第六話 森の上へ
神々が人に植えた種は、やがて芽吹き……花を開く。こうして、人は世の理を騙す術を知った。
ククルース神話の一節。
原初の魔法をもっと知りたければ、外典『クロノノート』、その一節、『四季の魔女』が最適だ。
では「魔力」とは何か……
それは、人が進化の過程で獲得した力だといわれている。
その本質は『世界の理』に干渉し、夢を具現化する力……
なのに、病気や怪我を治療する魔法は存在しない。せいぜい、人の感覚に干渉して痛みを和らげる程度だ。
ただ一つ確かなのは、今も昔も、命を奪い、破壊の限りをつくす、戦場でこそ、その真価を発揮するということ……ただ、それだけだった……
いつの間にか、雷鳴は止んでいる。
ステラ嬢の『天雷』で乱された空間も落ち着きを取り戻したようだ。
本隊を指揮するグランツ中将は、前線の押し上げを命じていた。
戦車を先頭に本陣から歩兵が進む。
一人の兵士が遠い先を眺めた。
青空に山の稜線がくっきりと描かれている。
山頂部分に雪が残っているのが見てとれた。
そこから裾へと視線を落とすと大森林か広がっている。
兵士には針葉樹が生い茂る豊かな緑は見えなかった。
王国軍が雨のように打ち込んだ砲弾。
その爆炎が裾野を隠していたからだ。
戦争が局面を変えようとしている頃。
ダヴェンポート中尉率いる小隊、『悪夢』は、森の中にいた。
そこでは、銃声が響き合う。
今、まさに、局地的な戦闘が繰り広げられている真っ最中だ。
ダヴェンポート中尉は、うんざりしていた。
「次々と湧いてきやがる」
視界を横ぎる敵影に体を向ける。
アゴを引き、ほほを寄せるようして構えたライフル。
同時に敵を銃口の先に捉えていた。
一連の動作は素早い。
慣れたものだ。
あとは引き金を引くだけ。
魔力で加速強化する弾速は、音速を軽く凌駕する、秒速1500メートルだ。
しかし、ダヴェンポート中尉が引き金を引くことは無かった。
敵が木々の影に隠れてしまったからだ。
「くそっ!」
砕けた魔力が光るチリとなって彼に降りかかる。
ダヴェンポート中尉の、右斜後方、自らの後頭部を守るように展開していた防御術式が弾けたのだ。
帝国軍の徹底したヒット&アウェイ。
そして、惜しげもなく消費する『魔導士殺し』の弾丸に苦戦を強いられていた。
しかも、さらに、普通の『魔導士殺し』の弾丸ではないものが、時折、混じっていた。
ダヴェンポート中尉の防御術式を粉砕した敵の弾。
それが、そうだ。
弾丸に刻印する貫通術式。
これは、金属に魔力的特性を与えるエンチャントという技術。
それ以外の術式が混じっている……
つまり、それは、力量の程は定かではないが、敵に魔導士が混じっているということだ。
中尉は小走りで移動しながら振り返る。
そして、発砲!
人影が倒れる。
敵を一人、仕留めたのだ。
「厄介だな……」
ダヴェンポート中尉は、吐き出すように、そう言うと大きく息を吸った。
状況が、彼に休む暇を与えない。
新兵のヴァルトニーニが明らかに精彩を描いている。
今だって、ほら!
明らかに囲まれている。
ダヴェンポート中尉は駆け出す。
疾い!
一瞬だ!
「いつもの勢いはどうした!」
ダヴェンポート中尉は、ヴァルトニーニの背中をかばうような動きで、敵兵を一人、二人と仕留める。
ヴァルトニーニは、きっと、ダヴェンポート中尉に怒鳴られたことを気にしているのだろう……
「ガトリング軍曹! こっちへ来い!」
それから、続け様に、別の者たちにも指示を出した。
A分隊とB分隊は、互いの連携を取り戻し個々のカバーリング精度も向上した。
岩場まで行けば、一時的な拠点確保は出来そうだ……
残る気掛かりは……
ダヴェンポート中尉は、
「ハートフォード副隊長、現状報告、現状報告をせよ! 以上!」
と無線をした。
耳元からのイヤホンは沈黙したままだった。
後方500の距離だ。
この程度の距離で通信妨害を受けるほど王国の無線機はボロではない。
すぐに、確認をしようと思えば出来るが……
優先事項から順序よくだな。
ガトリング軍曹とその他二名が、ダヴェンポート中尉を中心とした周囲を警戒していた。
ダヴェンポート中尉は、覇気のない新兵、ヴァルトニーニの胸を拳の裏で軽く叩く……
「さっきまでの勢いはどうした?」
新兵のヴァルトニーニは、彼の目を見ようとしない。
強い言葉で言い返してくるほうが、まだマシだ……これじゃ、まるで子どもだ。
新兵の不貞腐れた様子……
ダヴェンポート中尉には、その不貞腐れた様子が、彼の故郷、そこにいる血のつながらない弟や妹たちの姿に重なってしまう。
あいつら叱ると、しばらくはいじけるからなぁ〜
そして彼は苦笑してしまう。
父親のような表情を見せたダヴェンポートの姿。
その様子を見たガトリング軍曹は、頭をかきながら目を細める。
「活躍をして実力を示せ。お前なら出来るはずだ……それで、さっきの失態は忘れてやろう」
新兵のヴァルトニーニとダヴェンポート中尉の目が、やっと合う。
手間がかかって、めんどくせぇ奴!
しかし、あと一押し、もう一押しだ!
「俺は、お前に期待している、と言っている。いいか、よく聞け、お前なら出来るはずだ」
新兵のヴァルトニーニの顔色が変わる。
みるみると血色が良くなるのが見て取れる。
ダヴェンポート中尉は、単純な奴だと呆れた。
ほんとにコイツ、伯爵家のご子息なのか? という疑いも芽生えさせてしまうほとだ。
元気を取り戻した新兵。
新兵のヴァルトニーニに照れ臭そうに言う。
「最初からそう言えっつうの!」
俺は、お前のアニキか?? と心の中で思いながら、ダヴェンポート中尉は、もう一度、彼の拳の裏でヴァルトニーニの胸元を叩いてやった。
いつの間にか、そばに来た、ガトリング軍曹が彼の肩に手を置いた。
「軍曹、ちょうど良い。今から、この場を預けるぞ!」
「マエストロはどちらに?」
ガトリング軍曹がダヴェンポート中尉を、かれの異名、『マエストロ』で呼ぶときは、すこぶる機嫌のいい時だ。
このことは、ダヴェンポート中尉も気づいていた。
だから、彼は疑問に思う。
「おい、お世辞にも順調とはいえない状況で余裕だな」
軍曹はニヤリと笑うだけ。
それを問い詰める時間は、ダヴェンポート中尉にはなかった。
彼は新たな術式を全身に張り巡らしはじめる。
すると、ダヴェンポート中尉の周りにキラキラととした光の粒子が漂いはじめた。
「軍曹、この場をお前に預けるぞ! だが、行動範囲は限定しない。お前が、どこに行っても、俺がカバーしてやる。だから、皆を率いて好きに暴れろ!」
ダヴェンポート中尉の体が宙へと舞いはじめた。
新兵のヴァルトニーニは、驚愕の表情だ。
「すげぇ! 飛空補助具なしでかよ!」
単身で空を飛べる魔導士。
その数は、世界に数えるほどしかいない。
ミカエル・ダヴェンポート中尉。
帝国軍からは『悪夢』と呼ばれ、味方からは『マエストロ』と呼ばれる男。
生身のみで空へと舞い上がれる魔法は、魔道の真髄を極めたマスタークラスである男の数ある異能の一つにすぎない。
ヴァルトニーニは、口を開けて上を向き、ダヴェンポート中尉を見ている。
ダヴェンポート中尉は、そんな彼へ、一言、言わずにはいられない。
「おい、ヴァルトニーニ、さっきの言葉を勘違いするなよ。全力で戦え……そして、全力で生き残れ! 新兵の初陣は生き残れば合格だ!」
ダヴェンポート中尉は、枝葉を抜けて森の上空へと舞い上がった!