第五二話 孤独
魔法は概念のエネルギー。
不可視の力が夢を具現化する。
だが、結局、魔法は破壊に特化していた。
『終わりを告げる冬の魔女』
ミカエル・ダヴェンポート。
彼女の魔力に森が凍える。
木々の葉に霜が降りる。
空を見上げれば低い雲が黒く広がる真冬空。
しんしんと冷えた空気は、匂いを消し去り透明になった。
その中心にいるミカエルの吐く吐息。
銀白色の髪色に白い肌。
蒼い瞳は途方に暮れていた。
フランシス准尉を連れ去った奴らの痕跡は無く。
魔力を伸ばしてみても何も見えない。
見たいものが見えない。
彼女の脳裏に広がったのは、この辺りの地形。
廃墟と化した街。
朽ちた建物。
そして、それを食い散らかした原生林。
洞窟のような穴は、きっと炭鉱の名残り……
人の気配を感じることが出来ない。
亡命者一家の子どもノアになら狙った意図は想像できた。
列車内での豹変を思い返せば普通でないと誰でも知れる。
ただ、フランシス准尉を連れ去る動機が分からない。
思い当たる節はあった……
それは彼女自身。
ミカエル・ダヴェンポートの秘めた力のせい……
フランシス准尉を生贄にする……
思いもよらない想像が彼女の頭に広がる。
間違いなく、ミカエルにとって彼女は大切な人になっている。
もし、目の前で……
ミカエル・ダヴェンポートは、自分を抑える自身がなかった。
一度目の『無限の冬』
ポートランドでの『終わりを告げる冬の魔女』の顕現。
ミカエル自身の記憶にない出来事……
救えなかった民間人の親子。
その光景が彼だった彼女に、我を忘れさせてしまう──
──その時は、男性から少女の姿になったのは夜の間だけだった。
二度目の実験でも同じ。三度目の敵基地攻略も同様だった。
四度目の要塞攻略戦。
その時以来、夜は明けても彼女は元の姿に戻っていない。
なら五度目は?
それ以上に力を使えばどうなる?
ミカエルにとって、それは些細な事だった。
軍に入隊をした。
その事実を持って、彼に保身という考えはない。
ましてや、大切な部下がさらわれたのだ。
フランシス准尉の身の安全が第一。
心に恥があるとすれば、幼いノアのことが二の次になってしまっていること……
どちらを優先するか?
軍人であれば任務達成を優先すべきだった。
フランシス准尉は軍人であり任務達成の為であれば、仕方ない犠牲の一人として数えるべき──
──だが、ミカエルの軍人としての自信が揺らぐ……
無線がジジジと鳴る。
彼女の耳にはめたイヤホンから声。
「こちらフィリップ……生きている。 通信回復だ……誰か応答してくれ、それにしても、ここは凍える……」
ピッという電子音を残し無線は消えた。
ミカエルの無線を手には取らなかった。
指揮をする自信がない。
部下を能力で公平に評価する。
任務達成をする為の適材適所。
例え、危険に場所、そとでの戦死が想定されたとしても、任務達成に向けた数的判断で指揮を下す。
兵士の死の順番は指揮次第であった。
彼女は、ここまで指揮を下し、多くの部下を失っている。
失っていたのだ。
公平であらねばならない。
一人の部下を特別に心配するのは間違いでしかない。
感情に流されたミカエル・ダヴェンポート。
フランシス准尉の身を思うと任務達成を後回しにしてしまう。
ミカエルは軍人失格と自分で決めつけた。
「こちらビースト、黒鉄の汽車は頑丈だ。運転手も無事、もっと褒めていいぞ!」
「軍曹! ガトリング軍曹! コールサインはやめませんか? こちらも無事、無事です!」
「馬鹿やろー、お前だれだ? その鼻声、カールか?」
ミカエルは苦笑いをしてしまう。
「まったく元気な奴らだ」
彼女は、イヤホンを見つめる。彼らの騒ぎが振動となって、それをつまむ指先から伝わった。
「こちら5号車、大抵無事だ。魔物は4匹始末した。どうぞ」
「副隊長より、各位。4匹は上出来だ。こちら1匹。どうぞ」
「こちら5号車、敵対認定の『ヘンタイ』が援護してくれた。対象はモリスと名乗った……」
ミカエルは、イヤホンから漏れた声に興味を持つ。
彼女は耳のそばへ持ってきた。
「敵対認定の解除を乞う。『ヘンタイ』モリスの敵対認定の解除を乞いたい。中尉、許可を。どうぞ」
ミカエルは、返事をする気は無かった。
イヤホンを耳からまた離そうと……
「中尉、返事、願います」
「中尉、魔物どもは厄介です。ヴァルトニーニから話は伺っております。見かけたら数を減らして下さい。どうぞ」
「中尉、ご無事ですか? どうぞ」
「こちら、レオン副隊長、ファーストネームで呼ばれるのは実は嬉しかったです。どうぞ」
「こちらガトリング、副隊長殿、そういう告白は、耳がかゆくなる。どうぞ」
「中尉」
「ダヴェンポート中尉」
「ミカエル・ダヴェンポート中尉」
「指揮を!」
「指揮を!」
イヤホンがワンワンと吠えたてる。
「こちらフィリップ」
無線技師のフィリップが、無線に割り込んできた。
「中尉……作戦が終わって王都から帰還したら休憩を下さい」
彼の無線は続く……
「中尉は、故郷の桜をフランシス准尉に見せて下さい。彼女と約束をされてめしたよね……」
フィリップの無線がピッと切れた。
どうやら彼は要塞戦の時、一時の休息、森の中で過ごしたあの時間、ミカエルとフランシス准尉の話を聞いていたらしい……
「こちらヴァルトニーニ、ダヴェンポート中尉、初日は反抗して申し訳ありませんでした。中尉は任務続行をお願いします。だれもフランシス准尉を助けに行っても文句は言いません!」
「おい、どういうことだ!」
「中尉は、任務続行を願います。だから指揮を下さい」
「中尉!」
無線の声は一方通行で一人づつしか使用できないはずだった。
なのに、ミカエルの耳には声が重なる。
「中尉!」
彼女はマイクを握りしめる。
「犬どもがやかましい」
スイッチを押す前に息を吸う。
そしてピッという電子音。
彼女はマイクに向かって言う。
「隊長から各位、傾聴!」
彼方此方に散らばる隊員たちが、イヤホンに耳を傾ける。
「まず、フィリップ、盗み聞きは趣味が悪いぞ」
森の中に横たわる1号車を背景に、無線技師のフィリップは、嬉しそうに愛機を叩く。
「だから、フィリップ以外の各位には任務達成後に休暇を申請しておこう」
ミカエルから、遠く離れた場所で、フィリップは愛機に身体を預けてぐったりとしてみせた。
ミカエルの無線は続く。
「各位は民間人の保護と救助を優先。『ヘンタイ』の敵対認定は解除だ。魔物には注意を怠るな。数は出来る限り、こちらで減らそう」
ミカエルが鼻をすする。
手の甲で瞳を抑えた。
「だから死ぬな。これは、命令だ。生きろ! 護衛対象の奪還は、こちらでする。以上!」
「こちら、副隊長。兄さんが戦力になります。5号車の位置を把握次第、部隊の指揮を、一時、引き継ぎます。以上」
レオン副隊長の無線の後ろで「貴様は、少佐と呼べと……」というヴィクターの騒がしい声がする。
「こちら、隊長。あれが役にたつとは思えんが、働いてもらえ。指揮は、一時、貴官に預けるとする。以上」
各々が無線で「了解」と返事する。
フィリップは「休暇は下さい」との懇願があり「面と向かって話し合うとする。少し説教だ」とミカエルは返事しておいた。
ミカエル・ダヴェンポートは軍人であった。
判断に感情が混じっても、彼女は軍人であるしかなかった。
フランシス准尉とノアのどちらも救うという選択肢もある。
ミカエル・ダヴェンポートには力がある。
それが、破壊に特化した魔法であっても力には違いない。
救えなかった命を数多く彼女は知っている。
この先も、きっと、それを知ることになるかもしれない。
その不安は常につきまとう。
『終わりを告げる冬の魔女』
ミカエル・ダヴェンポート。
それでも彼女は、何度でも、何度でも立ち上がり、向かっていくしかない。
それが、力あるものの義務だ。
小さな身体。
小さな背中。
小さな手。
その身は、少女でありとても小さい。
それでも、力あるものが、その身に収まる命だけを救うことに満足してはいけない。
彼女は、そう思う。
この先に、まだ知らぬ誰かがいるとして、その者が救いを求めるのであれば、ミカエルはきっと戦う。
そこに矛盾があっても、軍人は戦う。
なぜなら、軍人とは──
──平和を叫び、人殺しをなす者たちだからだ。
だからこそ、彼女は、いつも祈る。
ああ……神さま、平和を叫び、人殺しを成す、我らを……許したまえ……




