第三八話 ループのはじまり
汽車が煙突から黒い煙をもくもくと吐き出す。黒鉄の塊は、内部に蒸気と熱を蓄えて爆発寸前だ。
警笛が甲高く鳴り響き、出発の合図を告げる。
蒸気の白い靄が陽光を浴びてゆらゆらと形を変えて消えていく。
車輪がレールを噛む音が規則的に響き、汽車は市街地を抜けた。煉瓦造りの建物が立ち並ぶ街並みが、車窓の向こうでゆっくりと後方へ流れ去る。
やがて、街の喧騒が遠のく。
整然と並ぶ並木道、草の生い茂る丘陵、そして時折姿を見せる農場の風景……
空は澄み渡り、雲がゆったりと流れる。
広がる大地の上を鉄道が一直線に伸び、汽車はひたすら先へと突き進んでいた。
汽車の先頭には重厚な蒸気機関車が鎮座し、鉄の巨体を震わせながら、力強く車両を引いていく。
1号車には郵便貨物が積まれ、そこに続くのが特別車両……2号車である。
2号車は亡命者の護送のために、ミカエルが貸し切っていた。
通常の旅客とは隔離され、扉には鍵がかけられている。
内装は絨毯が敷かれ、座席もふかふかとしたものに替えられており、護送車両というよりは高級客車のような趣があった。
扉が横にスライドする音がする。
車両の見回りを終えたレオン・ハートフォード副隊長が、足音も静かに戻ってきた。 制服の肩章には准尉の階級章が光り、彼の真剣な表情が、職務に対する忠誠を物語っている。
彼はミカエルの前で一度敬礼し、短く報告を告げた。
「特に異常はありません。ただ……疑い始めれば、全てが怪しく見えます」
「見回りご苦労。引き続き警戒を怠るな。ただし、無用な緊張は不要だ」
ミカエルは、ふと気になり、小さく首を傾げながらヴァルトニーニと亡命者一家の方をこっそり覗き見た。
亡命者の男の子、ノアがヴァルトニーニの袖を引っ張り、何かをせがんでいる。
「お兄ちゃん見て見て、風車だよ」
「おっ、すごいだろ。あれは王国で一番大きて有名なんだぜ」
ヴァルトニーニは苦笑しながらも応じ、ノアの額を軽く小突いていた。エリックとエミリアも、少し緊張のほぐれた表情で彼らの様子を見守っている。
王国の観光名所にも巨大な風車が立ち並ぶ光景が続く。
その圧巻な姿もしばらくすると後方に遠のき見えなくなった。
ミカエルはほんの少しだけ頬を緩め、腕を組んでいた手をほどく。
「よろしかったのですか?」
フランシス准尉は、憲兵のヴィクターが同乗していることを言った。
ミカエルは、離れた場所に偉そうに座る彼を見る。
「こちらも監視していると思えば良い」
ある意味、軽率なヴィクターは目を離すと不確定要素になってしまう。あの浅はかな軽率さは何をするか分からない怖さでもあった。
「それに、我が隊にも良い刺激になるだろう」
「そうですね、中尉。定数割れを埋めるには、新たな補充を迎えるか、部隊の再編成しかありませんから……」
トンネルに入る。
窓が真っ暗になった。
ミカエルたちが乗る護送列車は、全席指定の王都行き特急だった。一般客車の切符も高額で、入手は困難。
当然、車内の内装も豪華だ。柔らかな絨毯が足音を吸い込み、窓際には金の縁取りが施された厚手のカーテン。ふかふかのクッションが備えられた立派な座席が並び、一部には仕切りが設けられ、視線を遮る工夫もされている。
9両編成の真ん中にあたる5号車は、食堂車の隣に位置する一般客車。しかし、その豪華さは特等車にも劣らない。
この車両の定員は30名。だが、その顔ぶれが異常だった。
諜報員たちは座席選びを慎重に行った。それぞれの目的を果たすため、ライバルを警戒し、裏をかこうとする。
だが、裏を読めば裏の裏を読むことになる。結果、全員が選んだのは5号車。こうして、諜報員たちが列車のど真ん中に集結するという、奇妙な状況が生まれた。
諜報員たちが集まるとどうなる?
緊迫した空気?
寡黙なハードボイルドな雰囲気?
……そう思うかもしれない。だが、現実はこうだ。
「婆さん、次はあの風車でも見に行くかのう」
「そうじゃな。なあ、お嬢さん」
ほのぼのとした老夫婦の旅路。
クッキーの缶を手にした老婆が、通路を挟んで座る若い女性に微笑みかける。
まるで、田舎ののどかな旅路。
……が、この老夫婦。実は某小国のベテラン諜報員である。
老婆がクッキーを差し出した相手。
それは、モデルのような美貌を持つアンナ。
民主共同体の諜報員。
知らない人から差し出されたクッキー。
普通なら警戒するところ。
しかし、諜報員なら話は別だ。
むしろ、自然体で受け取らなければならない。
「あら、お婆さま、ありがとう」
アンナは遠慮なく二枚取る。
そして、指先に込めたわずかな魔力で、さりげなく毒物判定。
結果……無害。
ならば、食べるしかない。
クッキーを片手に、老婆と他愛のない会話を楽しむアンナ。
こうして車内は談笑に満ちていく。
誰もが初対面のはずなのに、やけに馴染んでいる。
作り笑いに作り話、相槌のスキルも超一流。
異常なほど和やかな車内。
……が、そんな中に明らかに異質な存在もあった。
枢密監察部の面々。
彼らだけは、もはや空気すら拒絶する勢いで無愛想を貫いている。
スパイたちの中でも、彼らに絡む物好きはいなかった。
……いや、一人を除いては。
車両の片隅に、歴戦の勇士の気配を纏う存在がいる。
肩幅が広く、屈強な体つき。
風格すら漂う男。
彼は、枢密監察部のメンバーではない。
彼こそが、誰よりも 怪しい。
……しかし、その男を警戒するスパイたちの視線が交錯する中、当の本人は平然と席に座り、悠然と紅茶を楽しんでいた。しかも、向かい合わせの席、4名掛けを1人で独占していた。
何たる余裕。
加えて、一人寡黙に誰にも話しかけない姿。
ハードボイルドを絵に描いたようような存在だ。
諜報員の誰もが彼に注目をしていた。
だが……
定員30名に対し乗客は27名。その中には一般人に紛争したミカエル部下4名と枢密監察部3名も含まれる。残り20名、内19名は各国の諜報員。
つまり、彼だけが無害。
紅茶を楽しみ、人生初ともいえる長距離特急列車。
静かな旅路を想像していたのに、車内は案外に和気あいあいで騒がしい。
強面でも人見知り。
恋人募集中の独身男。
可哀想な彼は諜報員たちの注目の的だ。
誰もが密かに関心を寄せる中。
一人の勇者が動き出す。
商国家連合の諜報員。
天然パーマて大きな鼻が目印のあの男だ。
彼が席を立つ。
丁度、列車が揺れた。
天パの諜報員は、わざと彼に寄りかかるようにして倒れた。
彼は、慌てることがない。紅茶をカップからこぼすことも無かった。
恐ろしく冷静に見える。
実際は、なんとなく天然パーマの人が危なっかしいので「倒れてくるのでは?」と予想をしてただけ。
商国家連合の諜報員は、身体に触れた際、彼を探る。彼がわずかに注ぐ魔力、それに抵抗する素振りはない。
分かったことは鍛え上げられた肉体と武器をまったく装備していないということ……
彼は商国家連合の諜報員(彼から見れば陽気な天然パーマ)に
「大丈夫ですか?」
と声をかけ、
あろうことか(次の言葉に各国の諜報員は戦慄を覚える)
「席、空いてますよ」
車内が静まる。
彼はただ、天然パーマのおじさんが抱きついたままなのが気持ち悪かっただけだ。
しかし、車内の誰しもが思った。
「明らかに諜報員の天然パーマを目の前に座らせる!!」
なんという大胆さ!
なんという恐れ知らず!
天然パーマは「遠慮させていただきたい」とぎこちない作り笑いでその場を離れた。
彼の頭に一つの言葉が思い浮かんでいた。
『武装錬金』
神話の時代、強力になりすぎた魔法使いに対抗する為に生まれた神々の技術。
世界に数名しか確認されていない、その体現者。
最近では『天眼』のクライブ、その従者であるマリーが『武装錬金』の体現者として各国が注目している。
国の武力評価にも影響する情報だ。
天然パーマは席に戻るとメモ紙に走り書きをした。
『クロノノート90番台を亡命者が持っている可能性大』
ククルース神話の外典クロノノート。
民間信仰にもなっている異教の外典だ。
その願書は99冊あるとされ、全てが発見されているわけではない。
1番台から90番までは、おとぎ話とも取れる古代の神話。
古代文明を研究する歴史家たちには周知の存在だ。
そして国々もそこには関心を払っていない。
古代文明が滅んだ原因は強力な兵器をしたのが原因。
それが通説であり真実とされていた。
超古代兵器は従来、技術の少ない『終わりを告げる冬の魔女』とされていた。
それが、恐らく王国の『夜のプリマドンナ』が『冬の魔女』ではないかと噂されている。
だが、世界は一つの疑念を持った。
『冬の魔女』は何に終わりを告げたのか?
彼女は終わりを告げたのは『強力な兵器』ではないのか?
帝国は最近遺跡を発掘したらしい。
彼らが好戦的になったのはそれからだ。
クロノノート90番台。
未来に対する予言が、そこには書かれているらしい……
列車の窓が風景を写す。
整然と並ぶ並木道、草の生い茂る丘陵、そして時折姿を見せる農場の風景……
2号車に子供の声が響く。
亡命者の男の子、ノアの声だ。
「お兄ちゃんの嘘つき! あの風車、さっきと同じぐらい大きいよ!」
ヴァルトニーニは絶句した。
「そんな……」
王国一の風車が再び窓に姿を現す。
それは、やがて車窓の後方に遠くなって消えていく。
ミカエルは思う。
「誰の仕業だ!」
5号車の諜報員たちも心中ざわついていた。
「どこの国だ? たかが数冊の本に、とんでもない規模で仕掛けてきやかった!!」
誰しもが、やがてトンネルに入ると予測でした。
車窓が真っ暗になった。
トンネルだ。
護送列車は、同じ場所をループしていると皆が確信した。




