第四十話 傾注せよ
ミカエルが無線を飛ばす。
「総員、傾注! 傾注せよ!」
機関室から各車両に配置した部下たちが、一斉に無線へ意識を向ける。
ミカエルは車内を見渡した。
ヴァルトニーニが視線で「子どもはどうする?」と問いかける。
彼女は手で「そのまま」と合図を送った。
汽車が同じ場所を巡る『ループ』は確かに異常事態だ。
だが、6歳にも満たない子どもには、その意味を正確に理解することは難しい。
むしろ、余計な不安を与えるほうが問題だ。
それに、何より大切なのは……両親のそばにいること。
ミカエルは無線を続ける。
「こちらホワイト・ファルコン(2号車)、ループ現象を確認。繰り返す、列車はループしている。同地点を二度通過。原因、不明。持続時間、不明。以上」
ヴィクターは落ち着いている。
席を立ったレオンとは対照的に、窓の外をただ静かに眺めていた。
「ホワイト・ファルコンより各員、ファルコンより各員! アイアン・ビースト(機関室)から順に現状を報告せよ! 繰り返す、ビーストより順に報告!」
無線が応答を返す。
ビースト(機関室)から順に、各車両の報告が入ってくる。
興味深いのはファントム・シアター(5号車)
一瞬、車内の空気が不自然に静まったとの報告があった。
それ以外の乗客に明確な変化はない。
ただ……
観光名所の大風車を何度も目にすれば、騒ぎが始まるのは時間の問題だった。
ミカエルは顎にそっと手を当てている。
レオンとヴィクター、対照的な兄弟を見ていると余計なことを考えてしまう。
彼女の優先事項は、彼らではない。
「総員傾注、乗客に現状を知らせよ。己の身分をあかせ、そして、正確に現状を乗客に知らせてやれ。以上」
いたら気がつくなら、その前に情報を伝えるべきだ。
憶測は不安になり、恐怖を駆り立ててしまう。
「民間人との対立は避けるべきだ」
一人、彼女はつぶやいた。
そきて無線をもう一つ。
「総員傾注、車両間の移動を制限しろ。限定的に警察権と銃火器の使用を解禁する。民間人への発砲は厳禁と心得よ。貴君らは、王国の……王国の陸戦魔導士であることを、決して忘れるな。以上」
「こちら、ビースト(機関室)了解! 指一本で制して見せます! どうぞ」
ガトリング軍曹の大声!
ミカエルが無線機のイヤホンを思わずイヤホンを離し苦笑した。
皆次々に威勢の良い返事を飛ばす。
大人しく乗客の振りをしていたので鬱憤が溜まっていたらしい。
最後の6号車に至っては……
「こちらヴェイル(8号車)了解。騒ぐ奴がいたら鼻くそを投げてやります」
などと言い出す始末だ。
「我が隊にはお調子者しかいないのか?」
ミカエルの嘆きにフランシス准尉はクスクスと笑った。
「総員、よろしい。直ちに任務に励むたまえ。但し、下品は控えろ。ご婦人方が見ているぞ! 以上」
ミカエルには心配な車両があった。
5号車には、4人のミカエルの部下がいる。
諜報員がいたとして、一番騒がしくなるのは、その車両に違いなかった。
ーー5号車「ファントム・シアター」
3回目の大風車が景色に流れる。
わざとらしいざわめきが、乗客に扮した諜報員たちが漏らしはじめる。
アンナはそれを言霊で増幅しようとする。
最高のタイミングを見計らうだけだ。
原因はなんであれ、混乱は彼女たちにとって好機でしかない。
臨機応変とは諜報員のためにある言葉だ。
アンナは口を開きはじめた。
ミカエルの部下が、それをさせない。
「静粛に願います!!」
腹の底から響く声が、ざわめきを押し止めた。
銃砲鳴り響く激戦でも響き渡る野太い声だ。
曲者揃いの諜報員たちは、銃を向けられたかのように押し黙る。
「我々は軍人です」
ミカエルの部下四人が立ち上がり軍人手帳を乗客へ見せた。
「要人警護のため、乗客に扮していた陸戦魔導士です。安心してください。判明している範囲で情報をお伝えしましょう」
普段はミカエルたちの影に隠れて目立たない彼ら。
一人一人の実力は、他の隊であればエースになれるほど。
諜報員たちは、それを、もちろん知っている。
乗客に扮した軍人が、『悪夢』の隊員であるとも予想ができた。
5号車の乗客たちが、立ち上がった、ミカエルの部下たちをみる。
4人の屈強な軍人たち。
一流の陸戦魔導士は、たとえ武装が不十分でも、その存在だけで手強さを感じさせる。
彼は、陸戦魔導士たちを見る。
それは、なによりも『無料で手に入る情報』は、彼らにとって好物だったからだ。
ーー2号車「ホワイト・ファルコン」
ただ……
乗客全てを制するためには圧倒的に人手が足りなかった。
ミカエルがいる車両には、
彼女自信、そしてレオン副隊長、フランシス准尉に新兵のヴァルトニーニの4人。
そして護衛対象の亡命一家が3人。
最後に憲兵であり、レオンの兄、ヴィクターだった。
レオンの肩がわずかに跳ねる。
そして、彼は背筋を伸ばす。
「ダヴェンポート中尉、いかがされましたか?」
「いや貴官ではない、そこの少佐殿に用がある」
ヴィクターは足を組、片肘を座席の肘掛けに乗せたまま、退屈そうに指をコツコツと叩いていた。
彼は「あ?」という挑発的な態度でミカエルを見た。
ミカエルは腕を組みながら小さな顎をわずかにあげる。銀白色の髪が流れるように揺れた。
彼女は、作り笑いでヴィクターを見下す。
「少佐殿に憲兵隊の協力を願い出たい」
「断る。憲兵隊の任は、貴官らの監視だ」
ヴィクターは、このまま『予定通り』何もしなければいい。
ミカエルたちが任務に失敗することは彼にとって望むところだ。
レオンは、幼い頃の面影を失ったヴィクターを見るのが悲しかった。
だから、いつも「兄さん……」とだけつぶやいてしまう。
レオンには、彼の大好きな母親を悪く言われても、ひねくれた兄を悲しむ理由があった。
ミカエルがレオン副隊長をちらりと横身をする。
「少佐殿は、客人待遇をご希望ですかな」
列車はトンネルに入っている。
暗くなった窓は、鏡のようにヴィクターの顔を映し出す。
その彼の背後には、弟のレオンがいた。
「伝える。こちらファントム(2号車)、シャドウ・クレート(1号車)に伝える。クレート、返事せよ。以上」
ミカエルは無線を飛ばす。彼女にとってヴィクターは、どうでも良い存在だ。だか、レオン副隊長は、大切な部下だった。
事態の収拾を図りながら、いびつな兄弟にも目をかける。
「こちら、クレート、どうぞ」
1号車(郵便貨物車)には、無線技師のフィリップが詰めている。
荷物が積まれた車内の一角に、フィリップは、彼の愛機、最前線でも活躍した軍用無線機と共にいる。
「伝える。憲兵隊回線に強制接続だ。彼らをパーティに招待せよ。以上」
窓辺のヴィクターが「貴様!」と叫ぶ。
ミカエルは無視を決め込んだ。
フィリップからの返事も早い。
「こちら、クレート。連中起こりますよ、どうぞ」
「強引にいけ、ご婦人方もそれを望んでいる。それと急げ。以上」
ミカエルの無線、これにはフランシス准尉が、ちょっとムッとして「中尉がそれを言う?」とつぶやいた。
ミカエルの無線に無線技師のフィリップは、無線機の送信ボタン「ピッ」とだけで返事した。
汽車の座席に座るヴィクターが正面からミカエルをにらむ。
「中尉! これは謁見だ!」
「少佐殿、我々は、護衛のため列車内の治安悪化は避けねばなりません。その為に許可されている警察権を法的な根拠とします」
「詭弁だ」
ヴィクターが立った。
「その通り、詭弁だ。しかし、任務が成功すれば、その功績は憲兵隊に譲ろう」
ミカエルは、失敗した時のことは言わない
その時は「責任を取れば良い」と思っていた。




