僕とユクル公爵は被告席へ近付いて、クラリッサの様子を伺う。彼女は大粒の涙を零しながら、祈るように両手を握り締めていた。
「私が公爵令嬢で……王子様が婚約者……? あの記憶は嘘じゃなかったの……?」
ああ、クラリッサだ――
僕は、胸から込み上げてくる激情を押さえつける。この優しい目元、ほんのわずか首を傾げる癖、可愛らしい声色……間違いない。やっと見つけた。
僕は片時も、クラリッサを忘れはしなかった。
あまりに幼い恋であったが、心からクラリッサを愛していた。
失踪から三年経つと、新しい婚約者を選ぶべきだと家臣より進言されたが、全て断った。令嬢達からの誘惑も、求愛も、何もかも断った。僕が心から愛する少女は、クラリッサひとりだけだ。僕の婚約者は、目の前のクラリッサしかいない。
ユクル公爵も瞳を揺らしながらクラリッサを見詰め――抱き締めた。
すると彼女は目を大きく見開き、そのまま気を失ってしまった。僕達はクラリッサを抱きかかえ、裁判所を後にする。ここに用はない。二度と来ることはないだろう。扉を閉めると、ハリオット伯爵の怒り狂う声が響いてきた。
「クソクソッ……! 儂の女中を取り上げおってッ……! 必ずクララを取り戻し、地獄を味わわせてやるッ……! 公爵とサイラス……今に見てろよッ……!」
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第5話 クラリッサ視点
目を覚ますと、綺麗な天井が見えました。
ここは記憶の中のお屋敷でしょうか? もしかしてお父さんとお母さんがいるんでしょうか? 私はゆっくりと体を起こします。
「ああ、目覚めたのね? 可愛いクラリッサ」
「起きなくても、いいんだよ? ベッドに横になっていて」
そう言ってくれたのは、記憶と変わらないお父さんとお母さんでした。今にも泣き出しそうな表情で、笑っています。その後ろには綺麗な男の子が立っていて、同じく微笑んでいました。
「あ、あの……私のお父さんとお母さん……そして王子様ですか……?」
そう質問すると、三人は涙ぐみました。
「そうだよ、君の父上だよ……! 分かるのかい……?」
「ええ、えぇ……! あなたのお母様ですよ……!」
「僕は婚約者のサイラスだよ……! クラリッサ……!」
お父さんとお母さんが、私を抱き締めます。二人の体はとても優しい温もりがして、私の中で何かがプツンと切れてしまいました。
「あ、あああぁ……うわあああああああああん! お父さん……! お母さん……! 怖いよぉ……首を吊って死ぬなんて嫌だよぉ……! 死刑になるのは嫌ぁ……!」
「大丈夫、大丈夫だよ! クラリッサ!」
「その通りよ! もう怖くないのよ!」
「でも……でもぉ……私は汚い女中で……罪人で……――」
私が泣き続けていると、サイラス様がそっと声をかけてくれました。
「裁判は無効になったんだよ。ここは安全な場所なんだ。君のことは、ご両親と僕が守るからね? 他にも大勢の味方がいるんだよ? それに君はもう女中ではないし、罪も犯していない。君はクララではなく、皆から愛されるクラリッサなんだよ」
「ク、クラリッサ……? 私が……?」
「そうだよ。愛しいクラリッサ」
優しく笑っているサイラス様は、とても綺麗です。ぼんやり見惚れていると、執事さんがやってきて美味しいジュースをくれました。それは薬草の匂いがして、飲んでいると眠くなってきます。私はベッドに横になり、少しだけ笑って言いました。
「そっか……私はクララじゃなかったんだ……。クラリッサなんだ……」
そしてクララだった私は、クラリッサに戻ったのです――
………………
…………
……
裁判から九日が経ちました。
私は少しずつ元気になってきました。でも“まだまだ痩せているから、栄養のあるご飯をいっぱい食べないといけないよ?”とお医者様に言われています。だから今日も、料理長さんが腕によりをかけた料理が次々と運ばれてきました。
「わあ、可愛い……!」
ピンクのケーキを見るなり、私は驚きます。スカートが丸いケーキになっていて、その上に砂糖菓子で出来たお姫様の体が乗っているんです。私がケーキを眺めていると、お母様が微笑みました。
「あら? ケーキが気になるの? お腹を壊さないように油を控えめにして作らせてあるから、安心して食べてちょうだいね」
「はい……いただきます……」
私は礼儀作法を知りません。だから少しずつ丁寧に食べました。あまりの美味しさに、頬っぺたと耳の間が痛くなります。
「美味しい……! お父様とサイラス様にも食べてもらいたいです……!」
「うふふ、お二人のご用事が終わったら、一緒に食べましょうね?」
「ご用事……? それは、どんなものですか……?」
そう尋ねるとお母様は戸惑って、少し間を空けてから答えてくれました。
王家とユクル公爵家は、ハリオット伯爵が私を誘拐したんじゃないかと、疑っています。だからお父様とサイラス様は、ハリオット伯爵が私を誘拐した証拠を探しているそうなんです。その証拠を見つけないと、伯爵を完全に倒すことができないらしいんです。女中だった私を死刑にしようとした罪だけでは、牢に入れられても何十年かしたら戻ってきてしまうって――
「ねえ、クラリッサ。何か手掛かりになることを覚えていないかしら?」
「えっと……私は女中として働き始める前、一年か二年、窓のない部屋に閉じ込められていました……。そして目隠しをされてハリオット伯爵家に連れてこられて、女中になったんです……」
「窓のない部屋ですって? それは地下部屋かしら? ハリオット伯爵はクラリッサを地下に隠し、捜索の手を逃れていた可能性があるわね。良かったら、覚えていることをもっと話してくれる?」
そして私は必死で記憶を手繰り、証拠を探そうとします。きっと何かあるはずです。私は思いつくまま、お母様に話しました。
「執事ウィリアムさんは私を可愛がってくれましたよね? それと侍女キャシーも。あとは侍女ソフィに抱っこされて屋敷の裏側に行ったことがあるのですが……」
「ちょっと待ってちょうだい。屋敷の裏側って隠し通路のこと? なぜ侍女が、公爵家の秘密を知っているの? まさかソフィが、あなたを攫ったのでは――」
それからすぐお父様とサイラス様が帰ってきました。そして侍女ソフィとお話をしてから、私のお部屋を訪ねてくれたのです。するとお父様が私をぎゅうっと抱き締め、サイラス様が瞳を輝かせながら私の手を握りました。
「これでハリオット伯爵家はお仕舞だ! 心配の種は消えた! あいつらは二度と、クラリッサに手出しできない……良かった……本当に良かった……」
本当でしょうか? 本当に大丈夫なのでしょうか? 私の胸の奥に、モヤモヤしたものが残っていました。
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第6話 ハリオット伯爵視点
裁判から十日後――
ユクル公爵家の屋敷前に降り立つと、儂は口の片端を持ち上げた。
儂はユクル公爵よりも賢い。そして男前で、女に好かれ、人間として格上である。そんな完璧である儂が、あの男に負ける訳がない。すぐに地獄を見せてやる。
「ハリオット伯爵だ。公爵に会わせろ」
「しかし……ご約束のない方との面会は……」
「いいから、伝えろ。“大事な客を連れてきた”とな」
門番は狼狽えていたが、数分もすると門を開けることになった。儂はひとりの小娘を連れて屋敷へ歩いていく。ほら、簡単だ。ユクル公爵は馬鹿なのだ。まんまと儂の計画に嵌り、クラリッサを手放すに違いない。
その計画とは、愛娘交換作戦。連れてきたのは、クラリッサにそっくりな小娘だ。勿論、厳しい演技指導もしてある。愚かなユクル公爵とポーラは、こっちが本物だと思って交換を持ちかけるに違いない。あいつらは可哀想なくらい馬鹿だからな。
それはそうとして、第二王子が現れたのは予想外だった――
だが、サイラスが権力を振るおうとも、婚約者であるクラリッサを楯にすれば助かるだろう! 生意気なクラリッサは、死ぬまで儂の切り札となるのだ!
やがて屋敷へ入ると、ウィリアムと名乗る執事が現れた。そいつは、ユクル公爵と夫人に会えると伝えた後、こちらを睨み付けて無礼な発言をした。
「ハリオット伯爵様、くれぐれも失礼のないようにお願い致します」
「はッ! 執事の分際で何を言っておる! さっさと部屋に入れるがいい!」
「忠告は致しましたよ」
そして執事の手により、扉は開かれた――
応接間には、ユクル公爵とポーラ。それと、ひとりの美丈夫が座っていた。
「ハリオット伯爵。久しぶりだな?」
「丁度お会いしたいと思っていたのですよ?」
ユクル公爵とポーラが、笑顔を浮かべている。儂は何が起きているのか理解できず、もうひとりの人物を何度も見直していた。
「ハリオット伯爵か。立っていないで、私の正面に座るといい」
そして儂は理解した。
この相手が誰なのかを。
「こ……これはッ! 国王陛下ッ! なぜここにいらっしゃるのですッ!?」
ブルーノ・ルラ・ファラクト――なぜか我が国の王が、応接間に居た。
「妹の嫁ぎ先に、兄がいるのはおかしいだろうか? なあ、ポーラ?」
「少しもおかしくありませんわ。兄上は重要な報告を聞くため、わざわざ足を運んで下さった優しいお方です。あなたもそう思うでしょう? ハリオット伯爵」
「は……はい……! 仰る通りで……!」
「そうか。では、座るがいい」
儂の全身から汗が吹き出し、膝が震え始めていた。駄目だ、もう駄目だ。ずる賢いこいつがいるのなら、考えてきた計画は失敗だ。クラリッサという人質を手に入れてから、こいつを翻弄してやるつもりだったのに――
ゆっくりと国王の前に歩み出ると、正面の椅子に腰かける。相手の油断できない瞳が、こちらを向いている。どうにか乗り切らねばならん。
「ユクル公爵様……! 本日は、謝罪のため訪問致しました……! 先日の裁判では、大変な失礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした……!」
「いや、私は失礼なことなどされていないが?」
「えぇ……? お忘れですか……?」
「何をだ?」
駄目だ! 誤魔化せない! どうしたら切り抜けられるのだ!? 狼狽えていると、国王が連れてきた小娘を指差した。
「それにしても、背後の娘は誰だ? 私はその者が気になるのだが?」
「国王陛下がお気になさる相手ではございません……!」
「そこの娘。ローブを脱ぎ、こちらに顔を見せよ」
儂の心臓が大きく波打つ。やめろ! やめてくれ! 顔を見せるな!
しかし小娘は、ローブを脱いでしまった。十二歳という年齢。金髪と夕陽色の瞳。肩には、ライオン型をした焼印が押してある。どこからどう見ても、クラリッサだ。こいつを目にしたユクル公爵とポーラは取り乱すはずだった。
しかし二人は……この儂を睨み付けた。
「クラリッサとそっくりな娘とは、一体どういうつもりだ?」
「まさか交換するつもり? 私達を馬鹿にしているの?」
なぜだ!? なぜ騙されない!?
「ハリオット伯爵。何のつもりで、私の姪であるクラリッサに似た娘を連れてきたのだ? ここまで似ているということは変身魔法を使ったな? 答えるがいい」
「ひっ……そっ……れは……――」
落ち着け! 落ち着け! 儂よ、落ち着け! きっと抜け道はあるぞ! 馬鹿共を黙らせるのだ! 言い訳なら、いくらでも思い付く!
「実は……クラリッサ様の影武者として、この娘を連れてきたのです! ユクル公爵様の大切な愛娘が、また危険に晒されたら困るでしょう!? いざという時は、この娘を犠牲にすればクラリッサ様は助かります!」
「ほう、影武者か」
「その通りですッ! 国王陛下ッ!」
上手くいった……上手くいったぞ! 儂は危機を切り抜けた!
しかし――
「お父様ぁ……! お母様ぁ……! クララはおやつが食べたいよぉ……! お腹と背中がくっついちゃうよぉ……! ふえぇぇぇん……」
小娘は“ローブを脱いだら、四歳児の演技をしろ”という儂の命令を、最悪なタイミングで実行した。幼い頃のクラリッサを思い出させて、ユクル公爵とポーラの親心をくすぐる作戦だったのだが、それが仇となってしまった。
応接間には、得体の知れない空気が流れていた。
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第7話 伯爵令息フィリップ視点
ユクル公爵家の屋敷前に降り立つと、俺はふふんと鼻を鳴らした。
父上の馬車に同乗してきて良かったぜ。クララが戻ってきたら、キツいお仕置きをしてやる。夜伽を断り、この俺を転ばせた罪を償わってもらわないとなぁ?
俺は待っている間、公爵家を柵沿いに散歩することにした。それにしても、だだっ広い屋敷だな。苛々してくるぜ。やがて薔薇園へ差し掛かると、面白いものが見えた。それは銀髪に瑠璃色の瞳をした少年が、クララに愛を囁く光景だった。
「覚えているかい? クラリッサは四歳、僕は七歳だった。君は優しくて、可愛くて、いずれ結婚できると思うと嬉しくて仕方なかった。だから“好きだよ”といつも言っていた。勿論、今も好きだよ?」
「そ、そんな……――」
「僕の愛情が信じられない?」
「いえ……サイラス様は、私がいない間も婚約者でいてくれたんですよね……」
「そうだよ。君以外の子を好きになるなんて有り得ないからね」
ケッ! 反吐が出るぜッ!
クララと少年は、俺に気付くことなく会話を続けている。この甘ったるい空気を、今すぐ壊してやらなければ。俺は助走をつけて跳ぶと、柵にしがみ付く。そして柵を激しく揺すったのだが……頑丈で全く揺れない。だから大声で叫んだ。
「おいッ! 馬鹿クララッ! おいおいッ! こっちを向けッ!」
するとクララは顔を上げ、身構えた。
「あ、あなたは……フィリップ様……!?」
「はははッ! そうだッ! お前のご主人様だッ!」
やったぞ! 俺に気付いた! さあ、心に傷を負わせてやる!
柵を越えることはできないが、言葉で虐め抜くことは可能だ。俺は頭を回転させて、嫌がらせの台詞を考える。すると素晴らしいアイディアが次々と浮かんできた――
“クララは俺のことが大好きだったよなぁ? いつも俺と手を繋ぎ、「お兄ちゃん」と呼んでくれたよな? 毎日同じベッドで寝ていたよなぁ? 結婚するって約束しただろ? なあ、俺を公爵様にしてくれよ? 俺だけのクララ……――”
こんな嘘を吐けば、クララは顔を真っ赤にして泣くに違いない! ついでに、愛を囁いていた婚約者らしき少年も弄り倒そう!
“少年! クララは淫乱だぞ? 何度も俺と寝たボロボロの中古品だ! お下がりが欲しいと言うのなら、くれてやる! ついでに、クララの初めても教えてやろう! あの夜、俺達は深く深く愛し合って……――”
この嘘に、少年は激昂して言い返してくるだろう! そんな最低な姿を見せてやり、クララに精神ダメージを与えてやる! お前らの恋愛は終わりだ!
そして俺は考えた台詞を口にしようとした。
しかし――
「急いで! 早く屋敷へ戻るんだ!」
少年はそう叫ぶと、クララの手を引いて屋敷へ駆け出した。その動きは無駄がなく、まるで訓練された兵士のようだった。やがて二人は、この俺が考えた言葉をひとつも聞くことなく姿を消した。
「な、何だあいつら……。素早過ぎるだろう……――ぐわッ」
その途端、俺は柵から引き摺り下ろされた。そして左右から両腕を掴まれる。横を見ると、屈強な騎士達がこちらを睨んでいた。
「我々はユクル公爵家を警備する騎士団だ。貴様は何者だ?」
「えっ……えっと……俺はぁ……」
目を泳がせていると、さっきの少年がひとりで戻ってきた。そして俺がしがみ付いていた柵に足をかけると、軽々と飛び越えて敷地外の道へ降り立った。
おいおい……!? この柵、俺の身長の二倍はあるんだぞ……!?
「貴様が、ハリオット伯爵の息子フィリップか」
それは地を這うような低い声だった。その威圧感に、一瞬だけ怯んでしまう。だが、俺は気を取り直し、さっき考えた台詞を口にする。
「そ、そうだ! 俺がフィリップ様だ! ところで、少年! クララは淫乱だぞ? 何度も俺と寝たボロボロの中古品だ! お下がりが欲しいと言うのなら……」
それ以上、言えなかった。
少年の瑠璃色の瞳が、冷たく光っている。
「どうした? 続きを言わないのか?」
「うううぅ……俺はっ……俺はっ……――」
怖い。怖くて堪らない。なぜ喋れないんだ。なぜ動けないんだ……いや、分かっている。少しでも動いたら腰に下げた剣で斬られると、直感しているのだ。
「貴様はクラリッサに夜伽を命じたらしいな? さらには、彼女を愚弄するのか? 幼き者を虐げることでしか、矜持を保てないのか?」
くそぉ……馬鹿にしやがって……こんな餓鬼に負けるはずがない!
全力で暴れて、二人の騎士の腕を振り解く。こいつはこの俺に、殺気を抱いている。殺されるくらいなら、殺してやる。俺は相手の喉笛を食い千切ろうと、歯を剥き出し、飛びかかるが――
「グッ……ギャアアアアアアアアアッ!?」
少年の剣が、俺の太腿を貫いていた。
「公爵家の騎士団よ、こいつの止血をして公爵家の応接間へ運べ」
「はッ……! ご指示に従いますッ……!」
応接間だとぉ……!? そこには俺の父上がいるはずだ……! この糞餓鬼、絶対に父上に殺してもらうからな……! 覚悟しろよ……!
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第8話 王子サイラス視点
僕は応接間に入り、父上とユクル公爵と叔母上に告げた。
「ハリオット伯爵家のフィリップを捕らえました。こいつは柵にしがみ付いて侵入を試みた上、庭にいたクラリッサを罵り、僕に襲いかかってきました」
するとハリオット伯爵が、汗まみれの顔をこちらに向けた。
「何ですと……!? 息子がそんなことを……!?」
「ああ、僕の首を噛もうとしたので、足を剣で貫いた」
そして騎士に指示し、フィリップを連れて来させる。喚き散らしてうるさいので、口には猿轡が噛ませてあった。太腿は止血済みで、少しだけ血が滲んでいた。
「あああぁッ! フィリップうううぅッ! 可哀想にッ!」
「むぐ……むぐぐうぅ……!」
うるさい親子を無視し、僕は父上に尋ねた。
「……それで、ハリオット伯爵は何用で来たのです?」
「サイラスよ、我々はもう我慢の限界だ」
「それはなぜですか? 父上」
どうやらハリオット伯爵は、連れてきた少女とクラリッサを交換しようとしていたらしい。それなのに、“この娘は影武者として進呈しようとしたのだ!”と譲らないそうだ。その最中に、僕が現れたのだ。
父上も、ユクル公爵も、叔母上も、これ以上は我慢の限界だと言う。僕もその気持ちに賛同した。この狸には、そろそろ致命傷を負ってもらわねばならない。
そしてユクル公爵が頃合いを見計らって口を開いたのだ――
「ところで、ハリオット伯爵。少しクラリッサの話しをしても良いかな?」
「はぁ? 息子が大怪我をしているので、今すぐ病院に……」
「実は、クラリッサを誘拐した犯人が分かったのだ」
するとハリオット伯爵は硬直し――その直後、笑った。
「ははは! そうですか! それは良かったですな!」
「そうだろう? では、犯人の行動を語っていこうか。まず、そいつは公爵家の侍女に近づいた。そして公爵家の一人娘を攫えと命じる。すると運がいいことに、侍女は誘拐を完璧にやってのけた。二年もの間、犯人は屋敷の地下部屋に娘を隠し、王家と公爵家の捜索を逃れる。やがて娘は地上に戻され、犯人の家に女中として雇われた」
ハリオットは笑うのをやめた。しかしまだ何も言わない。
「犯人は娘を虐め抜き、犯人の息子は娘に夜伽を命じた。しかし娘に逃げられたため、手下達へ探すように命じた。その手下達は娘を襲おうとしたが、反撃にあった。それを知った犯人は目撃者に金を配り、そして娘が男を殴り強姦したと証言しろと脅したのだ。そして娘は裁判にかけられ、死刑判決を受けることとなった」
はぁ……と深いため息が聞こえた。それは僕達のものではなく、ハリオット伯爵が吐いた溜息だった。
「おやおや? ハリオット伯爵にとっては退屈な話かな?」
「ええ……ユクル公爵様の妄想に付き合う気はありませんので……」
「なるほど。それでは、その妄想と今ここで向き合ってもらうとしよう」
ユクル公爵が執事に指示すると、しばらくして侍女ソフィが入室した。ハリオット伯爵の顔色が変わる。
「我が公爵家の侍女ソフィだ。クラリッサが失踪した一年後に仕事を辞めた。しかし再び戻ってきて侍女として働いている。そうだろう?」
「はい……どうしてもお金が必要で……」
「なぜ金が必要なのだ? 最初から語ってくれるか?」
するとソフィは頷いた。
「私の祖父はこのお屋敷の手入れをする職人でした……。そのため、私はここの侍女になることができたのです……。でも八年前、ある貴族様が求婚してくれました……。私はその方の命令に従い、クラリッサ様を誘拐しました……」
そこで叔母上がソフィに尋ねた。
「あなたは祖父に聞いて、この屋敷に隠し通路があることを知っていたのね?」
「その通りです……。誰にも見られないように、隠し通路を通ってクラリッサ様を外へ運び、魔法での捜索を防ぐために魔法除けの指輪を持たせ、貴族様のお屋敷の地下部屋へ閉じ込めたのです……。その後、貴族様の命令通り侍女を辞めました……」
「用意周到で完璧な犯罪だわ。魔法除けの指輪は高かったでしょう?」
「はい……全財産を使い……借金までしました……」
「それでお金に困り、また戻ってきたのね?」
そこでソフィは声を震わせ、泣き出した。
「そうです……その通りです……! それなのに……その貴族様はいつまで経っても結婚してくれません……! だから……だから……もう終わりにしましょう……! ハリオット伯爵様……――」
僕達は、ソフィに名を呼ばれた人物を見た。ハリオット伯爵は、顔を真っ赤にして震えていた。
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第9話 ハリオット伯爵視点
「ふざけるなッ! 儂はこんな侍女知らんッ! 全部嘘だッ! でっち上げだッ!」
頭の中が真っ白だ。全身が熱い。喉が渇く。
「あなたが知ろうが知るまいが、裁判において侍女の証言は有効だ。我々は貴族院の裁判にて、あなたとその息子を裁いてもらうつもりだよ」
「何だとッ! フィリップまで裁く気かッ!」
こいつらは最低だ。人間の屑だ。罪のない息子まで裁くとは――
「当然ですわ。フィリップは重罪人ですから」
「何だとッ!? フィリップは純粋無垢な天使だぞッ!?」
するとユクル公爵とポーラが顔を見合わせ、国王が溜息を吐いた。サイラスなどは瞳に怒りを宿し、こちらを睨んでいる。何なんだ! 嫌な奴らめ!
「知らないのなら、教えてあげるわ。フィリップは少女を弄ぶ趣味の持ち主なのよ。貧しい農家から少女を攫い、慰み者にしていたの。しかも攫った少女三名を死に至らしめた。四日前、夫とサイラスが調査をして証拠を掴んだの」
ポーラの発言に、儂の息が止まった。
「は……? 何だと……?」
「フィリップは殺人犯よ」
儂は背後にいるフィリップを振り返った。あいつは目を泳がせながら、何度も瞬きしている。兎に角、話を聞いてやらなければ。儂は騎士に「息子の猿轡を外してくれ」と頼む。すると騎士は、ユクル公爵から許可をもらって猿轡を外した。
「プハッ……父上! 違うんです! 俺は少女を殺していない!」
「おぉ、そうか……? そうだよなぁ……?」
しかしユクル公爵が反論する。
「それは嘘だ。マイルズとロナウドを問い詰めたら、白状したよ。フィリップが殺害した少女を埋める手伝いをさせられたとな。二人は私達に証拠品の写真を渡し、貴族院の裁判でも証言すると約束した。そしてこれが写真の一部だ」
ユクル公爵がテーブルに写真を置く。儂はすぐさま駆け寄って、その写真を見た。そこには、フィリップの部屋で倒れている裸の少女が映し出されていた。
嘘だろう……? 全部嘘なんだろう……? 嘘だと言ってくれ……――
しかし事実を否定してくれる者は現れない。重苦しい沈黙が、支配するばかりだ。全身から嫌な汗が噴き出す。目が乾いて視界が霞む。口の中が乾き切って喋ることができない……やがて沈黙は破られた。
ユクル公爵が忌々し気に口を開く。
「父親は、公爵令嬢の誘拐を指示して、死刑になるように計らった」
ポーラが眉を顰めて囁く。
「息子は、少女を三人も殺して、公爵令嬢まで犯そうとしたわ」
国王が冷たく言い放つ。
「それらの罪ならば、父親は無期投獄となって永久労働の刑か死刑だな。息子は局部を切り落としたのち死刑だろう。そんな判決が下されるはずだ」
サイラスが無慈悲に告げる。
「父親は良くて投獄、悪くて死刑。息子は死刑確実か。つまりハリオット伯爵家は、これで終わりということだ」
ぐにゃりと現実が歪む感覚が襲ってきた。その気味の悪い感覚に身を任せていると、ふつふつと怒りが湧いてきた。こいつら、偉そうだ。こいつら、悪人だ。むしろ儂は被害者なのだ。なぜなら、ユクル公爵とポーラは、儂の心を切り裂いたのだから。
「お前らが悪い……」
そう呟くと、その場の全員がこちらを見た。
「儂は誰よりも賢く、男前で、女に好かれる完璧な紳士だ。王女ポーラも儂のことを愛していた。ポーラは儂のことだけを見ていたのに、ユクル公爵と結婚した。だから儂は、お前らの最愛の娘を奪ってやった、やったのだッ……――」
咽び泣きながら、言葉を続ける。
「わ、儂の犯罪は完璧だったッ! お前らは八年も、娘を見つけられなかったッ! この儂の凄さが分かったかッ! この愚か者共めがッ!」
応接間に、何度目かの沈黙が流れた。どうだ。お前らの罪が分かったか。お前らは最低な人間なのだ。儂は、ユクル公爵とポーラに憎しみを込めて視線を送る。するとポーラが目を細めて、口を開いた。
「私は、あなたなど見ていない。ましてや、愛してなどいない。私は夫であるユクル公爵だけを愛しているわ。それに、私達が八年も娘を見つけられなかったのは、侍女ソフィの犯行が完璧だったからよ。あなたは、ただの馬鹿でしょう?」
「ポーラ……な、何を言って……――」
「名前を呼ぶのは、お止めなさい。この痴れ者が」
その氷のように冷たい表情を見た途端、儂の心が張り裂けた。ポーラは儂を愛していなかった? 儂の勘違いだった? それでは、儂の犯罪は無意味だったのか……? それなのに、罰を受けねばならないのか……――
「うぐぅ……うがあああああああああああああああぁぁぁッ!」
もう何も分からない。もう何も聞きたくない。もう嫌だ。
「騎士よ、ハリオット伯爵を捕らえよ。すぐに治安官を呼び、受け渡せ」
「はッ! 国王陛下のご指示に従いますッ!」
「うがあああッ! うがああああああああああああッ!」
………………
…………
……
それから一ヶ月間――
儂とフィリップは貴族牢に閉じ込められた。
牢で過ごす時間は、あまりに苛酷だった。儂は自分自身の閉ざされた未来に絶望し、フィリップは死の恐怖から逃れようと喚き散らす。しかし儂らは必死に励まし合った。きっと大丈夫だと慰め合った。きっと無罪判決が言い渡されると――
そして貴族院にて裁判が行われた。
その判決は……――
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第10話 王子サイラス視点
ハリオット伯爵とその息子フィリップが拘束されてから一ヶ月後――
貴族院にて、裁判が行われた。
ハリオット伯爵は……王家の血を引く公爵令嬢クラリッサの誘拐を指示したこと、彼女を女中として雇って虐待したこと、彼女を死刑にするため目撃者に賄賂を渡したこと、マイルズとロナウドに嘘の証言をさせて法廷を欺いたこと、さらにクラリッサそっくりの少女と本人を交換させようとしたこと、領民である少女に変身魔法をかけさせてその肩に焼印を押したことなど……多くの罪に問われた。
フィリップは……貧しい農村から少女を十八人も攫ったこと、その少女達を辱めたこと、そしてそのうちの三人を死に至らしめたこと、そしてクラリッサに夜伽を命じたこと、公爵家に侵入しようとしたこと、王子である僕へ襲いかかったことなど……こちらも多くの罪に問われた。
そして裁判長である貴族院の議長は、そんな二人に有罪判決を下した。
「判決を言い渡す! ハリオット伯爵並びにその息子フィリップは有罪! ハリオット伯爵は爵位を剥奪した後、絞首刑に処す! フィリップは去勢を施した後、同じく絞首刑に処す!」
「い、嘘だ嫌だ嫌だ……嘘だろう……? どうして誰も助けてくれないんだ……? どうして儂が死刑なんだ……? 死刑はクララだろうが……――」
「うわあああああああああッ! 嫌だあああッ! どうして去勢されて、死なないといけないんだあああッ! 俺はッ……俺はッ……うぐぅぅぅ……――」
二人は泣き喚き、フィリップは失禁までした。
それにしても――
ハリオット伯爵も、フィリップも、これで分かっただろうか。幼いクラリッサが、どれほど恐ろしい目に遭ったのか。いいや、こいつらには分からないだろう。冤罪で死刑を宣告される恐怖は、こいつらみたいな下衆に味わうことはできない。なぜなら、こいつらは罪を重ね過ぎている――
その後、マイルズ、ロナウド、老司祭、事件を目撃した住民、そして侍女ソフィの裁判も、平民のための裁判所で行われた。
マイルズとロナウドは、法廷で嘘の証言をしたこと、フィリップの犯罪を手伝ったことを罪に問われた。しかしフィリップの犯罪を告白し、貴族院の裁判にて証人となったことから、減刑された。死刑は免れて、無期投獄及び永久労働の刑となった。
老司祭と目撃者の住民は、ハリオット伯爵から金銭を受け取り、嘘の証言をしたことを罪に問われた。しかし脅されていたこともあって、罰金だけで済んだ。
侍女ソフィは、クラリッサを誘拐してハリオット伯爵に引き渡し、さらには魔法除けの指輪を持たせて魔法での捜索を妨害したという重罪に問われた。ハリオット伯爵の犯罪を告白し、貴族院の裁判にて証人となったことを考慮しても、死刑は免れない。しかし彼女は自ら死刑を望み、絞首刑を言い渡された際には深く頭を下げていた。
そしてクラリッサと交換するために変身魔法をかけられた少女だが、彼女は裁判所に所属する魔術師により魔法を解かれ、肩の焼印も癒してもらった。ライオン型の跡は完全に消え、今は両親と共に幸せに暮らしているらしい。
それと、僕がフィリップの太腿を剣で貫いた件は、正当な自己防衛が認められた。ユクル公爵家を警備する騎士団が、フィリップは自分達の腕を振りほどくほど興奮しており、僕の喉に喰らい付こうとしていたと証言した。
さらに事件に関与した者が、何人か裁かれ……ようやくハリオット伯爵家に関する裁判は終了した。
半年もすれば、あの親子の死刑は執行されて、この世から消えてなくなるだろう。しかし僕はあいつらを許せない。到底、許せる訳がない。あいつらはクラリッサだけでなく、ユクル公爵、叔母上、父上……あらゆる人間に苦しみを与えたのだ。
だが、そんな僕の怒りは、クラリッサによって癒されつつあった。
………………
…………
……
ユクル公爵家の屋敷にて――
僕達は、クラリッサが教わった通りにお辞儀するのを見ていた。
帰ってきたばかりの時は、可哀想なくらい痩せて、怪我や汚れも酷かった。しかし今では少しふっくらとして、怪我も完治して身綺麗にしている。それに、言葉遣いや礼儀作法の勉強をとても熱心にしているらしい。
クラリッサのお辞儀はそれはそれは可愛らしかった。
「お父様、お母様、サイラス様、私のお辞儀は変じゃありませんか……?」
「変だなんて、そんなことはない。とても綺麗だったよ」
「ええ、私が教えたのだから、間違いないわ!」
「全く変じゃないよ。とても上手だよ」
「わあ……! ありがとうございます……!」
嬉しそうなクラリッサを見て、僕は心から満足した。
失踪時、彼女は四歳、僕は七歳。現在、彼女は十二歳、僕は十五歳。まだまだ幼いと周囲には思われているだろうが、僕は決意していた。
クラリッサに愛を告白し、婚約者を続けてくれるのか確認しようと――
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第11話 クラリッサ視点
公爵家に戻ってから三ヶ月後――
美しい日差しの降り注ぐ午後のことです。私とサイラス様はユクル公爵家の庭で、お茶をしていました。ケーキを口にしたサイラス様に、そっと尋ねます。
「サイラス様、ケーキの味はいかがですか?」
「とても美味しいよ。君はお姫様のケーキで、僕は王子様のケーキだね」
「お気に召して頂けて、嬉しいです。私が料理長に頼んで、作ってもらったのですよ」
お母様と教育係のお陰で、私は礼儀作法を少しずつ覚えてきました。言葉遣いも、食事のマナーも、礼儀作法も……そのうち完璧にマスターするつもりです。
「ふふふ、本当に美味しいよ。クラリッサが頼んでくれたケーキだなんて嬉しいな。それに、言葉遣いも、食事の仕方も、随分上達したね?」
「本当ですか……? 同じ年代の令嬢達と比べても、問題ないでしょうか……?」
「ああ、問題ないよ。これかからは、僕と一緒に色んな場所へ行こう」
「は……はい! 喜んで!」
八年間、サイラス様は私を失った悲しみから、引き籠っていたそうです。公の場にも姿を現すこともなく、貴族ですら彼の顔を忘れるほどでした。でもこれからは違います。私はサイラス様と共に、貴族社会で生きていくのです。
「ねえ、クラリッサ」
「はい? 何でしょう?」
ザアアアァァァ……と風が木々を揺らしていきます。しかしサイラス様は強風に気を取られることなく、私を見詰めながら言いました。
「僕は、君が好きだ」
その言葉に、心臓がドクンと跳ねます。
「ずっと好きだったけど、この三ヶ月で自分の気持ちに変わりないことが確認できた。成人したら、結婚したいと思っている。君は、僕の婚約者であり続けてくれるかい? 正直な気持ちを聞かせてくれないか?」
私の頬が熱くなります。こんなに素敵な方に愛されるなんて、しかも結婚してほしいとはっきり言われるなんて、頭が真っ白になってしまいます。
「嬉しいです……とても嬉しいです……。でも……私はまだ十二歳ですし……結婚はよく分からないです……。それに……結婚した後、子供を作るのは怖いし……」
「何だって? なぜ子供を作るのが怖いの?」
私は泣きそうになりながら、フィリップに赤ちゃんの作り方を聞かされて怖かったのだと白状しました。するとサイラス様は目を見張り、俯いてしまいました。
「あの塵芥以下の不要物めが……よくも純粋無垢なクラリッサにトラウマを植え付けてくれたな……絶対に許さない……今からこの僕が直々に殺して……――」
「サ、サイラス様? どうなさったのですか?」
「ううん、何でもないよ」
サイラス様はいつもの綺麗な笑顔を浮かべます。ああ、良かった。怒っているのかと思いました。
「そう言えば、ハリオット伯爵とフィリップはどうなったのですか……? 二人共、貴族院の裁判にかけられたのですか……?」
「そのことは、クラリッサはまだ知らなくていいんだよ。でもあいつらはもう二度と、君に手出しできなくなった。だから安心してね?」
「はい……」
するとサイラス様は立ち上がって、私のすぐ傍まで来ました。そして私の耳に唇を近付けると、優しく囁いたのです。
「クラリッサ、聞いてくれる? 赤ちゃんはね、清らかな行為からできるんだよ? フィリップが言っていたのは、ほとんど間違いなんだ。だから、君がもう少し大人になってから、僕が教え直してもいいかな?」
それを聞いた私は、嬉しさのあまり席を立ってしまいました。
「ほ、本当ですか……? やっぱりそうだったのですね……?」
「そうだよ。だから子供を作ることを怖いなんて思わなくていいんだよ。でも産むのはとても大変だと思うけど――」
「きっと平気です……! 産む時は苦しいけど、赤ちゃんを見たらとても嬉しくなると女中のおばさんに教わりましたから……! 私、サイラス様と結婚します……! 私も記憶の中の王子様が大好きだったのです……!」
その途端、サイラス様は表情を歪ませて、私を抱き締めました。その体は小刻みに震えていて、どうやら泣きじゃくっているようでした。
「サイラス様……?」
「良かった……クラリッサが戻ってきてくれて……本当に良かった……とてもとても怖かったんだ……君が酷い目に遭っているんじゃないかって……もう戻ってこないんじゃないかって……ずっとひとりで泣いていたんだ……――」
その涙声を聞いているうちに、私も泣き出してしまいました。私も、サイラス様に会いたかったのです。お父様とお母様に会いたかったのです。死刑と言われた時には、幸せな記憶の中に飛び込んで、消えてしまいたいと思ったくらいです。
でもそれは終わりました――
「泣かないで、サイラス様。もう大丈夫……大丈夫なのですよ」
私は彼みたいに綺麗に微笑めません。でも精一杯、笑ってみせます。
「サイラス様とお父様が裁判を無効にしてくれたから、皆が守ってくれたから、私はもう何も怖くありません。サイラス様は不幸なクララを、幸せなクラリッサに戻してくれたのですよ?」
するとサイラス様は目を丸くして、泣きながら笑いました。
そして私達は涙を拭くと、幸せだった記憶と同じように手を繋いだのです。もう二度と離れないように。ずっと一緒にいるために。
―END―




