【伍/日中】
「酒がなくなった。セイジ、これと同じものがいい」
「えー」
「なら……」
「行きますって! ナギちゃんにお金渡さないの!」
ツツジの居館生活2日目。
今日のナギは、セイジのお使いに付いてゆく。
「酒なんてなんでもいいんだから。いちいち相手にしてちゃダメだよー」
「……」
「そんなんでいいの? って顔しない」
「し、してないっ……」
「顔に書いてある」
「ーー!?」
頬をぺたぺた触るナギに、セイジは「物の例えだって」と笑う。
「ちょっと待ってて。すぐ買ってくるから」
あっという間に城下の酒蔵に。
外で待つナギは、人の行き来を観察する。昨日と比べて、荷駄が多いような気がした。
「ーー様が討たれて、駿河は二分よ」
「こりゃ近い内さ、戦だぁな」
商人たちの会話が聞こえて、そちらに気を取られていると、身体に小石が当たる。
飛んできた方向には、子どもたちがいた。
声のよく通る子だった。
「鬼がいる! 出てけぇっ!!」
周りの大人たちが反応する。が、子どもを止めるわけでもなく、ナギを疑心暗鬼な目で見るだけ。
とても不快で、どきどきしなかった。
初めて、じゃない。
こうして、謗られることに。
小石を投げられることに。
今度は頭に当たりそうだった。
「見てられないんだけど」
すれすれで小石を受け止めたのは、サノスケだった。民衆からナギを隠すように前に立つ。
「鬼の味方すんのかよっ!!」
「……これだから餓鬼は」
鬼だと連呼する子どもに、サノスケは苛立ちを隠さない。
「ちょ、ちょ、ちょー!!」
懐に手を伸ばすサノスケの腕をしっかり握って、セイジが間に入ってきた。
「目が黄色くて鬼だって言いたいんだろっ? なら俺はっ!? この子と同じ色の髪してるんだけどーっ!?」
「じゃ、じゃあお前もっ……!!」
「ってことはぁー、海の向こう側にいる人間は、みーんな鬼じゃん☆」
口調こそ軽いが、セイジの目つきは鋭かった。
押し黙った子どもに、それを見ている大人たち。困惑の色が見て取れる。
だが、決定打に欠けていた。
甲斐に海はないーーーー南蛮人を知る者も、多くはないのだ。
「鬼は聞く耳なんか持たないんだからっ」
ひとりの若い女性が声を張り上げた。向かいの、右隣にある甘味処の娘さんで、涙目になりながら皆に訴える。
「人を見るなり襲いかかってきて、助けて、やめてって言っても通じないんだからっ!!」
それは、ナギが〝鬼〟であることの否定と、〝鬼〟であってほしくない想いが入り交じった主張だった。
怖くて怖くてたまらない。
人の皮を被った獣が、ここを火の海に。瞬く間に出来上がった屍の山に、彼女の呼吸が乱れてくる。
「これ、おやめ」と、彼女の祖父が制した。過呼吸寸前だった。
「怖がらせてすまないね。……この子は相模の生き残りなんだ。大目に見てやってくれないか」
『相模』ーーツツジや軍神でさえ手を焼いた、難攻不落の城を中心に栄えた領地も、〝鬼〟には通用せず。要塞のような造りだったこともあり、地獄絵図と化した過去があった。
しかし、それも15年前のこと。
近隣が故、他の領地よりも理解のあった甲斐の人々でさえ風化しつつあるようだ。
「何事だ!」
騒ぎを聞きつけて、ツツジの家臣までやってくる。
城下で一悶着あったなどとイヅナの立場を危うくさせないためにも、セイジたちは接触するわけにはいかなかった。
「ナギちゃんのこと、お願い」
「アンタが来なくてどーすんのっ」
サノスケは手ぬぐいを使い、セイジの髪を覆う。
頭だけどこにでもいる百姓のような、けれど人だかりに紛れるには十分な変装で、無事この場を離れることに成功した。
しっかりと酒の入った瓢箪を手にして、居館へ戻ってくる。
「それじゃ、俺は仕事に戻るからねー」
お使い自体は達成できた。なのに、サノスケを見送るセイジの顔は暗くて。
「ごめんな、ナギちゃん」
「……?」
「ユキトと出かけたときは、こうはならなかったろっ……? 俺じゃダメなんだよっ、抑止になんなけりゃ、説得力もない……!!」
セイジの独特な言葉遣いや髪の色は、異文化を知っているからこそ。彼の腰に下げている鈍器は、この国では作れない、とても精巧なものだ。
ナギはそれを自分なりの言葉で伝えるのだが、
「そんなことない、とわたしは思ってる。……なにもかも目新しいわたしが言っても、これこそだけど」
同時に、自分の目が黄色いのは仕方がないこと、どうにもならないこと、だと頭をよぎる。
傷はふさがったままなのに、胸がちくりと痛めば、ナギはセイジに思いっきり抱きしめられていた。
「ほんと、ごめんっ……。俺が勇気づけられて、どーするんだってね」
セイジには、ナギが従兄弟と重なってならなかった。
従兄弟はオッドアイだった。
左右異なる瞳を持つ我が子に、伯母である人は優しくなかった。鬼だと騒ぎ立てては暗殺を企図して。
セイジを始め、従兄弟を慕う家臣が守ってはいたものの、実母からの言葉は彼を追いつめていく。
甲斐の人々に言ったように、海の向こう側の話をしても、両者聞く耳すら持たなかった。
ついには己の目を恨み、潰すにまで至りーーーーそれでも愛してもらえないと嘆く従兄弟を、セイジは手に掛けた。
孤独に狂ってしまう前に、実母の呪縛から解き放ちたい一心で。
しかし、従兄弟は一族の跡目であり、セイジは事の重大さに耐えかねて、行方をくらました。
ーー俺を殺すと、鬼になるかもー。
各地を放浪し、イヅナの屋敷に食べ物を盗みに侵入した時だった。酒の危機だとぼっこぼこにされ、軽口まがいの警告をすれば、『イタチの者にその可能性はない』と、ばっさり。
そのとき心の奥底に、従兄弟が〝鬼〟だと思っている自分がいることに気づいたのだ。
そして、そんなやつが、なにを言ったところで響くはずがないと。
あのとき痛感したのに。
ナギが絡まれた時点で、分かってもらえるわけがないと諦めてしまったが故のこと。確固たる信念があっても、それを掲げる『俺なんか』では、いつまでも伝わらないのだと、セイジは奮い立った。
今度こそ。
腕の中にいるナギを、従兄弟と同じ末路にしないために。
「ーーーー〝鬼〟を風化させまいと紙芝居があるように、お前も髪を明るくしたままではないか」
ナギを抱きしめたままのセイジの背後に、イヅナが現れた。
「いつでも戻せるものを、鬼とはこういうものじゃないと体言しているではないか」と、1発殴る。これでもかってほどに。
褒められているのに痛みが伴うセイジは、訳が分からず。次の言葉を待った。
「おまえの卑しさごと背負って生きていくことが贖罪とは言ったが、ナギに泣きついていいことにはならん」
さらに、1発。
ようやくナギを解放する。
「ナギもだ。私が拾ったのだから、胸を張れ。ここには、ある程度理解のある奴らばかりだ。小石を投げてきた童のほうが無知だと思え」と、騒ぎのことを口にした。
そして、イヅナの言葉通り、『そういった事柄が起こった』だけに留まり、一切のお咎めもなく、その日は終わっていった。