第四七話 夜狼
空に向いた車両の扉が天高く舞い上がる。
陽光が隣を照らし、鉄製の扉はキラキラと光を反射した。
車両の放棄。
当然の選択。
亡命者護送の目的地──王都を目指す。
ミカエルは胸元から地図を取り出す。
ベルファスから王都へと伸びる鉄道路線。
巨大風車は通過した。
指先は滑らかに地図の上を走る。
トンネルをくぐる。
ここも正規路線。
その先が違うに違いなかった。
指先は路線を外れ、ある場所で止まる。
王国史で学んだ覚えのある場所。
かつて資源採掘場所。
捨てられた廃坑がある場所だ。
一度見た光景。
森の中に見え隠れする廃墟。
歴史と光景。
それと、ここに来た経緯が一致する。
ミカエルは地図を胸元に収めながら銀白色の髪を風に泳がせる首筋を這うように流れいく冷気が、彼女を妙に心地よくさせた。
客車に開いた扉の穴、そこからフランシス准尉が出てくる。彼女な亡命者一家が穴から這い出るのも手伝う。
ミカエルの隊はバラバラ。
乗客もバラバラだった。
危険の源が亡命者にあるのなら……
ここが一番物騒になるに違いなかった。
死ぬ順番を選ぶのが指揮官だ。
ミカエルが彼女を選んでそばに置いた。
しかし、謝罪には早い。
「君がいてくれて助かった。ありがとう」
と言った。
ミカエル・ダヴェンポートは銀白色の髪をかいた。
小さな手でふわふわの髪をもじゃもじゃにかき混ぜる。
フランシスの振り向いた先で広がる光景。
ミカエル・ダヴェンポート。
以前の彼は、彼女になっても癖は変わらないらしい。
フランシスは、口元を手で隠しクスクスと笑う。
「私も中尉には助けられてばかりです。ありがとうございます」
という彼女は少し楽しそう。
その言葉にミカエルは救われる。
助けられてると思ってくれている人がいる。
今に彼にとって彼女の何気ない言葉が救いになった。
一陣の風が二人の間を駆け抜ける。
ミカエルは乱された長い髪をそっと耳元で抑えた。
客車の穴から顔を覗かせた青年がいる。
二人の世界に割って入れなかった彼の名は新兵のヴァルトニーニ。
彼はバツの悪い顔で穴から這い出た。
ミカエルは
「貴官は頑張れ、それだけだ」
と笑う。
ヴァルトニーニは顔を赤くしている。
「俺だって中尉の力になれます」
王国軍人の三人と亡命者一家の三人が列車の外に出た。
──森の中。
狼たちの怒りは頂点に達している。
大爆発。
その轟音は、耳の良い動物にとっては苦痛そのもの。
他の獣は恐れをなして逃げ惑った。狼でも、それは変わらぬはずだった。
大きな前足が土をえぐる。
低い唸りで喉を鳴らす。
わずかに開いた口元に見え隠れする牙が大きい。
狼……その面影を残した魔物と呼ぶのが相応しい。
彼らの毛が逆立っている。
恐れは恐怖の源泉である。
そしてまた、恐れとは怒りの裏返しでもあった。
怒りは戦う一択を迫り、そこにわずかな恐怖が伴えば、逃げるか戦うかの二者択一を迫られる。
さらに……風に混じる香りが彼らは嗅ぎ分けた。
夜の香り……真っ暗な闇、極寒の冬を連想させる香りだった。
昼を嫌う眷属は彼らにとって食い殺す敵だ。
狼男の成りそこね。
魔物もどきにすぎない狼。
神代から紡がれた因子が告げる。
彼らの血に脈々と受け継がれた本能が行動を求めている。
夜狼は、森の中を駆け始めた。
顎が開く、喉元が見えた。唾液が散った。
木々の障害を軽やかなステップでかわして進む。
『終わり告げる冬の魔女』を噛み殺せ!
獰猛な魔物の一団は、数十、数百の荒れ狂う嵐が森の中を駆け抜けていく。
──憲兵車両落下地点近辺
ヴィクターとレオンのハートフォードの兄弟は車外に放り出されていた。
気絶している二人。
腐葉土に顔を埋めていたヴィクターが目を覚ました。
細い木漏れ日が彼の顔を照らす。
泥で汚れた顔をヴィクターは吹いた。
飛んだ記憶が蘇ってくる。
最初に車外に放り出されたのはヴィクター、兄である彼が割れた窓をすり抜けるように外に放り出されたのだ。
レオンは少し離れた場所で倒れている。
弟のレオンを兄を守るようにして窓を抜け出て来た。
手を伸ばしながら「兄さん!」と叫んだ彼の姿。
「バカな奴だ」
ヴィクターが吐き捨てるように言った。
弟の身体を兄が揺らす。
「貴様、やはり無能だな、手間をかけさせるな」
弟が目を覚さない。
もう一度、ヴィクターはレオンの身体を揺らす。
反応がない。
激しく乱暴に弟の身体を揺らした。
「レオン! レオン! 目を覚ませ! 許さんぞ!」
彼は必死だった。
弟とより有能なことを示さなければならない。
父の浮気の象徴であり、母の悲しみを呼び覚ます弟……
弟のレオン。
幼い頃は一緒に遊んだ弟……
その弟の反応がない。
ヴィクターは「くそっ」とつぶやく。そして腐葉土に置いた手を強く握りしめた。爪の中に入る土の嫌な感覚、それを感じながらも強く、強く握る。
レオンの身体が小刻みに震える。
そして彼は、空を仰ぐように大の字になった。
「貴様! 遅いぞ!」
ヴィクターは振り上げた手をゆっくりと下ろす。
「兄さん、もう一度、呼んで下さい」
レオンは白い葉をのぞかせた。
木漏れ日が風に揺れる。
二人の姿をそっと照らす。
「兄さんではない少佐と呼べ」
ヴィクターはぷいっと横を向いた。
その先から人影が出てくる。
「ハートフォード少佐、ご無事でしたか」
小銃を抱えた憲兵たちだ。
彼らのほとんどは無事に大爆発を乗り越えていた。
数匹のはぐれ夜狼、その内の一匹が彼らを見つけた。
人間にも憎悪しかない。
人に従順でない。
その一点をもって廃棄となった夜狼。
失敗作の夜狼。
憎悪ばかりが刻まれた因子を血に刻まれた憐れな魔物。
喉を鳴らしながら一歩、一歩とヴィクターとレオンの一団へと近いていく。




