【玖/未明】
永禄25年 6月21日未明 京・本能寺にて
長篠から戻ってきたカズサは、アシカのお抱え部隊・鬼尾衆の襲撃に備えていた。
相手は忍。
いくら兵を配備したところでと思いきや、カズサを強襲したのは、これまであらゆる指示に従ってきた右腕のヒュウガだった。
滞在先の本能寺を囲む、元・自軍の兵。
1対1でカズサと対峙する、ヒュウガの姿。
そして、遅れてきたような形になってしまった鬼尾衆で、京は三つ巴となる。
誰が味方で敵なのか。
混乱の最中、1人の兵がナギに斬りかかるも、身体は自然とそれをいなし、喉元めがけてクナイをひと突き。ナギは続けざまに、後ろで狼狽える兵士たちの額を狙って手裏剣を投げつけた。
昨日よりも正確に確実に、息の根を止める。
ナギはもう驚かなかった。
なにも、初めてなことがない。
クナイも手裏剣も、手によく馴染む。
『うつわよ、カズサをしとめてくるのだ』
『おまえしかできぬ』
『おまえなら――』
本能寺に近づけば近づくほど、アシカの言葉が木霊して、それしか考えられなくなる。
桜の舞う京が炎に包まれようとも、足は止まらない。
その先に、カズサがいるから――――
「これは己の意思か?」
燃ゆる本能寺に佇む彼は、ヒュウガに問いかけた。
「鬼を妄信するしか能のない男の、ではなく、おまえの意思がそうさせているなら興味も沸くのだがな」
カズサは実につまらなさそうに、鉄砲をかまえた。
安全な場所で傍観していればいいのに、ヒュウガはどこまでも傀儡で、愚かだ。
「故に見誤る。貴様は鬼に精通していると言うが、なにを見てきた――――――このカズサが、鬼に囚われているとでも?」
そうして、ヒュウガの、背後にいる者に向けて、引き金を引いた。
ヒュウガが振り向くと、そこには二度も同じ手はくわんと、華麗に避けるナギの姿があった。そのまま襲いかかってくる。間に合わない抜刀。クナイの切っ先がヒュウガを捉える――――も、カズサが間に入ってきた。飛びかかるナギの右肩を掴み、抉りあげ、その勢いを殺しにかかる。
「こんな貧弱な男より、このカズサの首を取ったらどうだ」
ご所望通り、ナギはすぐさま左手に持ち替え、カズサの首を掻っ斬った。
同時にナギの腹部に銃口が。
0距離射撃に倒れ、相討ちとなる。
「さすがの獣も鉄砲の威力には身構えておったか」
斬首を免れ、噴き出す血をおさえるカズサは、彼女の腹部に仕込まれた鉄板を笑った。
鳩尾に受けた衝撃で、ナギは起きあがるどころか気を失っている。
永久に眠れ。
カズサはナギの心臓に狙いを定めた。が、おびただしい出血がそれを阻んだ。鉄砲を持つ握力も、己を支える足にも力が入らず、膝をつく。
代わりに、ヒュウガが刀を抜いた。
「この者を斬り、私に〝鬼〟を。宿す覚悟はできています。〝鬼〟の前に倒れた友人のため、これから先、この国で生きていく人々のためにも、閉じこめておかねばならないのです」
アシカと違うのは、『幕府』でなくていいこと。
とにかく〝鬼〟を野放しにさせないことを信念に、ヒュウガは動いてきた。
「貴方に、もう少し理解があれば――」
死に体のカズサに囁けば、彼は鼻で笑う。
「……是非、も……な、」と、息絶えて。
しかし、悲しみもつかの間。
手裏剣がヒュウガのそばをかすった。
その一瞬の隙に、アキはナギを回収する。
「やったっ、やったぞっ!!」
目の前で焼け落ちる本能寺に、アシカは歓喜した。
カズサが脱出したという報せはない。討った、ともない。しかし、京にまわる火の手に、焼死は確実だ。
念願の京奪還。
邪魔者の討ち死に。
それすなわち、幕府の復活である。
「鬼も我が手中にあるっ……当面の依り代も、あやつらを使えば……!!」
「あやつら、とは?」
ナギを担いだアキが、アシカたちと合流する。
「こちらの話だ。おまえたちには関係ないことよ。さあ、鬼を渡すのだ!」
「……」
アキは微動だにしない。
「まさか、鬼が入っていないのか?」
肯定も否定も、頑なに無反応なアキに痺れを切らして、アシカは唸った。
「――――今更、可愛さあまったなんてことあるまいな? 代われるものなら代わってやりたいだろうが、おまえでは」
続きは、銃声に消える。
〝鬼〟を逃がすまいと、アシカに渡す気のないアキの脇腹を、満身創痍のヒュウガが撃ち抜いたのだ。
「たとえ何者であってもっ……!!」
途端に落としそうになるナギを、ムオンが受け止める。
煤けた頬と返り血で汚れる彼女は、まだ目覚めない。記憶を失う前よりもずっとあどけない顔は、本当に可愛いらしくて。
ムオンは、ナギを抱いたまま姿を眩ました。
「追え、追うのだ!!」
叫ぶアシカに、鬼尾衆は動かない。
アキやヒュウガを案ずる様子もなく、〝鬼〟がいなくなったと喚き散らして、醜態をさらす。
「貴様等のような忌み子が、飯を食ってこれたのは誰のおかげだ!! この私が、仕事を与えたからだろう!! 私をもっと敬え、これからは将軍の名の下に働けることを――」
もう一度。今度はゲンマが、口の減らない将軍様を黙らせる。
手綱は、疾うに切れているのだと。
「……――我らを導いたのはイセだ」
耳元で殺気立ち、身の程を囁くだけに留めて。あたりを煙幕で覆えば、鬼尾衆もまたアキを連れて姿を消した。