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第三七話 陰謀列車

 乗降場に人があふれる。

 改札口も切符切りに忙しそうだ。


 旅路に急ぐ人々。

 その者たちが奇異な視線を向ける一角がある。


 武装した憲兵たちがそこに陣取っていた。

 軍用ライフルを肩に担ぎ、乗客たちに目を光らせる。


 軍服を着た少女。

 ともすれば乗降客に埋もれてしまう背丈。


 それでも彼女だけがカラフルに色がついて見える。


 灰色の雑踏の中、行き交う人々の群れの合間に、

 ミカエルダヴェンポートは足を止めた。


 憲兵たちも彼女には気がついている。


 その中に、レオン・ハートフォード副隊長、彼の腹違いの兄、ヴィクター・ハートフォード少佐の姿もあった。


 彼らの目の前に彼女は来た。


 ミカエルは両手を腰に当てたまま、くいっと首をかしげて「はぁー……?」と深いため息をつく。


 憲兵たちの中に、一瞬、ライフルに手を掛けようとする気配が生まれる。


 ミカエルは肩をすくめ、そのまま大げさに「はぁー」と肩を落とした。


「憲兵諸君、仕事に励むのは良いが、公共の場で銃を見せびらかすのはやめよ。ここには、守るべき国民しかいないぞ」


 ミカエルの声を聞いた通行人が

「いいぞ、嬢ちゃん! もっと言ってやれ!」

 とあおるような言葉を残していく。


 ミカエルは片手を軽く振る。

「軍は快適な旅路を約束する」

 と返す。その勢いのまま「ほらっ」と言わんばかりに憲兵を覗き込んだ。


 顔を寄せて相手を威圧するのは世の常だ。

 当然、ミカエルもそれを狙っている。


 憲兵隊は正式な手続きを経て8号車に同乗することになっている。その結果、最高機密である護送列車の情報も、一定の範囲で外部に伝わりやすくなった。


 その点については、ミカエルも感謝すべきだった。

 しかし……

 たとえ2号車から離れているとはいえ、軽率に武力行使する者がいれば厄介だ。


 繰り返すがミカエルは、軽い挑発のつもりで下から憲兵を覗き込んでいる。彼女の脳裏には無頼漢が相手を挑発するように威嚇するイメージが浮かんでいた。


 彼女は自分の容姿に無頓着だ。少女の姿である自覚はあるが、鏡に映る自分を見ても「可愛い」と思う程度で、それ以上の自惚れはない。


 それが残念でならない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……落ち着いてくれ……」

 憲兵は顔を真っ赤に染め、視線を泳がせながら口ごもった。拳を握りしめたまま、落ち着かない様子で足元を見つめている。


 ミカエルが、あと一歩踏み込む。


 銀白色の髪が美しく輝く少女が、キリッとした表情のまま、上目遣いでぐいっと踏み込んで覗き込むーーまさかのダブルコンボ。


 ……それはもう、あざとさの暴力である。


 フランシス准尉が、そっと中尉の肩に手を置いて、耳元で小声でささやく。


「中尉……今すぐ、その上目遣いをやめてください……目の前の憲兵、今にも、倒れそうですよ?」


「この程度の威圧で屈するとは……貴官、それでも軍人の端くれか?」


 ミカエルの小さな唇がふわりと動く。眉をひそめ、わずかににらむような視線。長いまつ毛が印象的な怪訝そうな瞳が相手を探るように動いていた。


 フランシス准尉はこめかみに指を当て首を振る。

「中尉、ご容赦を願います。憲兵が可哀想です」


 憲兵は呆然と立ち尽くしている。

 まるで玩具の兵隊さんだ。


 ミカエルは肩をすくませる。

「軽率な行動を控えるのは評価するが、ここまで萎縮していては話にならん。情けないぞ」

「いいえ、中尉が悪いんです。彼は男性なんですから……もう少し、自分の影響力を自覚してくださいね?」


 ミカエルは「自分も男性なんだが?」と内心ツッコミつつも、一瞬ハッとする。

 しかし、自分の姿に欲情するような物好きがいるとは思えず、結局フランシスの言葉の半分も理解できなかった。

「……まあ、深く考えることでもないな」と、妙に納得して流すことにした。


 駅の改札口。

 ミカエルと憲兵のやりとりが面白いのか、足を止めて成り行きを見守る者が増えていく。


 特に、ご婦人方がざわついていた。

「あら? あの憲兵、なかなか素敵じゃない?」


 憲兵たちの中から、一人の男が堂々と進み出る。


 ヴィクター・ハートフォード少佐。

 レオン・ハートフォード副隊長の腹違いの兄。


 実直で優秀な弟とは違い、ミカエルの中での評価は「軽率で無能」

 しかし、容姿だけは弟同様、伯爵家の血筋にふさわしい美貌を備えていた。

 気取った仕草さえなければ、王子様然とした印象すら与えるかもしれない。


「ふん、こんなちんちくりんに惑わされるとは情けない。俺は一人の女しか愛さないと決めているんでな」


 昨日の醜態などなかったかのように、ヴィクターは顎をしゃくり上げ、堂々とミカエルに迫る。


「あらあら、告白よ?」

「『一人の方しか愛さない』ですって……!」

 ご婦人方のざわめきが大きくなる。


 フランシスはそれを聞いていたが、あえて聞き流した。


 一方、ミカエルはヴィクターをじっと見据える。

 彼女の中では、これはただの男同士の意地の張り合いでしかない。

 ヴィクターが少佐であり、自分より階級が上であろうが、それは問題ではない。


「ふむ……そうか。それで? だから何だ?」


 ミカエルは涼しい表情のまま、真っ直ぐにヴィクターを見つめる。


「きゃーっ! これ、振ったのかしら?」

「違うわよ! 彼が名前を言うのを待ってるのよ!」


 興奮するご婦人方の視線が二人に集中する。

 ヴィクターの次の一言が、群衆の期待を煽る形となった。


「今から結婚を申し込むに違いないわ!」


 流石にこれは声が大きい。


 耳にしたヴィクターが、思わず群衆に吠えた。

「結婚など……申し込まんわ!!」


 ご婦人方は期待を裏切られ、大層ご立腹。

「つまらない男ね」

「愛してるはハッキリ言わないと伝わらないわよ!」

 そう言い残し、ため息混じりに散っていく。


 何やらとんでもない誤解が生まれたようだ。

 そして、その誤解を抱えたまま、どうやら同じ列車に乗ることは避けられそうにない。


 発車時刻が迫る中、レオン・ハートフォード副隊長がミカエルを探しに来た。

「兄さん、ここで何をされているんですか?」

「レ、レオン? いや貴様、なぜここにいる?」


 ヴィクターの間の抜けた返事。


 憲兵隊の中で、ミカエルたちと同じ車両に同乗を許されたのは、ヴィクターただ一人だった。


 驚くべきことに、彼を推薦してきたのは枢密監察部だった。


「無能だからこそ役に立つ」とでも考えたのだろうか。


 しかし、レオンが兄の同行を了承した以上、ミカエルも拒む理由はなかった。


 本来、軍には枢密監察部の要求を受け入れる義務などない。


 だが、これは純粋な軍事判断ではなく。政治的な配慮の産物だった。


 ミカエルは、ヴィクターとレオンの兄弟のやり取りを聞き流しながら、改札口に意識を向けていた。


 切符を渡して改札を通る人々の中に、枢密監察部の黒服が混じっているのが目に入る。


 切符さえあれば、誰でも列車に乗れる。それをいいことに、堂々とした振る舞いだ。他にも協力者が紛れている可能性は高い。


 ふと、私服姿の男に目が留まる。


 カジュアルな装いながら、肩幅が広く、鍛えられた体躯。


 漂う気配が、ただの乗客とは違う。


 ミカエルは、さりげなく視線を逸らしながらも、その男の特徴を心に刻んだ。


 民主共同体の諜報員、アンナと青年実業家も改札口へと向かっていた。


「下手に煽ると、余計に目立つぞ」

 青年実業家は、軽くステッキを振りながら上着の内ポケットから切符を取り出す。


「女性は色恋には目がないのよ」

 アンナは涼しい顔で微笑む。ご婦人方の関心をほどよい野次で煽りながら、その声にほんの少しだけ魔力を込めた『言霊ことだま』もちろん、それに気づく者はいない。


「どう? 勝てそう?」

 彼女は、先ほどのミカエルを真似るように青年実業家を覗き込む。


「『因子持ち』しかも『冬の魔法使い』とは、まともにやり合う気はないね」

 青年実業家は素っ気なく答え、切符を改札口の駅員に渡す。


 その瞬間、彼の手元のステッキがわずかに動き、脇に挟まれた。


 ちらりと横目で、隣の改札を通り抜ける肩幅の広い男を見た。

 その視線は、ごく一瞬だったが、鋭さを帯びていた。


 アンナたちのすぐ目の前に、ひときわ目立つ後ろ姿の男がいた。


 まるで鳥の巣のようにくしゃくしゃの天然パーマ。

 どこからどう見ても、「すごい天然パーマ」だ。


 彼が軽く振り向いた瞬間、特徴的な大きな鼻が目に入る。


 ……見覚えがある。


 基地に商用トラックで出入りしていた男。

 商国家連合の諜報員。


 アンナは即座に彼の素性を思い出した。

 だが――なぜか気づかない。


 いや、正しくは「気づけなかった」


 なぜなら、彼の頭はふさふさだったからだ。


「あれ……?」


 違和感を覚えながらも、彼女は首をかしげる。


 作業帽を被っていた彼のイメージは、間違いなく「頭が寂しいおじさん」だった。

 だが今、目の前にいるのは、天然パーマのボリュームを誇るふさふさ頭の男。


「……別人?」


 疑念を抱きながらも、アンナはそれ以上詮索しなかった。


 彼が誰であれ、この列車には様々な勢力が乗り込んでいく。

 彼だけが怪しいわけではない。


 むしろ、どいつもこいつも怪しい。


 こうして、乗客たちに紛れて各国のスパイ、諜報員、裏社会の者たちが、一つの列車に乗り込んでいった。

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