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第四六話 無力な英雄

 一瞬の出来事だった。


 誰もが感じたのは、床の急な上昇。

 重心が下がり、無意識の反射が下半身に力を込めさせる。


 その瞬間──


 乗客たちは席から浮き上がり、車内を漂うような感覚を味わった。


 一般客車に悲鳴が轟く。

 大人も子どもも、男女の区別なく絶叫する。


 生あるもの全てが恐怖する『死』──

 それが間近に迫る圧倒的な現実が、恐怖を極限まで煽る。


 手荷物が宙を舞い、中身が漏れ、浮遊する。

 財布や手帳、玩具箱といった類いが宙に浮きゆらゆらとさまよう。


 天井近くまで投げ出された者たちは──

 手足を動かしあがくことで足場を探す。


 解放感は皆無。

 そこには大地に見放されたという不安しかない。


 均等な力で打ち上げられたわけではない車両は、次第に回転を始めた。


 縦回転、横回転、斜め回転──

 それらが複雑に組み合わさり、各車両がバラバラに宙を舞う。


 陸戦魔導士たちは防御術式を展開する。

 だが、全てを救う力はない。


 それは、少女の姿をしたミカエルですら同じだった。

 彼女は魔力を高める。


 ……ある感覚が襲う。


 冷気の放出——


 要塞戦以降、積極的に魔力を展開しない理由がそこにある。

 魔力が強すぎるのだ……


『昼のマエストロ』——その二つ名が霞むんで消えた。


『強すぎる力』──何も救えないなら、彼女にとってそれは『無力』と同じ……だった。


 防御術式がなくとも、ミカエルは落下する車両の中で恐怖は感じていない。それは、華奢な見た目からは想像できない、強靭な肉体と運動能力によるものだと自覚していた。


 だからこそ——彼女は『冷静』だった。

 悲鳴が響く車内で、誰よりも冷静であるという事実が、むしろ彼女にとっての拷問だ……


「助けて!」

 耳に飛び込む悲痛な声。

 それを聞き分けてしまう。

 方法を思考してしまう。

『絶対に諦めない』という強い志て精神が、彼女自身をむしばんでいく。


 唯一の救いはフランシス准尉の存在。

 彼女の類まれな防御術師なら、きっと亡命者一家を守れると信じられる。


 ミカエルはフランシスを見た。

 彼女はミカエルの信じたとおり亡命者親子を防御術式で包んでくれている。


 ミカエルとフランシスの目が合う。


 それは、車両が放物線の頂点に達した瞬間でもあった。

 運動エネルギーがほぼゼロになる機動の頂点──

 無重力に近い感覚が乗客たちを襲う。


 全てからの解放感。

 大地に見捨てらたという孤独感が襲う。


 ——音が、消えた……


 一人の乗客が席に戻ろうとする。

 しかし、彼は気づいていない。

 その席は、逆さまだ。


 それは、天に座り、地に頭を置く行為に他ならない……


 ミカエルの部下。

 屈強な陸戦魔導士は、彼に声を掛けようとした。

 逆だと伝えたかった。

 生きる可能性を捨てる行為だと……


 声は決して届かない。


 その全てを叩き落とす、落下が始まったからだ。


 大地から伸びた『重力の腕』が車両を捕まえる。

 見えない手が車両を握りつぶすように地面へと叩きつけた。


 激突!

 砂煙と地響き!


 車両の内部は地獄絵図と化す。

 すべてが壁に、天井に、容赦なく叩きつけられた。


 何もかも壊す圧倒的な無情であった。

 車窓が赤く染められた。


 耐えられる者は、ごくわずかしかいない……


 残酷なふるいが、生き残る者と、そうでない者を仕分けていた。


 生き残った者たちは視界に無数の光が散らしている。

 散乱した物資の間で、呻き声が漏れはじめていた……


 ——そして、ミカエルへの『拷問」は終わらない。

 むしろ、ここからがはじまりと言っていい──


 軍人特有の合理的な思考。

 それを俯瞰する客観的な視点。

 彼女が持つ『優秀さ』さが、むしろ彼女を責め立てる。


 民間人を巻き込まない。それが第一。

 犠牲は決して出してはならない。


 だからこそ、護送手段に列車を選んだ。

 しかし、この結果では——

 むしろ人気のない田舎道を、護送車両で進んだ方がよかった。


 選択を間違えたのは、誰だ?


 ——ミカエル・ダヴェンポート、自分自身。


 この結果を予測できた者はいたか?


 ——いない。

 だが、それでも責任は彼女に帰結する。


 市街地戦では誰も救えなかった。

 ここでも、誰も救えていない。

 『終わり告げる冬の魔女』は誰も救わず、いつでも役に立っていない。


 救おうと手を伸ばしても指の隙間から命が溢れ落ちていってしまう。


 ……幻聴が聞こえる。


「助けて」

 そこら中の隙間から、あらゆる場所から彼女を「助けて」と責め立てる。


 そして「おまえだけ無傷なのは罪だ! この大罪人め!」と糾弾する。


 この惨状はなんだ?


 退路を断つだけなら、線路を破壊すれば良い。

 小規模な爆発——いや、それすら不要だったかもしれない。


 この惨劇を目の当たりにすれば、

 仕掛けた者への報復を誓うのが──『人の道理』


 だが、復讐は合理的ではない──それも周知。


 それでも……

 普通は復讐を誓うだろう。


 ──人情がそれを許さず『悲しみを癒すための復讐』を人に選ばせる。


 しかし、ミカエルは……違う。

 それ以上に、自分が許せない!


 復讐すべき相手がいるとすれば、

 それは——自分自身……


「くそ、くそ、くそ……」


 彼女は小さな拳を固く握りしめ、車両に叩きつける。


 強靭な肉体は、痛みすら感じさせてくれない──強靭な肉体は自らに罰を与えることすら許さない。


 心が、ぐしゃぐしゃになっていて……悲鳴を上げていた……


 鉄のきしむ乾いた音が車内に響いた

 何度も、何度も……


 フランシス准尉のぼやけた視界がはっきりとする。

 数秒? 数分?

 たとえわずかとはいえ意識を失ったことを彼女は後悔した。


 乾いた金属音

 途切れることなく続く、その発信源にフランシス准尉は赴いた。


 そこには隙だらけの少女がいる。

 背に立つフランシスに気づく気配がない。


 小さな背中を丸めニギシ握りしめた拳を鋼鉄に打ち付けている。

 背中を震わし、自らを責め立てるミカエルがいた。


 少女の姿になっても「彼女は、やっぱり彼だな」とフランシスは思う。


 きっと「この惨状を自分のせいにして責めている」という心情が彼女には手に取るように分かり理解できた。


 そういう人物なのだ。


 フランシスは、冬の教会、その礼拝堂にいた彼を思い出す。

 軍服ではない、お世辞ともオシャレとはいえない普段着を着た彼。


 粗野で無骨な朴念仁ぼくねんじん


 ミカエル・ダヴェンポート──

 戦場では常に冷静、冷血な決断も下してみせる。


 その実、彼は優しすぎる……


 神でさえ救えない世の中だ。

 人の身で救いきれないは至極しごく当然……


 フランシス准尉は、ミカエルに慰めや励ましは無駄だと悟っている。彼女にとって、それは、とても悲しいこと……


 ミカエルは、小さな背中で全てを背負うとしていた。

 フランシス准尉は、後ろから両手で抱きしめたい衝動を抑える。


 ミカエルの肩にフランシスは手を置いた。

「中尉、落ち着いてください……」


 ミカエルが振り返る。

 その瞳に涙はない。


 それがフランシスには、とても悲しい……

 ミカエルを冷静にする一言を彼女は知っていた。


「中尉、落ち着いて下さい。あの……」


 フランシスは躊躇ちゅうちょした。

 息を吸い込み言葉を吐き出す。


「あの……少し寒いです」


 フランシス准尉の吐き出した吐息が白い。

 車内には霜が降りていた。


 空を隠す壁が無ければ、雪が降ってもおかしくない気温。


 ミカエルの感情は冷気となって車内を満たし始めていた。


 ミカエルが冷静を取り戻す。

「取り乱してすまない」


 ミカエルは、いつでも他人を優先する。


 フランシス准尉は、ミカエルの優しさを利用することでしか助かることが出来なかった。


 ハンカチを手に取った。

 フランシス准尉は、そのハンカチをそっとミカエルに近づける。

「あまり無理はなさらないで下さい。唇から血が出てますよ」


 フランシス准尉は、涙の代わりにミカエルの血を拭き取った。

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