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第五十話 無限の彼方

 人は地平線に触れることは出来ない。

 そこに進めば地平もまた先へと進む……


 絶対零度は理論上にしか存在しなかった。

 宇宙の中、それ以前に外にもどこにもない──


 ──無限の彼方。

 絶対零度。

 そこは、動きを失った無の世界──虚無の静止。

 静寂広がる死の世界に違いなかった。


 風が告げる。

 銀白色の髪が流れ、涙粒のようなきらめきを散らす。


 ミカエル・ダヴェンポートは銃声を聞いた。

 彼方此方あちらこちらと響いてくる。


 地上に落下した車両。

 衝撃でガラスは割れている。

 陽射しは良好。


 視界は木々が邪魔をする。


「フランシス准尉、ヴァルトニーニ。敵が来るぞ! 後ろは任せる!」


 フランシス准尉はうなずき。

 ヴァルトニーニは目を輝かせる。

 亡命者一家は、彼らを両脇に置き、ミカエルの背中を見ていた。


 小さな背中。

 陽射しを正面から受ける彼女の影は、長く伸び彼らを包む。


 亡命者の母、エミリアがつぶやいた。

「……神話の因子をご存知ですか?」


 フランシス准尉の口元に戸惑いの色。

 僅かに開いた口を強く結ぶ。


 彼女の表情を見るエミリアの顔に怯えはない。

 危機迫る状況に、亡命者一家は子を心配しても成り行きは楽観視しているようだった。


 フランシス准尉と彼女の目が合う。

 仕方なくフランシスは首を振った。


 軍は『悪夢ナイトメア』にミカエルについて観測された事実を伝えても、神話に絡めたオカルト的な説明はしていない。


 軍隊とは現実主義者の集まり。

 だから仕方がないとも言えた……


「そうですが、クロノノートの裏法師たちは、中尉さんのことを『終わりを告げる冬の魔女』と呼んでましてよ」


 四季の魔女の一節は有名だ。


『クロノノート四季の魔女』──


 春の魔女は、風となって種を運び、夏の魔女は、天から陽の光をそそぐ。秋の魔女は、大地に溶け込み豊穣をもたらし、終末を告げる冬の魔女は、深い闇に封じられた。


 ──子どもが良く聞くお伽話の一節。


 冬は闇に閉じ込められ、その後の春を連想すれば暖かなる。

 もっと詳しい書物を開けば、春夏秋の名前が連ねられ『冬の魔女』の名前はない。


 忘れられた悲しい魔女のお話しだ。


「ダヴェンポート中尉は、私たち隊長です」

 彼女は言った。


 ミカエル・ダヴェンポート。

 彼女は『悪夢ナイトメア』陸戦魔道小隊の誇るべき隊長に違いはなかった。


 風が運ぶ。

 獣の匂い。

 泥や汗に混じる鉄臭さ。

 血の匂いと焦げる肉に硝煙が混じる戦場のそれに近くて遠い。


 その匂いが近づいてくる。

 身体の彼女が心の中の彼に告げた。


 あわれな獣に死の宣告を……


 大きな瞳に魔力が帯びる。

 あおき色が濃く宿る。

 そして魔力の粒のきらめきが大気な溢れ出た。


 フランシス准尉は、ロザリオを握りしめた。

 防御術式の展開。

 握るロザリオが少しだけ暖かい。


 まだ陽は高い。

『無限の冬』の到来時ほどではない。


「中尉……」

 それでも、フランシスが、つぶやき吐いた吐息は白くなる。


 いつのまにか世界に霜が降り、うっすらと白くなる。


 眼前に獣が現れた!

 残酷な影の塊。


 車両の下から先頭の夜狼ナイトウルフが躍り出た。


 夜狼ナイトウルフにとって夢が叶う瞬間だった。

 彼らの血に凝縮された神話の因子。

 活性化したその因子の望み。


『終わりを告げる冬の魔女』を喰い殺すこと……「殺せ! 殺せ!殺せ! 殺せ! あの冬の魔女を食い殺せ!」


 壊れたレコードのように彼らの頭に響く声。

 平常を失い狂気へと誘う。


『終わりの魔女を食い殺せ』

 それなせば平穏が訪れる。


 それが、夜狼ナイトウルフにとって夢叶う瞬間だった。


 ミカエルはただ触れるだけだ。


 鳳凰戦の時のように、天使の歌声も神の旋律も必要としない。


 夜狼ナイトウルフの動きを彼女は、はっきりと捉えている。

『無限の冬』は到来していない。

 絶対零度の加護もない。

 絶対無敵の身体でなくても恐怖はなかった。


 飛びついてきた。

 だから、指で触れる。


 絶対零度。

 無限の彼方へ誘う指先は、終着を迎える前に命を奪う。


 幾重にも折り重なるように襲い来る夜狼ナイトウルフ

 踊るようにかわし、頭を撫でてやる。


 じゃれつく犬と無邪気に遊ぶ少女の姿。


 足元には、遊び疲れた夜狼ナイトウルフが眠りについた。


 彼らの眠りは深い。

 やがて土にかえる深い眠りだった。


 車両の下。

 その木々の間を茂みが動き抜けてくる。


 草を生やした外套がいとうを被る者たちが迫り来る。


 目を血走らせ駆け回る夜狼ナイトウルフたち。

 ミカエルに夢中で、その怪しげな茂みたちを気にかける様子はない。


 フランシス准尉たちもミカエルを夢中で見ていた。

 彼女たちを襲う夜狼ナイトウルフもいない。


 魔物たちは積年の想い人に、夢中になっている。


 茂みは、ミカエルの背後から車両の可変を這い上がる。

 恐ろしくスムーズな動き、人の成せる技とも思えないほと異常で不自然。そして、気配は風景となっていた。


 誰にも気が付かれず。

 そして、視界に入っても風景──それが動いていてもだ。


 やがて車両の上に茂みが現れた。


 彼らの狙いは決めている。


 クロノノート90番代の回収。

 そして、もう一人……それは材料として必要、神話を完成させるために必ず必要な素材だ。


 標的の声を奪い茂みたちは奪い去る。


 母の叫び!

 エミリアの悲鳴!

「ノアを返して!!」


 裏法師は残酷に徹する。

 時に殺さずほど残酷なことはない。


 いつのまにか夜狼ナイトウルフは数匹になっている。


 振り返った先を見てミカエルの表情は変わる。


 残りの夜狼ナイトウルフは眠ることはない。


 なぜなら……彼らは氷になって散ったからだ。


 ヴァルトニーニは言った。

「フランシス准尉がいません」


「誰の仕業だ!」

 ミカエルの咆哮ほうこうがこだまする。


 彼女の激情に周囲は真冬のように冷え込んでいく。

 いつまにか陽光は弱くなり。


 低い雲が空を覆いはじめた。

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