【3】浮かび上がる『彼女』の記憶。
「エド、おはよう。」
目を覚ますと、目の前に現れた美しい顔に僕は驚いて思考が停止する。
「…おはよう。フローラ。」
僕は、どうやらあのまま寝てしまったらしい。
昨日、初めて会った女の子の前で泣きじゃくってしまったという失態を思い出して僕は赤面する。
(どうしよう!僕はなんて事を…!)
「…あの。僕…。」
僕はワタワタと言い訳しようとする。
すると、彼女はまるで何も気にしていないかのようにニッコリと笑う。
「ねぇ、エド。お茶を淹れたの。…それと、サンドイッチも作ったわ。朝食にしましょう。」
サンドイッチは少し歪だったけれど、とても美味しかった。
クリームチーズと生ハムと蜂蜜が入ったものと、ベーコンと卵とアボカド。それにトマトが入っているようだ。
僕が食べているのを見ながら、彼女は嬉しそうにニコニコと微笑む。
「…美味しい?」
「うん。とても。」
「…良かった。このサンドイッチはね、ライオネスも好きだったのよ。」
そう言われて僕は目を見開く。
「…フローラ、父さんと知り合いだったの?」
その言葉に彼女は何かを懐かしむような優しい顔をする。
「ええ。…大切な友人だったの。」
「そうなんだ。」
僕は頷きながら紅茶を飲み干す。うん、この紅茶も香りが高くてとても美味しい。
「…よく食べるようになったのね。」
そんな僕を見て感慨深そうに彼女が呟く。
「え?」
「だって、エド。貴方、昔は甘いお菓子ばかり食べたがるって侍女のマーサがライオネスに嘆いていたのよ。…懐かしいわ。」
そう言って彼女は目を綻ばせる。
「もうっ!いつの話をしてるんだよ。」
すると、彼女は優しい顔で『ふふっ。』と笑った。
「だって、小さい頃からずっと見ていたもの。」
――それから僕は父の葬儀や手続きで凄く忙しかった。
フローラは必要な書類をテキパキとまとめて、様々な手配をしてくれて僕を大いに助けてくれた。
葬儀に顔を出してくれた仲の良い同僚で、友人でもあるキースがフローラを見て目を丸くする。
「おいっ、エド。お前、一体いつあんな美人捕まえたんだよ!」
「いや、これには訳があって…。長くなりそうだから、明日出勤した時、ランチの時間にでも説明するよ。」
「絶対だぞっ!あー、羨ましい…。
なんだよ、親父さんが亡くなって凹んでるだろうと思って心配してきてやったのによ…。」
そう言ってジトッとした目で僕を見てきたが、やがて諦めて手を振って帰っていった。
「ふふっ。」
そんな僕達を見てフローラは優しい目をして笑う。
「仲がいいのね。ああいうお友達は大切にするのよ。」
(なんだか母親みたいだな…。)
そんなことを思いつつ、僕は悪い気はしなくて密かに口元を緩ませるのだった。
◇◇
「戸締りには気をつけるんだよ。19時には帰ってくるから!」
そう言って僕は家を出る。
「行ってらっしゃい。エド、気を付けて。夕食の用意、しておくわね。」
そう言って、フローラがニコニコと手を振る。
僕はなんだか照れ臭くなって口角を上げる。
「…行ってきます。」
僕は、結局彼女を屋敷に1人にしてはおけないので、寮を出て暫く実家から通勤する事に決めた。
手続きをしてくれた職員の人も、僕が父を亡くしたばかりだと知っていたので、何も言わずに処理をしてくれたのがありがたかった。
――王宮に着くと、同僚の魔導士達が興奮した様子で何かを熱く語り合っていた。
そんな彼らを尻目に、僕は自分の席に座り、隣の席のカルロス先輩に挨拶する。
「おはようございます。一体何の騒ぎですか?」
「エド、おはようさん。
…親父さんのこと、大変だったな。
もう大丈夫なのか?
それが、丁度お前が休んでいた3日前から突然、白紙化された25年以上前の書類から文字が浮かび上がって来たんだよ。」
その話を聞いて僕は目を丸くする。
「…それは。初めて聞きました。一体どういう魔法なんですか?」
「それがわからないんだとよ。
まるで金のインクが滲むように、消えていたはずの『王女フローラ』って名前が突然浮かび上がってきたらしい。
…マジで怪談かよ。
今夜寝られねぇんだけど!」
その言葉に僕は驚愕に目を見開く。
「…フロー…ラ?」
「ああ!
…なんだ。エド、お前何か心当たりあるのか?」
心臓がバクバクとうるさい。
…そういえば、フローラは『どうやら術をかけられた時、私の存在そのものが皆の記憶から消えてしまったようなの。』と言っていたような気がする。
「…いえ。何でもありません。」
◇◇
昼休み。僕は個室のあるレストランにキースを呼び出してランチをすることにした。
「…で。エド。お前、フローラさんとはどういう関係なんだ?」
「…それが。」
「うん。」
「…彼女、25年以上前から父の執務室にあった振り子時計に、魔法で閉じ込められていたらしいんだ。
多分今、噂になってる『王女フローラ』って、彼女のことだと思う。」
キースはスプーンを持ったまま固まり、ぽつりと呟いた。
「…は?冗談だよな?」
僕は黙って紅茶をひと口、喉に流し込んだ。
それが冗談じゃないことは、僕が一番よく知っている。
そして、その瞬間、僕の中でひとつの“疑念”が芽生えた。
(なぜ、彼女はあんなにも父のことをよく知っているんだろう?)