【玖/暁】
先駆けて京を離れたムオンは東の森に身を隠して、ナギの手当てをしていた。
「今なら、あいつらのところに戻れる。せっかく人らしく生きられるようになったんだっ……」
深く考えずに連れ戻した責任を感じるムオンに、ナギは相変わらずのお人好し、だと。
記憶が、戻りつつあった。
ーー最強だからって、傷の治りが特別早いとか、ありえないっしょ? ほら、腹も鳴ってる。
仕事以外、なんの執着もなくて。
手当ても適当、食事も携帯食をかじるだけ。
毒をもらい、体が弱っていようが、腹が満たされるなら、なんでもよかった。
ーー食べるもん食べないと、治んないよ。
ーー……。
ーーほら、口開けて。
誰の命令でもなく、世話を焼いてくれたの人。それが、ムオンだ。
反応の薄い、かつての自分に代わって、ナギは「ありがと」と、感謝を伝えた。
「……でも、」
そう口ごもった瞬間、2人の前にゲンマが現れた。
追っ手かと身構えるムオンは、鬼尾衆が決別したことをまだ知らない。
「渡すつもりないんだけど」
「……ーー」
「アンタだって、かまってたじゃん。自分の首掻っ斬って、この子のこと満たしてたくせにっ……!!」
ゲンマの首筋、そして腕には無数の傷痕がある。軽装から見え隠れする、かさぶたが剥げた、色の濃い皮膚がそうだ。
その多さは、ムオンが嫉妬するほど。
ナギの加虐心をおさえるために、ゲンマは毎夜、自分の血を与えていた。
〝この瞳である以上、人の輪には入れない〟
成長していくにつれ、ナギも自分の立場が分かってくる。
ただの妬み、嫉み、無い物ねだり。
最初は、それがおさえられなくて当たり散らしている、だけだと思っていた。言われた通りに、言われただけの人を殺せば、腹も気持ちも満たされる、はずだった。
アキが厳選した催眠作用のある薬草を食すなり、嗅ぐなりしても、目が覚めてくる。小動物の血をすすり、仕事中だと誤魔化しても、一時凌ぎでしかなかった。
もっと、もっと。
多くの『人』を。
ーー……ーー行くのか。
ーー大軍が通ると聞いた。
檻同然の寝床にゲンマを置いて、桶狭間に向かったあの日。ナギの腕を掴み、引き留めようとする彼に余力は残っていなかった。
代わりに渡されたのは、『几』の字の、あの短刀。
ーー……ーー御守りだ。此度だけ貸してやる。
だから戻ってこい、と。
けれど、その約束が果たされることはなかった。
鉄砲の前に倒れた自分を終わらせようと、ナギは崖から飛び降りた。
そうすれば、彼らに手を出すことはない。
急所をはずし、飛沫く血を浴びる。
おさまらない狂喜。
泥濘む血溜まり。
打ち付ける雨に散る、季節はずれの桜が綺麗でーー。
かごめ かごめ。
『蓋』が、開いてしまう。
かつての自分が、走馬燈のように。
かごの中の鳥はーーーー
ひとときの施しに心を許して、馬鹿を見るのはお主ぞ。
〝後ろの正面〟に飲み込まれる前に、ナギは短刀を返した。
ありがとう、が出てこない。
渡すどころか押しつけるだけが精一杯で。
ゲンマの腕をすり抜け、ナギは姿を消した。
「ナギっ!!」
追いかけようとする2人に、忍び寄る影有り。注意散漫だった彼らは、がさがさと動く茂みにようやく気づく。
各自武器を構えれば、負傷したアキに肩を貸すサノスケが姿を現した。
「もし、将軍様と仲違いしているようなら、こちらと合流するよう提案なんだけど」
「……お頭、それ俺じゃないよ」
「…………」
気まずそうなアキはそこには触れず、サノスケが言付かった案を了承する。
ーーナギは私が責任を持って止める。どうか、力を貸してもらえないだろうか。
自分たちが蒔いた種を、イヅナが片を付けようと言うのなら、それに協力しないわけにはいかなかった。