第七話 天眼のクライブ
激戦の場からは少し離れた遠い場所。
帝国魔導士、『天眼』のクライブは、相変わらず楽しそうに双眼鏡を覗いていた。
さっきまでいなかった女の子の声だ。
「クライブさま、いい加減、おタバコはやめてください」
戦場に似合わない背の低い女の子。
襟と袖口に巻かれたカフスだけが白の黒いワンピース。それだけでも場違いなのに、フリルの付いたエプロンドレス、さらに背中には腰と肩のひもの結びで大きなリボンになっていた。
クライブの右手が宙をさまよう。
何かを探しているようだ。
女の子は、小さな吐息をつく。そして腰に手を当ててクライブをジッと見ているだけ……
兵の一人が、クライブを助けようとした。
その兵士に彼女の鋭い視線が飛ぶ。
それに作り笑いで対抗しながら兵士はクライブのもとへ駆け寄った。
クライブは、手渡された水筒に口をつける。するとどうだ、なぜか彼は、リスのようにホホをふくらませてしまう⁈
彼は急いだ様子で水筒を兵に戻すと、そのまま、軍服に羽織ったコートのポッケの中を懸命にまさぐりはじめた。
女の子は、やれやれといった具合にクライブの隣に立つ、そして、
「薬は控えてください」
と言いながら、一粒の小さな錠剤をのせた手を差し出す。
クライブは、それを受け取ろうとした。
しかし、彼女は土壇場で腕を引き、彼の手を避けてしまう。それは、まるでオヤツを欲しがる子犬をあしらうかのようだった。
口から水が漏れそうで焦っているクライブ。色々と彼の限界が近い。
女の子が、ようやく錠剤を手渡すと、彼はやっと薬をゴクリと飲み込んだ。
「マリーちゃんは、ここに来なくてもいいぞ」
と彼が唐突に言っても、彼女は即答で返す。
「先祖代々、クライブさまの家に仕えてるんですよ! 今さらです。悪縁なんです」
「先祖代々って……」
「クライブさまには、王族の血が流れてるんです。メイドの一人ぐらい、おそばにいるのが当たり前なんです」
「俺の国は爺ちゃんの代で帝国に吸収されてるんだぜ。ほら、あれだ、平和的合併ってやつだ。だから、そんなに偉くない。爵位だって名ばかりだからな」
クライブは、帝国に吸収された亡国の王、戦争に参加しなければ生きていけない家系だった。だからといって、彼は帝国が嫌いなわけではない。
「なら、わたしはクライブさまより強い、それだけで良いじゃないですか。わたしに受け継がれた能力は、ご先祖さま同様、クライブさまをお守りするために使わせていただきます」
「たしかに、マリーちゃんは、物理特化だからなぁ、こわい、こわい」
マリーは「こわい」と言われたで少しふくれる。
「わたしだって、クライブさまと能力は逆が良かったと思いますわ」
クライブが声を出して笑った。
「我が家の家宝は天に九つの『ヘルメスの眼球』、そして、俺はその奴隷だ。爺ちゃんは、きっと、それから逃げ出したかったんだ。だが、それは血でしか継承できない……だから、そんなことはマリーちゃんは言うな。この役目は、俺のものだ」
マリーは、いつも薬を持っている。
それは、クライブの為の薬だ。
『ヘルメスの眼球』を使用する代償……
そのつらさを理解できるからこそ彼女は能力を交換したいと真に思う。
『ヘルメスの眼球』が提供する情報量は、脳の処理限界に迫る。常人であれば狂うほどの情報量だ。
クライブの家系と関係が深い彼女は、その苦痛の一端を知っている。なぜなら、彼女が望めば、クライブが見ている情報一部を覗き見ることができるからだ。
彼女自身、長く情報に触れるとひどい頭痛に襲われる。クライブが触れている情報のほんの一部に過ぎないのに、ひどい頭痛に襲われるのだ。
だから彼女は彼と能力を交換できらなら……と願い。彼を守ると決めていた。
話題を変えるため、マリーは、ほんの少し、クライブの情報に触れてみた。
王国魔導士『悪夢』は、中々に苦戦をしている様子だった。
だから、彼女は、素直な疑問を口にしてみた。
「『悪夢』さんはなんで、北に少し進路を変えたのかしら?」
彼女のいう『悪夢』とは王国軍の陸戦魔道小隊を率いるダヴェンポート中尉のことだ。帝国軍は、彼のことをそう呼称している。
進路については、彼女の言うとおり、ダヴェンポート中尉率いる小隊は、真っ直ぐに要塞を目指さず、北に進路を変えていた。
前線が崩壊した帝国軍。
その第二線の集結点は、ほぼダヴェンポート中尉の予想どおりだった。そして、そこに正面からぶつかることを良しとしない彼は、少し進路を北に寄せ、放物線を描くようにして進むルートへ変更したのだった。
「なあマリーちゃん、ゲームをやるなら、俺はルールを熟知してる奴との方が楽しいと思うぜ」
「なら『悪夢』さんはダメですね。地形の険しい北側を選ぶなんて……」
「南側はなだらかだが、我らが帝国の一個大隊が陣を敷いているんだぜ」
「実力の高い魔導士なら突破します」
「マリーちゃんは頑丈だからなあ、そうするよね。いや、大抵の魔導士なら……でも、奴は違う。ちゃんとルールを知ってる軍人だ」
「魔導士でしょ」
「いや、違うぜ、奴は、数的不利を避けたんだ。軍人なら当たり前だ。多分、要塞司令殿は頭を抱えてるぜ」
彼の言うとおり、要塞司令、あの冷徹な司令官は苦渋の決断を強いられていた。帝国軍の最前線は崩壊したが全滅はしていない。王国の砲撃、あの嵐のような砲撃を深くほった塹壕で耐え忍んだのだ。壊滅したのはステラ嬢の放った『天雷』の直撃を受けた部分のみ、前線の帝国兵の生き残りは意外に多い。
要塞司令には狙いがあった。
第二線と残った最前線で新たな戦線を戦略レベルで再構築する。そこには、進軍してきた王国軍を反面包囲するような形でキルゾーンがあった。
その目論見は、ダヴェンポート中尉の動きで崩壊していた。
彼の動きで最前線と第二線の融合が進んでいない。
つまり、生き残った最前線は、このままでは包囲され全滅する運命だ。
第二線への全面後退。
その指示を要塞司令は下した。
その時、彼は作戦台を拳で殴りつけた。
ステラ嬢が放った『天雷』
その犠牲となった兵が作った勝利へのチャンスを彼は逃したのだった。
クライブの話は続く。
「どちらにせよ、寡兵で自ら挑むのは馬鹿だ。そんな奴は、勝手にいつか自滅するんだぜ」
「自滅していただきたいです」
「まあまあ、ここから面白いんだぜ」
森の上空へと飛翔したダヴェンポート中尉が、クライブの脳裏には、ハッキリと映っていた。
「ゲームっていうのは、相手が強ければ、強いほど面白いんだぜ」
『天眼』のクライブは自ら能力を最大限に発揮してダヴェンポート中尉を追い込もうしていた。