第四九話 兄弟
原生林。
老いた木々が生い茂る森。
夜狼の苛立ちを込めた唸り声。
森の木々が枝葉を揺らし怯える。
銃声が響く。
憲兵車両周辺の森も夜狼に苦戦を強いられていた。
地を這うように氷結が走る。
無作為に天上を突き刺す氷の槍が一直線に並ぶ。
水晶のように透き通った氷。
一点の曇りなく陽光に輝く氷だ。
夜狼の硬い毛と皮は、それらを砕き弾く。
散った氷は、陽の光を反射しやがて溶けて消えゆく。
夜狼が唸る。
目の前に立つ男が憎らしいからだ。
離れた場所に立つのはレオン・ハートフォード。
ミカエルが率いる陸戦魔導小隊『悪夢』の副隊長。
普段は、仲間たちの活躍に隠れて目立たない彼。
純粋な魔法なら、その腕前は中々だった。
夜狼は毛並みを逆立て低く姿勢。
前足を土に埋める。
眼光は鋭く、口の脇からはだらしない涎を垂らす。
正面から外れた場所。
ヴィクターは、唇を噛みながら魔物を狙い手をかざす。
ハートフォードは、氷結の血筋だ。
血で魔法を受け継ぐ。
婚姻で血統を選び血を洗練していく。
貴族とはそういうものだ。
力あってこその権威。
だからこその伯爵家。
彼も魔法を放つ。
氷の矢。
透きとおるなく。
美しくもなく。
ただ愚直に軌跡を描く。
夜狼は気に留めることなく受け止めた。
遠く離れた場所から憲兵たちの銃撃。
それを魔物は少し嫌って横に動いた。
ヴィクターの魔法は銃撃より劣る。
レオンよりも美しくもなく、ただただ貧弱で見窄らしい。
正当な血統であるはずのヴィクターは、私生児のレオンに魔法で劣る。
それは彼にとって母を否定されたという事実に過ぎなかった。
ヴィクターの血の半分は、母の血だからだ……
夜狼は跳ねた。
しなやかな筋肉は、巨体を素早く動かした。
疾い!
レオンは、大木の影に身を置く。
すると、魔物は身を捻り木を避ける。
木々が魔物にとっての障害物として機能していた。
レオンは常に木々を傍らに身を置くように距離を置く、
そして氷結の一閃。
これを繰り返し、夜狼を皆から遠ざけていく。
ヴィクターにもその意図がわかる。
「生意気だ、生意気だ」
だから口走ってしまう。
「汚れているくせに」
そう言ってしまう。
ヴィクターは、レオンを追いかける。
正統な血筋であることを証明するためだ。
そして、ヴィクターは知っている。
父が、なぜ、私生児であるレオンにハートフォードの姓を与えたか──
それは、彼が劣っているからた……
「……汚れた売女の子のくせに」
ヴィクターは、そう口にする。
彼は、まだ、気がついていなかった。
そう口にするたびに自らの母を否定しているということに──
なぜなら、彼は弟より劣っているからだ。
心の無意識が、そのたびに彼の胸を貫いていた。
レオンの視界の隅にヴィクターがいる。
夜狼と遭遇してからずっとだ。
氷の矢が魔物に当たる。
意味のない一撃。
レオンにとって、真っ直ぐに進む矢が描く直接は懐かしく思える。
彼が思い描く兄に、その軌道は近い。
また氷矢が放たれた。
力なく弱い香り魔法。
物足りない──
──記憶に残る、兄の手はもっと暖かだ。
そして、もっと、もっと……
レオンの氷結魔法。
壮大で美しい氷の軌跡。
そして夜狼に砕けて散った。
その魔法は、まだ魔物には届かない。
夜狼の血に刻まれるは『終わり告げる冬の魔法使い』を喰い殺すこと。
絶対零度の魔法使い。
それを喰い殺すために作られた出来損ない。
それでも、レオンの氷結魔法程度では凍えることは無かった。
視界の隅から氷の矢。
ヴィクターは、まだレオンに付いて来ていた。
レオンには分かっている。
今のヴィクターは、あの時と違って自分を心配してはいないと……
先程、名前を呼ばれた時は嬉しかった。
途中から気がついていた彼は、身体を揺らしてくる兄にわざと身を任せていた。
夜狼が彼を睨みつける。
レオンは、囮になるつもりだった。
勝てないと思える程の強敵。
犠牲が少ないに越したことはない。
数的判断。
崖でもあれば、それを利用するという少しの賞賛。
兄だってそれは分かっているはずだ。
なのに、なぜ付いてくる?
レオンのイライラは募っていく。
助けるのは自分の番だと決めていたからだ。
「兄さんは邪魔だ! 役に立たないから下がっていろ!!」
レオンが導いた最適解はこれだった。
理解し合えないなら、少しでも役に立った方がいい。
恨まれるなら、もっと恨まれても役に立ちたいという気概。
ヴィクターも「レオンが囮を買って出ている」と理解している。
あまりにも明からさまだからだ。
だから「生意気」と思う。
だから「悔しい」と思う。
だから「嫌い」だと思う。
だからこそ、ヴィクターは、何を言っても怒らないレオンが……弟が大嫌いだ!
「貴様こそ! ……生意気だ!! 怒りたいなら、ちゃんと怒れ!!」
ヴィクターは、一番、大嫌いな魔法を使うことにした。
ハートフォードの血筋は、氷結の血筋。
先祖代々、脈々と氷結を濃く、その血に練り込んできた。
ヴィクターの一番嫌いな魔法──
──単純な炎撃……
「俺は、レオン、おまえが嫌いだ!」
ヴィクターが手をかざした。
単純な炎。
どこまでもシンプル。
その規模が違う。
氷結の血統。
その血が濃くなり炎と化した。
極炎の塊が夜狼を包む。
「怒れってなんだよ……」
レオンが肩を震わす。
彼の腹正しさは増すばかりだ。
目の前に炎に包まれた夜狼。
極炎の塊。
ハートフォードの血筋と対極の魔法。
兄のバカさに呆れるばかりだ。
最初からヴィクターがこの魔法を使えばもっと有利に立ち回れたはずだった。
「兄さんのバカァー!」
レオンの極大氷結!
兄弟の正反対が夜狼を襲う。
極炎の塊──
──極大の氷結。
極端な極炎と氷結と同時展開。
夜狼は二歩、三歩と進む。
それでも進んでみせた。
その執念は、やがて力付き地に伏した。




