第八話 宇宙《そら》と『ヘルメスの眼球』
森の上空に一人の人影が現れた。
ダヴェンポート中尉である。
彼は樹上の太い幹に立ち、下を見下ろしていた。足元は枝葉に覆い隠されて地面は見えない。ただ、そこから、途絶えることなく銃声が響く。
その中に新兵のヴァルトニーに威勢の良い声が混じる。
「帝国のクソ野郎ども! かかって来やがれ!」
「ーークソ野郎はお前だよ」
ダヴェンポート中尉は思わず苦笑いをしそうになる。しかし、彼は決して油断をしていなかった。
ガトリング軍曹を筆頭とする仲間たちは今まさに敵と交戦中だ。そして、ハートフォード副隊長やフランシスが率いる陸戦空中支援部隊も厄介な事になっているはずだった……
ふと嫌な視線を感じ、頭上を見る。
空に浮かぶ雲はのんきに漂い、正午に近い太陽は、まぶしい陽射しを大地へと降り注いでいた。
太陽の光がダヴェンポート中尉の瞳に入り込む。そのせいで大空の向こう、その先の宇宙に浮かぶ太古の遺物の存在に、彼は気が付かなかった。
「嫌味な陽射しだ……」
そうつぶやくとダヴェンポート中尉は離れた場所へ視線を移す。
そこにハートフォード副隊長たち、陸戦空中支援部隊を見つけた。
ダヴェンポート中尉からは、彼らは拳ぐらいの大きさに見える。
ニ分隊、総勢17名は必中術式の範囲外、対地高度100メートル以下で防御陣形で固まっていた。
「良い判断だ」
恐らくフランシス准尉の進言だろう。彼女の防御術式は相当に固い。敵に回せば俺でもきっと手こずる。そして、部下の進言を素直に受け入れたハートフォードも中々だ……私生児で無ければ、こんなクソみたいな任務で初陣を飾らなかったはず。
「足りないのは経験だけだな」
そして、ダヴェンポート中尉は、もう一度、空を探る。
爆音を響かせる戦闘機など飛んでいるはずもなく、もちろん空戦魔導士の気配などない。
空は青く、雲は白い。
太陽の陽射しがまぶしいばかりだった。
なら、地上に相当な実力者がいるのか……いや、空を飛んでいるんだ、そんなものは振り切って地上を先行している俺たちとの合流を優先したはずだ……
「やはり狙撃か?」
山腹までは少なくとも5キロ以上離れていた。
必中術式を弾丸に刻むためには、標的の空間座標を瞬時に特定しなければならない。
星が持つ魔力。それが微量とはいえ大地から漏れ出しいる。その影響が小さくなる境が対地高度100メートルだ。
「ぶっつけは嫌いなんだが」
ダヴェンポート中尉は、狙撃を警戒しながら進むことにした。
ステラ嬢が放った『天雷』、そして、その余波の稲妻、さらには地上で繰り広げられる命のやりとり、その全てを穏やかな春の陽気が包み込む。
大空の彼方、その先に広がる宇宙。
まさに、ダヴェンポートたちが戦っている天井に広がっている真空の世界。
その宇宙に神話の時代に打ち上げられた人工衛星が浮かんでいる。
それこそが、天に浮かぶ九つの『ヘルメスの眼球』の正体。そしてそれは、帝国魔導士『天眼』のクライブの眷属だ。
『ヘルメスの眼球』はジッと戦場を観察している。
それを知る由もないダヴェンポート中尉……
彼は、春の陽気に照らされた緑まぶしい木々の梢を軽やかに踏んだ。そして、目立たぬよう油断なく、要所、要所で、樹冠の影に身を隠す。それでも、飛行術式を刻まれた身体は、羽が生えているかのように軽く、そして疾く、次々と枝を渡って行った。
遠くでその様子を視ていた『天眼』のクライブ。彼はパチンと指を鳴らした。
「やるねえ、もう少し森から頭を出してくれなきゃ、狙えねえぜ」
隣には、ほほを膨らませ不機嫌そうなマリーがいた。
「クライブさま、私が行った方が早いのでは?」
クライブは双眼鏡に夢中だ。
それでも冗談めかしに彼女に返事した。
「悲しいなあ、俺以外の男のところに行くなんていうなよ、マリーちゃん」
彼女はまぁっと表情を作る。
「ぜんぜん嫉妬したようには見えませんよ! むしろ、わたしの方が妬いちゃいそうです……」
クライブは、そんな彼女に腕を突き出し静止を促すゼスチャー、それと同時に
「ちょっと待て、今、良いところだ」
という。
「なんてっ、ワガママなひと」
メイド服姿のマリーがいじけるようにして地面を蹴った。
クライブは、ゆっくりと双眼鏡をおろす。
すると、彼の青い瞳があらわになった。
深い青色の瞳……まるで晴れ渡った空のように深い青。その瞳の奥は、大海原の宇宙とつながっているかのようだった。
青い青い瞳。その瞳が炎をともったように輝きだした。それは、強烈な魔力が感じられる輝きだ。
それに呼応するかのように遠い宇宙で動きがある。
宇宙に浮かぶ九つの『ヘルメスの眼球』
そのひとつに変化が現れた。底部から星に向かって突き出された四本の針。それらが共鳴したかのようにジジジと光を発したのだ。
『天眼』のクライブ、その異能の一つは千里眼と言い換えができる。
だが、彼の異能は、それ一つじゃない。
もう一つは、あらかじめ契約を交わした他人の身体に精神を憑依することもできる。
今回の戦場で、クライブは五人の契約者を準備した。
それぞれを別の場所にバラバラに配置する。
三人は山腹に置いた。
その者たちは、地面に腹ばいになりライフルを構え、スナイパーの仕事をしている。
そして、彼らの的確な狙撃がダヴェンポート中尉の陸戦空中支援部隊を襲っていたのだった。
フランシス准尉の防御術式が無ければ犠牲が出ていたであろう威力。
クライブの契約者、彼が憑依している者たちの魔力は『ヘルメスの眼球』から供給されていて強い。
そして、今しがた、クライブは契約者たちとの憑依の力をさらに強めたのだ。
防御陣形でまとまっていた陸戦空中支援部隊。
彼らは、姿が見えない狙撃者を絶えず警戒していた。
いち早く、ダヴェンポート中尉に気がついたのはフランシス准尉だった。
彼女は、その整って可愛らしい顔の眉間にシワを寄せていた。
その彼女の表情がパァーっと明るくなる。
「中尉、こちらに!」
ダヴェンポート中尉は、彼女に手で軽くあいさつ。
そして樹冠を離れ、空へと浮かび出た。
パァーンという音!
それは、防御術式が弾ける音だった。
ダヴェンポート中尉が張り巡らせていた防御術式が弾けたのだ。
粉々になった術式はガラスの破片のようにキラキラと輝きながら消え去った。
「中尉!!」
フランシス准尉は悲鳴を上げた。
ダヴェンポート中尉は、弾けた術式の方へライフルを構えている。彼は無傷、そして落ち着いていた。
その様子に遠い山腹に潜んでいる『天眼』のクライブは「あれを防ぐかよ」と歓喜の声をだして子どものように喜ぶ。
彼を心配そうに見つめるマリー。
彼女は小柄だ。その容姿と相まって歳をかなり若く勘違いされることも多い。
周りに兵士には、その彼女が時折、クライブの母親のように不思議と思える時がある。
「クライブさま、無茶はダメですよ」
「ああ、しないさ……しない、しない」
宇宙に浮かぶ『ヘルメスの眼球』から情報が彼に入る。
ミカエル・ダヴェンポートの能力評価だ。
その能力は、神話級の一つ下、伝説級、さらに区分は英雄クラスと告げていた。
『天眼』のクライブ。
彼の敵、ミカエル・ダヴェンポート。
その能力評価は、伝説級の英雄クラス。
「……やっぱり、お前たちは、そう思うよな」
マリーは「誰と話をしているの?」という言葉を飲み込む。いつもは、ひょうひょうとしているクライブ。気軽に話しかけることができる幼なじみは、いつになくピリピリとした空気を漂わせている。
クライブの脳には「異物を排除せよ」としつこく迫る眷属たちの機械的な声で充満していた。