【参/朝】
ユキトたちが甲斐のお膝元・武田ヶ崎に向かっている頃、イヅナにとっては3日目を迎えようとしていた。
「……そろそろ飽きたな」
粗方飲んでしまったし、と蔵から出ることを模索し始めた。
見張りーーーーは、いない。
しかし、だ。扉の外に集中すれば、ツツジの家臣とは違う、ぴりついた気配がひしひしと。ひとり、ふたりではない。
「貴様、そこでなにしてーー」
気づいた門番はあっけなくやられ、扉が開いた。
白昼堂々、目元だけを露出させ、自分たちは忍だと主張しているような連中に、イヅナは笑う。
「甲斐の参謀・イヅナ公とお見受けいたす」
「失礼な者共だな。こんなところで酒を飲む、面を付けた人間を公などと」
「ツツジ公に挙兵させるべく、交渉の駒にさせられていると聞く」
ツツジが手配した者にしては殺気立っていて、第三者の介入もいいところだ。
集団の中で唯一素顔をさらしている男に向けて言い放てば、「暴力で訴えかけるつもりはない」と。小生意気な顔が、小生意気な返答をしてくる。
「再三、文を出しているのだがね。一向に返事がないのだよ。貴方からも言ってほしいだけなのだ。将軍・アシカの名の下に挙兵せよ、と」
誇らしげに自ら将軍と名乗る男は、京に居座るカズサをなんとしても追い出したいようだ。
〝鬼〟を管理する組織『幕府』の中心人物だった一族の末裔でもあるが、ずさんな体制を問われ、カズサが上洛するよりも遙か前から京を追放されている。にも関わらず、幕府の奪還が一族の復権に繋がると信じ、誰もが将軍にひれ伏すと、どこまでも偉そうで。
「ーー偉大な将軍様は、我らに茶器になれと申すのか」
近江、越前の末路を口走るイヅナに、アシカは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ヤツが桶狭間にまで兵を進めていたのは、万年引きこもりのヨシトモを討つためだと、本気で思ってはおるまいな。あれは先方隊だ。包囲される前にと鉄砲を用いて、戦国最強の騎馬隊を潰しにきた」
この際、みなまで言ってやる。
「見透かされている作戦にわざわざ参加するほど、うちのツツジは阿呆ではないぞ?」
「貴様!!」
挑発に挑発を重ねて、大いに虚仮にしてやれば、一触即発のこの状況に水を差してくる男が。
「ーーご隠居は敬うものだ」と、ツツジが割り込んできた。アシカの後ろに立ち、忍集団は家臣たちが囲む。
「返事が遅れたことに関してはお詫び申し上げる。重ねて、挙兵できないことも」
「なぜだ!! 将軍の名の下ぞ!! 名誉に値するというのに!!」
「アシカ殿。貴殿は〝鬼〟に精通する一族だ」
「そうとも!! 幕府を奪還した暁には、甲斐から人質を免除してやっても……!!」
「だから、ですよ。かつての幕府でしかないのなら、我らは協力しない。人柱を立てることで、鬼はそこに留まるでしょう。しかし、それを良しと思わぬ者たちが、また反旗を翻す。その繰り返しでしかないのならーー」
「知ったような口をッ……!!」
「仮に承諾したところで、包囲網を敷く前にカズサ公は甲斐に攻めてくる。できることなら、早くここを離れよ」
「貴様には失望したぞ、ツツジ!!」
「何とでも」
なにもかも思い通りにいかなくて、駄々をこねる幼子のよう。腹を立てながら撤退していくアシカに、取り巻きたちも後を追うように姿を眩ましていった。
「どいつもこいつも……」
後始末のために酒蔵を離れるツツジの家臣たちを尻目に、イヅナは溜息をついた。
アシカにしろ、ツツジにしろ、立場というものがありながら、ふらふらしすぎだ。
「昼間のほうが視察って口実で動きやすいだろ。一応、最小限の家臣を連れて、こっそり来たつもりなんだが」
「まぁ将軍様がいるとは思わなんだ」
「心配したんだぞ」と、ツツジはイヅナを抱き寄せた。
「酒を飲みに行くと、書き残しておいただろう」
イヅナはされるがまま、暑苦しい抱擁にただ付き合う。
「他の男が用意した酒に食いつきやがって」
「そういうことは小姓にでも言ってやれ」
「……イヅナ」
ツツジがお面に触れる。
熱っぽい手で、熱っぽく名を呼ぶくせに、真剣なまなざしを向けてきて。口元だけずらして、そこへ自身の唇を重ねようとするーーーーが、出窓からのひそひそ話に、寸前で止まる。
「セイジの、その腰に下げてるやつ、投げよう」
「飛び道具っちゃあ飛び道具なんだど、そーいう使い方じゃないんだよねー」
「絞めころされてしまう」
「あれはそういうものではなくですね」
「いちゃいちゃしてんの」
「セイジっ」
「あれ、そこは通じるんだ?」
「いちゃ?」
「恋仲になるふたりが身を寄せ合ったりすることなんだって」と、サノスケの解説まで、しっかり2人の耳に。
アシカたちの撤退と入れ替わりで、イヅナのいる酒蔵にたどり着いたユキトたちは、2人の逢瀬に出るに出られなくなっていた。
*
酒蔵から場所を移動して、ツツジの居館に一同が集まった。
「ぐふおんっ!!」と大きな咳払いして、さきほどまでの甘い雰囲気から威厳のあるものに。
「遠路遥々。久しいな、ユキト、セイジーーーーと?」
2人の真似して頭を垂れるナギは、ツツジの知らない顔のようだ。ナギのくノ一説が消える。
「この子は、ナギ……というのも仮なのですが」
「はいはーい、俺が命名しましたー。持ち物に、凪の字があってー」
「セイジ、ちょっと黙ろ? そもそも自分の持ち物に名前なんて書かないから、忍って」と、割って入るセイジをサノスケが制した。
「気が付くまでのことを一切覚えておらず、なにか重要なことを知り得たのか、命まで狙われ、共に参った所存です」
「……一切覚えていない、ねぇ」
記憶喪失を疑うツツジは、ユキトの隣にちょこんと正座するナギに近付いた。
「じゃまして、ごめんなさい……?」
殺れる瞬間は、今を含め、多々あるというのに。
純粋に真っ直ぐ見つめるナギからは、幼さしか感じられなかった。殺意はもちろん、帯刀する武具に目配りする様子もない。
ただ、手練れとは思う。
ツツジはナギの手を取りながら、手のひらの硬さや傷跡の数と行動が伴っていないことを察し、ユキトの主張を飲んだ。
加えて、忍だということも。
黄土と言うには明るすぎる金眼は、〝鬼〟が蔓延る日ノ本では疎まれる要因のひとつだ。目や髪の色が突然変異によるものだとしても、それを理解する時代ではなく、忌み子として捨てられ、影として生きる者も少なくはない。
「ーーいつまで握ってるつもりだ?」
酒をあおりながら話を聞いていたイヅナが、退屈そうに口を挟んだ。
「別に、おまえにあずかれと拾ったわけじゃない。帰るぞ、長居しすぎた。屋敷が恋しい」
「待て待てっ」
「なんだ。まだ居ろというのか? これ以上得体の知れない者を囲えば、おまえの立場が危うくなるぞ」
「そこをついてくるやつこそ信用ならんな」
「ツツジ」
「俺は言ったぞ。そばにいてくれって」
「……物好きが」
カズサによる甲斐侵攻、アシカの暗躍が顕著な今、ツツジは目の届く範囲に置いておきたいのだ。それが何者であっても。