【壱拾壱/常世】
境内に桜が咲き乱れてくる。
それは、〝鬼〟の訪れ、凶兆の報せ。
雨雲が太陽を隠し、現世から、常世へ変わる。
境界すら曖昧にさせて、ナギは石段を駆け上がってきた。
自分のものなのか、他人のものなのか。その判別がつかないぐらい血を浴びた彼女に、あどけなさはない。
記憶を失う前を知っているアキだけが、冷静にナギを見た。
淡々と、目の前のヒトを斬る。
仕事だと言われれば、仲間であっても。
それが本来の彼女であり、〝鬼〟を魅了した才でもあった。
ユキトたちを襲う。
息を呑む、隙さえ与えない。
セイジはククリを手に、ナギの短刀を受け流し、そこへユキトが回し蹴りを。後頭部めがけるも、ナギはセイジの股をくぐり抜けて回避した――――ところを、追撃するサノスケは未遂に終わる。
刺し違える覚悟で突き出されたナギの短刀に触れないよう、身体をよじらせ、地面に転がった。
「やっばいねー、なにそのナイフ」
セイジも気づいたようだ。
血に紛れて香る、毒のにおいに。
「触れるだけでも1発アウトって感じ」
「イヅナさまのゲンコツ1発分ってことか」
「気絶じゃすまないよー」
「目が覚めたら、仲良くあの世かもな!!」
それでも、ユキトは前に出る。
型なんてない。
傾いていた頃の、ただの荒くれそのもので。
イヅナが例外なだけで、そこいらの武士よりも断然強かった。
殴って、蹴って。
相手に反撃される前に、次の手を繰り出して。
――なかなか良いモノを持ってるじゃないか。
拳を握られ、局部を蹴られて、地面に這い蹲って。
あのときよりも強くなったはずなのに、ナギの鳩尾に入った拳に手応えはない。かわりに、短刀の柄頭で思いっきり右頬を殴られる。
ひるむユキトを助けるべく、セイジがリボルバーを撃った。空に向けて、威嚇の1発。鉄砲で痛い目にあっているナギは一瞬硬直する。
十分すぎる隙に、サノスケがユキトの首根っこを掴んで引き寄せた。
「痛え!!」
口の端っこも、口の中も切れていた。が、殴られた故であって、殴られていなければ、今頃お陀仏だ。
「忍に1対1で挑むとか、阿呆だから」と、サノスケはセイジに続く。
セイジのリボルバーを警戒してか、ナギは交互に繰り出される攻撃を避けてばかりだ。なのに、不思議とユキトと目が合う。
なにを考えているのか。
先を視れなくても、読むことぐらいできる。
ナギが――〝鬼〟が、なにを目論んでいるのか。
風が吹く。
舞い散る桜に瞬けば、ナギはユキトの視界から消え、アキの前に降り立った。
狙いは拝殿、その奥。
姿勢を低め、しかし、そう簡単にアキは通さない。その手に持つ鎖鎌がしっかりとナギの片足を捕らえ、絡みつく。
あとは地面に叩きつけ、起きあがる前にナギの首筋に鎌をあてがえば、こちらの勝利だ。
そうならないように、ナギも短刀で鎌を受け止めた。
刃と刃が激しくぶつかり合ったところで、ユキトたちの視界も追いつけば、負傷してるナギの右肩を踏みつけて、手も足も出ない状態に。刹那の攻防は、アキに軍配が上がった――――かに思えた。
「……ッ」
アキの顔が苦痛に歪む。
完全に油断していた。
踏みつける前に繰り出されたナギの、別の短刀が、彼の脇腹に深々と。毒が塗られていないことだけが幸いだった。
刃を伝い、滴り落ちる血に、ナギは舌を舐めずる。アキを組み敷こうと、体勢を入れ替えるため鎌を弾くが……
「おまえが欲しいのは、より新しい鮮血、だろう?」
守り刀を手にしたイヅナが拝殿の奥からやってくる。
くすんだ紫色の刃文を自身の首筋に押し当てて、これ見よがしに引いてやれば、ナギが一気に間合いを詰めてきた。
「……そんなものか」
ひねりも、はったりも、なにもない。
ただまっすぐ首を狙うナギの動きは、刀一振りであしらえる。それがどれだけ速かろうが、イヅナには造作もなかった。
右往左往する太刀筋が紫電に光る。守り神とは程遠い禍々しい閃光も、鬼の逸話を聞いてからだと合点がゆく。
幾多の物の怪を斬り、瘴気に当てられた御仁の刀。
妖刀と化したそれに浄化する力はない。
あるのは、怪異を留めようとする、微力な想いだけ。
刀単体では無理でも、人の体を依り代とすれば、その想いに応えることができる。
その覚悟さえあれば、誰だって触れられる代物だった。
――貴様に腕1本くれてやる。私には守らなければならぬ者たちがいるのだ。
あのとき果たせなかった約束を、今度こそ。
「もう少しの辛抱だ、ナギ」
1発で息の根を止めることができるのに、ユキトを殴り、毒を塗っていない短刀でアキを刺し、鮮血求めて襲いかかる。
『血をすすることで、必死に抑えてきた』
ナギもまた〝鬼〟に囚われながら、もがいていた。
鬼が消えたとて、鬼は生きていく。
その瞳を潰そうが、
人は忌みするだけよ。
かごめ、かごめ。
後ろの正面の子が笑う。
悲しそうに、ひとり笑うのだ。
ナギと、その子以外、誰も立っていない。
これまでも。
そして、これからも。
自分たちには『殺す』しか――――
ナギは身を屈め、側面に回り込んだ。がら空きの脇腹を掻っ斬り、さらなる出血を促した。鉄砲で撃たれてもなお、気丈に振る舞うイヅナを限界に追いやり、刀を奪おうと手を伸ばす。
――共に知っていけたら、俺は嬉しく思う。
その気持ちだけで、ナギは十分だった。
ユキトたちに出会う前のことを思い出し、孕む狂気に呑まれた時から、もう『ナギ』には戻れないのだと。
だったら、と後ろの正面の子が手を引く。
かごめかごめ、しよ?
首を横に振れば、途端にユキトが邪魔に思えてくるだろう。
そうならないためにも、
彼らのために、
自分の中にいる、
〝ナギが愚かでたまらない〟を、貫いて――――
その不協和音は、一瞬の隙を生む。
「させるものか」と、イヅナの声に息が詰まれば、伸ばした手が掴んだのは宙だった。
「――私は、胸を張れ、と。そう言ったぞ、ナギ」
ゲンコツのかわりに、力強い太刀筋がナギを斬る。
深くはないが、浅くもない。
上半身を斜めに線引く紅は、紫電の刃文をより禍々しくさせる。
イヅナはそれを、己に突き刺した。
正面から抱き込むように、天を仰ぐようにして貫かれた刃は銀色に輝き、血も付いていなければ、滴ることもない。
痛みは、とうに麻痺しているのか。
「イヅナさまッ!!」
「イヅナさんッ!!」
眠気と脱力感に浸りながら、駆け寄る息子たちに伝える。
「あとは……任せた、ぞ……」
「はいッ……!!」
聞き分けの良い返事すら遠退いて、ナギの手当てをする、あとの2人の背もちらり。
ナギの未来が明るく照らされることを祈って、イヅナは眠りにつく。
膝をつき、柄を握ったまま。
2度と妨げられないように。
〝御仁〟の想いを、その身に宿して。