第三五話 優待券
ベルファス前線基地最寄り駅
王国東部、交通の要衝ベルファス。
帝国と隣接するこの都市は、かつて交易で栄えていた。
しかし、今代の帝国皇帝が世界に向けて宣戦布告をして以来、かつての賑わいは失われ、軍事輸送の拠点へと姿を変えていた。
遠くから汽笛の音が響く。
北部からの貨物を引いてきた長大な汽車が、ホームを通り過ぎ、駅の奥へと進む。
車輪が甲高い金属音を鳴らしながら、ゆっくりと減速する。
鼻息の荒い蒸気が、鋭い警笛音とともに地面へと吹きつけられた。
駅構内では鉄道職員が忙しなく動き回っている。
信号旗を上げ下げしながら、機関車の前に立ち、手旗信号で指示を送る男。
やがて、巨大な車輪が静かに止まった
待機していた労働者たちが、一斉に動き出す。
貨物車に繋がれた木箱が運び出され、フォークリフトや人夫たちが、甘い物に群がるアリのように荷役作業を開始する。
倉庫の片隅では商談が行われていた
荷主と商人たちが、あれやこれやと身振りを交えて話し合う
王国語に混じって、異国の言葉が飛び交う
商国家連合の商人たちが、北部から運ばれてきた民主連合体の商品に興味を示していた。
戦時下とはいえ、交易は完全には途絶えていない。
ここは王国北部、軍事輸送の要衝。
戦争の影が色濃く落ちる中でも、人々は生きるために商いを続けていた。
黒鉄を鈍く光らせながら蒸気機関車はターンテーブルに乗せられ、やっと一息をつく。
長い深呼吸……
白い蒸気が勢いよく吐き出され、灰色の土間に広がった。
それが二度続く。
前後に立つ鉄道員が手旗を振り合図を送る。
するとターンテーブルの歯車がゆっくりとかみ合い、静かに回転を始めた。鉄と鉄が擦れ合う鈍い音が続き、汽車が静かに向きを変えていく。
最後に、ガチャリという音。
蒸気機関車は、黒鉄の身体を引きずるようにして、整備のため車庫へと吸い込まれていった。
四階まで吹き抜けた広い車庫。
二階の窓に、小さな男の子が張り付いているのが見えた。
ほっぺたをガラスに押しつけ、大きな瞳で機関車を見つめている。窓ガラスが、小さな息のリズムに合わせて白く曇った。
鉄道職員用建物の二階。
その一室に、『悪夢』小隊の隊員たちは待機していた。
先の要塞攻略戦で、部隊は定数の四分隊から二分隊へと半減した。そのため、部屋は妙に広く感じられる。遠くから響く汽車の蒸気音と、隊員たちの静かな談笑が空間を満たしていた。
この部屋は会議にも使われるらしく、正面には黒板が設置されている。掲示物がいくつか無造作に貼られ、机と椅子は整然と並べられていた。隊員たちは、それぞれ思い思いの場所に腰を下ろしている。
ミカエルは、新兵ヴァルトニーニに一つの才能を見出していた。
……子どもの扱いが上手い
初対面の時、彼の生意気な態度には辟易したが、こうして見ていると子どもには妙に寛容だ。遊び相手をしてやる姿は、まるで年の離れた兄のようである。
裏を返せば、彼のあの尊大な態度は、まだまだ精神的に子どもであることの表れかもしれない。
「いてて……おい、そんなに力入れるなって」
ヴァルトニーニが苦笑しながら、男の子に腕を掴まれていた。無邪気な子どもの力に、本気で押される新兵。
その様子を、亡命者の両親はどこか安堵した表情で見守っている。
最初こそ警戒していたが、自分の子どもが懐いているヴァルトニーニを見て、彼への不信感を解いたらしい。
ミカエルは視線を手元の書類の束に戻した。
彼女は机の端にちょこんと座り、プリントを片手で扱う。
「それにしても手際が良すぎるな」
その束を膝にペシペシと当てた。
そばにいるフランシスは、子どもに笑顔で手を振った。
表情を戻すと彼女は言う。
「グランツ中将の手引きですからね」
「その件は口外無用だ」
ミカエルは小さな鼻をこすりながら、眉をひそめる。
マクレガー准将によれば、グランツ中将が彼らの亡命の手引きをしていたそうだ。
小さく肩をすくめながら
「まったく」
とため息をつく。
フランシスはロザリオを指でなぞっている。
ミカエル・ダヴェンポート
彼女の血の刻印が刻まれたロザリオだ。
そのロザリオ……
試作だった初めの一つをフランシスが持っている。
彼女はロザリオをミカエルに見せるようにして言った。
「孤児院を思い出しますね」
半年も経っていない昨年の冬。
ミカエルの育った孤児院でのこと……
フランシスはグランツ中将から預かったロザリオを、ミカエルに託すよう預かっていた。
しかし、ミカエルはそれをフランシスのものにしてしまった。
「このロザリオの効力を確かめたのは、グランツ中将ですよね」
「正確には中将の夫人だ……」
グランツ中将の邸宅もまた王都にあった。
そして、グランツ夫人は高齢だが現役の魔術探究者でもある。
亡命者家族……
父親はエリック、母親はエミリア、男の子はノア。
それぞれの呼称だ。
クロノノートの関係者でもあるらしい父親が重要人物だというのはミカエルの推測。尋問等はしてないので情報が不足している。
それなのにだ。
「行政管轄下での許可書の数が手際が良すぎる」
ミカエルは軽く書類を持ち上げ手首のスナップで扇ぐ。
「亡命者護送命令、戦時特別通行許可証」
ミカエルは、書類を読み上げながら机に投げるようして重ねていく。
今、読み上げた許可証でミカエルたちは軍人であっても行政機関許可なく自由に移動が出来る。さらにミカエル自身、王族発行の叙勲推薦状も所持している。
「武器携帯許可証、戦時特例交戦許可証……これでは、我々が最前線同様の軍事行動が可能となる。まるでクーデターでも起こせということか」
「中尉、言葉は慎まれた方が……」
フランシス准尉は無造作に積まれた書類を綺麗に整えた。
「准尉、あながち冗談ではないぞ。臨時軍事警察権行使許可もある」
小さな指でつまむ書類をフランシスに渡す。
「驚きました、これがあればヴィクター少佐も逮捕できますね」
「憲兵が我々の任を妨害すれば可能だ……」
ミカエルは、一枚の書類に目を留めた。
彼女は、わずかに首をかしげ、眉を寄せながら書類を凝視している。
「保護対象者認定証……」
万が一、枢密院やその他勢力に亡命者を奪われても……
この書面で救出行動に制限なく出ることができる。
「全ての書類には、王宮の承認がある」
悪用をすれば、王都で武装蜂起が出来るほどの好待遇だ。
書類が入っていた封筒にもう一枚、紙が入っている。
それを手にとりミカエルは確認をした。
彼女の手がワナワナと震える。
両手で泥団子を握るような手つきで書類をギュッと丸めた。
そして大きく振りかぶって床に強く投げつける。
「軍服で間に合っている!!」
ミカエルは、可愛らしい顔を歪ませ、大きく肩をざーはーと揺らした。
フランシスが投げつけられた紙を広い、綺麗に伸ばす。
☆☆☆王国公認 特別優待書☆☆☆
ミカエル・ダヴェンポート様は、王国認定の最高級シェリ・フルールにおいて、
通常半年待ちの仕立てを即日対応とする特別な優待を受ける権利を有す。
当ブランドは、王族や貴族、著名人の正装を長年手がける格式ある店であり、
本優待券を持つ者に対し、最上の仕立てをもって応えることをここに誓う。
【特典内容】
☆即日仕立て対応(通常6ヶ月待ち)
☆最上級の生地・装飾を使用
☆専属デザイナーによる特別
☆限定デザインのカスタマイズ可
ーー可愛らしい貴君へーー
グランツ中将
フランシスは「ふふ……」と笑う。
「中尉、シェリ・フルールは人気ですよ。この機会に、仕立てたらいかがですか?」
「フランシス准尉、貴君にまで言われると悲しくなるぞ」
ミカエルは足で床をトントンと鳴らすと無意識に髪を指でいじっていた。
ミカエル・ダヴェンポートには、この優待券に気になることがあった。
もちろん、ドレスは絶対に買うつもりはないし、人気で可愛らしいブランドであっても興味は少しもないし、想像したり、色は何がいいかなとかは考えない!
気になること……
それは、グランツ中将のサインがあることだ。
ミカエル・ダヴェンポート。
彼女の姿が少女のまま続くのは初めてのことだ。
サインがある。
としかしてらグランツ中将は、これを予想していたのかもしれない……
ミカエルは首を振る。
「あのジジイ、悪ふざけが過ぎるぞ」
彼女は、要塞攻略戦で戦死したグランツ中将の悪ふざけだと断じた。
その真偽は、本人に聞くことが出来ないので定かではない。
ただ……王都に住むグランツ夫人に聞けば手がかりがあるかもしれなかった。




