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第三三話 亡命者

 兵食堂の裏口。

 ひび割れが目立つコンクリートの土間に商用トラックが無造作に停まっている。低く唸るようなエンジン音が空気を震わせていた。


 運転席には誰もいない。

 その代わり、軽やかな笑い声が搬入口から聞こえてくる。


 すぐそばで男女が言葉を交わし合っていた。


 作業帽を被った男は、今朝方、酒を納入していた人物と同じだ。

 特徴的な大きな鼻が一致している。


 男は休憩中だった給士の女性をつかまえて、冗談混じりに談笑をしている。


「やだ、そんな冗談を言っちゃって。憲兵隊に言いつけるわよ」

「そういえば、お嬢ちゃん、憲兵棟の雰囲気が違うが何かあったのかい」


 女性の表情が一瞬で変わる。


「なんでそんなことを聞くのよ」


 男は紙幣を数枚取り出し、指先で軽く弾いた。


「商機を逃したら店主に叱られちまう。今は稼ぎ時なんだ」


 女性のいぶかしげに目を細め、じーっと男を見つめた。

 男がもう一枚、紙幣を追加する。すると、彼女は迷いなくそれをさっと取る。


 周囲をキョロキョロと確認した後、声を潜めた。


「何でも亡命者らしいのよ。帝国から……クロノノート教の信者らしいわよ」


 男は自分の鼻をこするようにしていじった。


 遠くから甲高いクラクションの音が数回響く。

 基地の入り口の方からだ。


 男はさりげなく耳をその方角へと向ける。

 そして若い給士には

「お嬢さんが可愛いから、おじさんは店主にどやされそうだ」

 と言い、時計を見た。


 珍しくもないシルバーの時計。


 彼の耳に急発進するエンジン音が飛び込んでくる。

 その音から、ある程度の車種と台数を推測できた。

 彼の脳裏には、その色ですら想像できている。


 小走りに自分のトラックに運転席に座り込む。

「御用があれば、遠慮なく名前を呼んでくれ! お嬢さんなら仕入れ値で売ったていい!」


 男はサイドブレーキを下ろす。

 そして、クラッチを踏み込んだ。


 しかし、通りかかった兵士がトラックを呼び止めた。

「いよっと待て!」


 男はハンドルを握りながら助手席のダッシュボードを一瞬だけ確認すると愛想笑いを浮かべる。


「旦那も何か御用で?」

 男は運転席から半身を乗り出した。座席から少し尻が浮く、それでも器用な手つきでゆっくりとギアを入れる。


「なに、おじさんに忠告だ」

 兵士の方は笑顔だった。


 男は、クラッチを踏む足を少しだけ緩める。すると、アクセルを踏み込めば急発進ができる状態になっている。


「聞かれてましたか? 旦那にも勉強はさせていただきます」

 男は兵士の目の前で指をこすり合わせ、銭勘定をしてみせた。


「まったく、いつもお前は抜け目ないな。忠告は、あまり基地内で女を口説くな。喧嘩を売ってくる奴もいるぞ」


 男は、

「ないない、あっしは全然モテませんから。では旦那、急がないと、本当に叱られますんで」

 と言い、兵士に別れを告げた。


 男はハンドルを握る手に力が入り、低い声でつぶやく。

「あのエンジン音……枢密監察部の連中まで来やがったのか」


 商用トラックは荷台を激しく揺らしながら一旦、出口へと向かっていた。


 軍の主要施設から少し離れた場所に立派な建物がある。

 柵で覆われ、他の施設とは一線を引く、その建物は、司令塔とは違った意味で存在感があった。


 憲兵支部は司令塔や兵舎から離れた場所に隔離するように建っていた。


 入り口にいる衛兵が慌てて門扉を開く。

 黒塗りの自動車が三台、その中に消えていった。


 指揮棟を出たミカエルは、兵舎の一角にある小隊詰所を目指していた。


 相変わらずの空模様。

 曇り空に太陽は隠されて辺りは少し薄暗い。


 商用トラックが走り去ると砂ぼこりが舞う。

 その余韻が残るにごった道をミカエルは横切った。


 小隊詰所に亡命者は連行されていた。


 ミカエルが部屋に入った時、国境警備隊の者たちは驚きを隠さなかった。それでも敬礼をすると経緯を端的に彼女に伝えた。


 ミカエルは呆れるばかりだ。

 亡命者の扱いは高度な政治問題、外交部を傘下に置く枢密院が管轄する案件になる。


 軍部では枢密院と密接な関係の憲兵隊が取り扱う規定になっていた。


 ここにきて亡命者を見たミカエルは、憲兵隊と口にすることをためらう。一回、小さく息を吸い込んで、何も言わず口を閉じてしまった。


 ミカエルは代わりに、

「それで大尉殿は、准将閣下の命により、この一家を我が隊の詰所へと案内した、というわけか?」

 と言うにとどめる。


 大尉は淡々とうなずき「その通りだ」と返答した。


 亡命者は単独ではなく両親と幼い男の子の三人家族だった。


 ミカエルは父親と目が合う。


 眼鏡をかけた優しそうな顔立ちだが、喧嘩は弱そうだった。それは、彼女には正直、新兵のヴァルトニーニの方が頼りなると言いきれるぐらい弱そうに思える。


 ミカエル・ダヴェンポート中尉の心に鮮明に焼き付いている景色があった。ポートランド市街地戦、あの帝国の狙撃手が囮にした家族のことをミカエルは忘れない。


 母親が撃たれ、それを助けようとした父親もミカエルの目の前で撃たれて亡くなった。救えたのは子どもだけだ……


「いててて」

 ヴァルトニーニの声。彼は男の子の相手をしていたらしい。

 軍曹も子どもの扱いは慣れてそうだが「酒臭いものは退室をしたまえ」とミカエルが言ったのでいない。


 ちなみに酒臭いものを除くとミカエルの隊は、ミカエル本人を含め、フランシス准将、ハートフォード副隊長それに新兵のヴァルトニーニの合わせて四人しかいない。


「これでは分隊行動もできんな」

 ミカエルのつぶやきに返事する者はいなかった。


 男の子がキャッキャッと騒ぎはじめた。

 ヴァルトニーニは手拳銃を作ると

「ダダダダダダッ」

 乱射するまでをしている。


 まるで仲良しの兄弟にしか見えない。


 しかし、ここは小隊詰所。危険物が光景に溶け込んでしまうぐらいあちこちに置いてある。


「ヴァルトニーニ、はしゃぐな。軍人として自覚を持て」

 ミカエルは子どもが怪我をする前に注意を促したつもりだ。


 だが、遊び相手を奪われた男の子は、ミカエルの行為を好意的には受け取らなかった。


 ミカエルの目の前。

 彼女の視界に真ん中に男の子が駆けて来る。


 そして、男の子は言った。

「ぶーす! ぶーす!」


 男の子は「ぶーす」つまりブスと言った。

 他人の容姿を嘲笑あざわらうけしからん言葉だ。


 なに? この子! ムカつく!!


 などと思うが決して彼女は口にはしない。


「ブスだと?」

 代わりに男の子を脇の下から持ち上げる。

 そして

「軍規に反する子には相応な罰だ! くすぐりのの刑を執行する」

 と言い子どもの脇を責めはじめた。


 男の子はキャッキャッ、キャッキャッと大喜び。

 足をパタパタとさせて楽しそうだ。


「中尉! 自覚を持ってください!」

 フランシス准将がミカエルの二の腕あたりを軽くつねった。


 ミカエルが振り返る。

 そこには准将と憲兵隊、それと基地には似合わないスーツ姿の男たちが立っていた。


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― 新着の感想 ―
いつも楽しく読ませていただいてます! それにしてもミカエルさん可愛らしいですね笑
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