第四八話 言霊
アンナは腐葉土を投げつけた。
泥を被った青年実業家はいいとばっちりだ。
──5号車(諜報員ばかりの車両)
木々の幹に苔がびっしりと生えている。枝葉を抜けてくる陽光は、どこかグリーンを帯びていた。土手にように競り上がった場所に積んだ煉瓦がわずかに残る。それは文明の忘れ形見のようだ。
かつての街を自然が飲み込んでいる。
アンナのすぐ真後ろには客車が横たわる。彼女の乗っていた車両は尖った岩が突き刺さり、無惨にも真っ二つに避けていた。そこから飛び出た荷物が周辺に散乱、緑の絨毯を汚している。
木々の間をすり抜けて、遠くのあちこちを覗き見れば微かに複数の残骸……5号車周辺に車両落下が集中していた。
アンナは、腐葉土をもう一掴み……
湿った土は冷んやりとザラザラに彼女の長い指に纏わりつく。
老婆の声だ。
「ほれ、飴舐めな」
「お婆さまもお元気ですね」
アンナは掴んだ土を青年実業家に投げた。手のひらに張り付き残る砂粒を洗うようにして綺麗に落とす。差し出された飴を、その流れで受け取った。
青年実業家は、眉を寄せた。
その様子を横目にアンナは頬を膨らます。頬張った飴は甘かった。
「どうしてそんなにお元気なんですか? 変装でもされてます??」
「飴、美味しいでしょ?」
老婆の笑顔は、アンナに子ども心を思い出させた。
暖炉の前、足のつかない椅子で炎の揺めきに夢を見る子ども時代。頬に収めた飴玉を、舌を使って逆へと動かす。
「目的はなんですか?」
アンナは直球で聞いた。
老婆はただ、
「観光よ」
と答えただけだ。
あれだけの惨事、それに対する生き残りは多い。
一人、二人ならまだしも全員となると導き出される答えは一つだった。
5号車の誰も彼も普通でないということだ。
尖った岩に刺さり、真っ二つに割れた客車を背景にアンナは座っていた。
アンナのパートナーである青年実業家。
胸ポケットを飾るハンカチーフを使ってスラックスについた泥を叩き落とす。
「物騒な森に来たもんだ」
とつぶやき、ステッキを強く握る。
彼の足元からアンナは目を細め睨んで見上げた。
「荒事はよしなさいよ」
この機会にたまった文句をアンナは彼にぶつけるつもりだ。
言霊を操り、華麗な活躍を彼女はするつもりだった。負の感情を増大させ混乱を煽る、その一択。
男性が小走りで来た。
天然パーマに大きな鼻が目立つ男。
ベルファス基地では商用トラックの運転手として出入りしていた人物だ。
商国家連合の諜報員は、肩で息を吸う。
「あなた達も話に加わりませんか?」
計算高い作り笑い……
大惨事を乗り越えた面々。
この後に及んで、お互い素性を隠し探り合う。
アンナは腕を差し出した。
天パの男が、それを受け取ろうとする彼女は拒絶する。
アンナが三度腐葉土を掴んだ……青年実業家を狙うつもりだ。
結局、彼女の脅しに屈する形で、座っているアンナの手を取り、引き上げるようにして彼女を立たせてやった。
老人が側にいた。
「お嬢さんは、早くそこを離れなさい」
青年実業家の目が見開く。
彼は、そこに老人がいたことに驚いた。
人の一生より長い月日を経た原生林。
老人は風景の一部のように溶け込んでいた。
「おい、爺さん……」
天然パーマ、鼻の大きな商国家連合諜報員、言葉は途中までだ。
列車を突き刺す巨大な岩。
黒い影が纏わるように駆け抜け襲いくる。
アンナには塊が男を飲み込んだように見えた。
青年実業家は、腕で彼女を引き寄せると背中に隠す。
毛むくじゃら獣。
大きい……狼のような見た目、本質的な何かが違う。
その瞳が辺りを見回す。
憎悪と嫌悪が入り混じる視線で次々と人を刺す。
鼻によったシワは深く、牙の根本は少し黄ばんでいた。
最初の影は男を咥えていた。
まるで人をネズミやリスといった小動物のように咥えている。
腹から血を流す憐れな生贄。
商国家連合の男は必死に手足を動かしていた。
そして隠し持っていた拳銃。
それに望みを託す。
「この……クソ野郎!」
彼は、得体の知れない黒い影、その瞳を狙う。
最初の銃声はここから始まった。
パァーン!
薬莢に詰められた火薬の破裂音。
銃弾が黒影の瞳を襲う。
諜報員の放つ銃弾。
護身用の弾でない。
魔導士相手でも通用する特別弾だ。
その弾は無駄になった。
誰の目にもそう見えた。
これでは、まるで諜報員の拳銃が、火薬の音がするだけの玩具のようだった。
黒影の返事は無言。
顎に力を込め生贄のトドメを刺した。
力なく垂れ下がる手から拳銃が、苔の中に半身を落とす。
黒影は電池の切れた人形を、放り投げ捨てた……
獣であって獣でない。
本質的に獣とは違う。
獣は生きる為に獲物を殺す。
奴らは、ただ殺すだけだ。
そうするよう血に刻まれている。
夜狼──
奴らは生贄をここでも見つけた。
発砲音が続く。
ミカエルの部下『悪夢』の隊員たち。
四人が拳銃を構える。
彼らは通常弾は通じないと知っている。
軍事用であれば、民間のそれとは違う。
『魔導士殺し《マジシャンズキラー》』の刻印がされた銃弾。
それであれば対処できるという判断。
その全てが誤りだった。
二人目の犠牲者が今、空高く舞った。
夜狼が放り投げたのだ。
ここまで来ても、自らの身分を明かすものはいない。
誰かが危機に対処し、その後に乗じれば良い。
隙を伺い、敵を出し抜く。
誰もが、それこそが一流だと思っている。
枢密監察部もそうだ。
手の内を明かしたくなかった。
アンナの苛立ちは頂点だ。
色々と面倒くさくなったと言い換えてもいい。
「お婆さまとお爺さまは、少し下がって」
彼女は、スカートの裾を破る。そしてハイヒールのかかと部分を折っていく。
「お嬢さんはどうする気?」
老婆たちは戸惑う。
「私たちは、多少、動けるの……民主共和体の諜報員は強いのよ」
言葉に反して、彼女は青年実業家の背中に隠れたままだ。
「さあ、少しはカッコいいとこ見せてよね」
「まったく……」
青年実業家は、頭にかぶるシルクハットを抑えた。
帽子のつばに目を隠す。小さな雷光が迸る《ほとばし》る。
「ちょつと、皆んな聞きなさい! このいけ好かない男、魔導士なのよ。民主共和体の『紫電の使徒』ヴィクトール、ちょっとは聞いたことあるでしょ!」
5号車の面々が耳を傾ける。
夜狼は次の獲物に襲いかかるところだ。
「そうすると何かい? 君は『紫電』の相棒の『お荷物乙女』かい?」
「誰が、お荷物よ! あなただって素性を明かしなさいよ!」
青年実業家の格好をして『紫電の使徒』ヴィクトールが口元で作った拳に息を吹き込むようにして笑う。
彼にとって『お荷物』は言い当て妙だった。
しかし、大切な荷物だ。
彼女がいる、それだけで実力以上に戦える。
いつだって、そうだったからだ。
「素性を明かして騙し合う、それが一流なのよ!!」
アンナはベーと舌を出した。
彼女の容姿は美しい大人の女性だ。
それでも、子どものように振る舞う。
だからこそ魅力的。
「嬢ちゃんの言う通りだ!」
あちらこちらが賛同する。
国と素性を明かしていく。
彼女の言葉が団結をさせた。
それが、仮初めでもこの場を乗り切れるという期待が高まる。
魔力のない言葉。
言霊でなく、ただの叫びが皆を動かす。
「あんたらを見ていると、若い頃を思い出す。なあ、婆さん」
「そうですね、お爺さん」
老夫婦が手をつなぎ、ゆっくりと前に進む。
老婆が銃を構えた。
銃口を一点に定める。
そして引き金を絞った。
その弾丸の射線が燃える。
離れた地面、土がえぐられる。
夜狼の頭蓋に命中。
鈍い音が響く。
流石の夜狼も棒で殴られたぐらいのダメージは負ったと見えた。
「可愛げのない子だね」
老婆のつぶやき。
そして、
「観光も飽きてきたところだ」
老人が老婆の手を離すと重心を低く構える。
老婆が彼の背中に手を置いた。
すると……
老人の身体が肥大化していく。
筋肉の膨張だ。
「さあ、爺さん、やっちまいな!」
「おお、婆さん、惚れるなよ」
「もう、とっくにアンタにぞっこんだよ!」
老人とは思えない筋肉ダルマが飛び出した。
アンナはジト目で青年実業家の振りをするヴィクトールを見る。
「カッコいいとこ、取られちゃうわよ」
「それは、困ったもんだ」
『紫電の使徒』ヴィクトールは、ステッキの隠し刀を抜く。
その刃には、雷光が纏わりつくようにして迸る。
老人の一撃が夜狼に刺さる。
魔物の巨体が浮く。
低く唸り声を上げ、老人と対峙した。
「困ったとか言ってる場合じゃないのよ」
アンナは、ほれほれとヴィクトールを急かす。
「そうだな、これ以上、惚れられたら困ると言ったんだ」
彼は稲妻となり駆ける。
アンナは
「なっ! 惚れてなんなんかないわ!!」
と見送った。
老婆は肩をすぼめ手のひらを天に向け首を横にふる。
「素直じゃない娘だよ」
笑う老婆は、死闘を繰り広げる老人とヴィクトールを見た。
彼女は眉間に皺を寄せた。
達人の域を超え伝説級ともいえる二人が夜狼と戦っている。
押しているように見え、夜狼が遊んでいるようにも思える。
実際、夜狼は楽しんでいた。
ただ殺す。
それより、遊んで殺す。
その方が楽しいからだ。
遠くからも銃声が轟き始めていた。




