第六一話 あの聖堂へ
瓦礫で散らかった道路。
灰色の中に鮮やかな色が混じる。
埃をかぶったクッションやソファ、歯磨き粉といった生活用品の数々。
人の気配は無く静か。
ザッザッザッ……
兵士たちがネズミのように路地を進む。
気配を殺し、天敵から逃れるように──
──そして、天敵の喉元に噛み付く隙を伺う。
キャタピラの軋む音。
ディーゼルの独特なエンジンが重く空気に響いていた。
それが近い。
ミカエルの感覚では路地を抜けた、すぐそこ。
冷たいコンクリの壁。
そこに張り付くように路地を早足で進む。
小銃を握り。
銃口は斜め下。
隊員たちを引き連れて……
ミカエルは、手のひらをパーにして後方に待ての指示。
そして……
彼女の小さな身体が横から倒れるようにして──
──出る!
敵が狙う。
油断がない。
銃口から弾。
弾丸は、彼女の頭上をかすめる。
そのままの体制で、地面に手をついた。
身体を一回、転がす。
そして、片膝をついた体制。
小銃を頬に寄せ、
撃つ!
弾丸に乗せた術式。
四重奏の詠唱。
全ては同時で刹那もない。
放たれた弾丸は、戦車の装甲を紙のように貫通。
装甲の隙間から熱い色が漏れる。
爆裂の術式。
こもった熱で戦車が、ゴム風船のように膨らむと、お供の兵士を巻き添えに爆発した。
最善の選択とはなんだろうか?
ミカエルは
「来い! 急げ、急げ!」
と兵たちに腕を振り指揮をする。
後方七時。
交差点から砲身が覗く。
戦車の砲台が、カタカタと回転している。
砲身が狙いを定めるのはミカエルたちではない。
「離れろ!」
ミカエルが叫ぶ。
砲弾がビルを貫く。
帝国軍の狙いは、ミカエルたちの頭上高くまでそびえるビルの壁。
瓦礫の雨が降り注ぐ。
ミカエルが率いているのは、魔道小隊ではない。
普通の小隊。
コンクリの塊を浴びればなす術もなかった……
何度、戦友を見送れば良いのだろうか?
そもそも、犠牲のない、戦争などこの世界にあり得るのか?
ミカエルは、何度でも、何度でも、市街地戦を繰り返す。
あの時と違うのは、我を失うことなく、感情を知性で制御出来ている。
『無限の冬』は、未だ顕現していない。
それを一番、恐れているのはミカエル自身だからだ。
だから、彼女は何度でも最善を求め──
──足掻くのだ。
だが、次は違う。
今度こそ違うとミカエルは確信が出来た。
何度めの繰り返しだ。
ほれが、何度目であれ、彼女は信じることが出来た。
ミカエルたちの小隊に魔導士がいる。
この情報が、帝国軍の戦術に変化をもたらす。
防御術式で砲弾を無力する存在。
戦車を小銃で撃ち抜く実力。
ミカエル自身の魔導士しての実力の高さ。
それが、より帝国軍に狡猾な戦術をとらせる。
例えば、これだ。
戦車の放つ砲弾がミカエルを直接狙うことはない。
必ず、そばのビルを狙う。
瓦礫が広範囲に落下。
一人の魔導士を倒す前に、周りの兵士をすり潰す。
今も、また砲弾がビルを破壊した。
ミカエルは、その戦車を狙う。
彼女は慌てない。
今度は違うからだ。
ミカエルは、今まで通り戦車を処理する。
小銃の弾丸で、戦車を退けてみせた。
瓦礫は?
彼女は、気にすることなく、次の指示を部隊へ飛ばす。
降り注ぐ瓦礫。
広範囲のそれ。
ミカエルですら、広範囲を防ぐことは出来なかった。
今までは、そうだった。
それをフランシス准尉がカバーする。
彼女の防御術式は秀でている。
なぜ、今までフランシス准尉がいなかったのか──
──本来のポートランド市街地全当初、ミカエルとフランシスは、まだ、知り合う前だ。
それを思い出せないほど、ミカエルは、この幻覚を現実として繰り返していた。
とにかく、ミカエルにとってフランシス准尉がいる。
このことが、心強い。
最善の選択は、ミカエルだけでは成り立たなかった。
だが、フランシス准尉がいれば……ミカエルは、出来ると確信をする。
「中尉、戦線の維持に問題はありません」
フランシス准尉が駆け寄って来た。
部隊の損耗も軽微。
ミカエルが休めの指示を出した。
民間人の非難は順調に進むと彼女は見込んでいる。
戦線の後退。
いや、決壊……
それが、ミカエルが、かつて体験した悲劇のはじまりに違いない。
そう、彼女は思っていた。
ポートランドの街は広い。
一つの小隊で守れる範囲は、たかが知れている。
突破出来ないとなれば、別の穴を探す。
軍隊とは、そういうものだ。
命懸けなのだ。
愚行を繰り返す愚者は、どの国の軍隊にも存在しない。
ピーー!
無線から甲高い電子音。
「こちら本部、202歩兵小隊応答せよ」
ミカエルが、襟につけたマイクを口元へ引き寄せる。
他の者たちは、水筒に口をつける手前で止めた。
「202歩兵小隊、小隊長、受信しました、どうぞ」
「こちら本部。貴隊の現在位置を確認する。教会の聖堂を目視できるか?どうぞ」
ビルの谷間にそびえ立つ聖堂。
神に祈りを捧げる場所。
風に流れる煙に時折、隠れても、その立派な姿の影ははっきりと見えていた。
「こちら、202歩兵小隊、小隊長。現在地、北8ブロックで戦線を維持。教会の聖堂、目視可能、どうぞ」
「こちら本部。戦線放棄を指示する。北8ブロックは破棄、北東7ブロックまで後退せよ。目印は聖堂。応答せよ」
ミカエルの無線を握る手が震える。
「こちら202、小隊長。北8ブロック、戦線維持は可能だ」
彼女は、言葉を選んで応答をした。
そうで無ければ激昂したであろう。
戦線は維持できているのだ。
何度も、何度も、繰り返してやっと維持出来たのだ。
放棄するのであれば、繰り返した戦友たちとの別れはなんだったのか!
「こちら本部。命令を伝える。北東7ブロックに民間人あり。直ちに保護せよ。どうぞ」
ミカエルの小さな肩が震える。
隊員たちは、水筒の口を閉めた。
「こちら、202歩兵小隊、小隊長、命令を受託した」
「こちら、本部、感謝する」
ミカエルは、拳を握り、大きく息を吸った。
結局、あの場所へ向かうことにる。
彼女は無線で端的に伝えた。
「こちら小隊長。各員に通達する。民間人の保護任務を受託した。警戒を怠るな」
ミカエルたちは、聖堂のある、北東7ブロックへ移動を開始した。




