第三二話 陰謀のはじまり
基地の検閲所に商用トラックが滑り込むように停まった。
空は高い雲に覆われて白く濁っている。せっかくの朝日も拡散されて薄暗い。風が吹くとフェンス越しに雑草が揺れていた。遠くからは、車両のエンジン音と兵士たちの掛け声が混じっている。
検閲官が運転手に話しかける。
鼻の大きな運転手だ。
彼は目指し帽のつばを上へ押し上げ、顔をはっきりと見せる。
運転席の窓に肘を置き、片手で身分証を差し出した。
検閲官は、慣れた手つきで身分証を受け取り、顔と照合をする。
「毎日、ご苦労だな、今は帰還兵が多い。みんな、大喜びだぞ」
「へい、兵隊さんにはこの機会に酒をたんまり飲んでもらって」
運転手は親指と人差し指をこすり合わせ、銭勘定の仕草をしてみせる。
「抜け目がない奴だ」
兵士は呆れたように笑い。背後の哨戒兵に目配せをした。
そして入り口のバーがゆっくりと上がる。
「通ってよし!」
運転手は片手を軽く挙げると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
トラックはタイヤを軋ませ、荷台を揺らしながら基地の奥へと消えていく。
帰還兵は基地で数日過ごすことが義務付けられていた。
軍としては、前線帰りの兵士を直ぐに町に出すのは危険だと考えている。一方、兵士たちにとっては、基地にいる数日間は、無料で酒が飲めるので文句を言うものはいなかった。
その影響で、最近、基地に出入りする商人の数も増えていた。
准尉との会話を終え、ミカエルは基地一階の小隊本部に向かっていた。
もちろん彼は、ドレスを選ぶ気はない。ただ、王都に行く予定はできた。その前に、片付けておかねばならない仕事がある。
六人程度が机を並べて座れる小さな部屋だ。壁には地図と命令書が貼られ、使い込まれた椅子が無造作に置かれている。壁に積まれた段ボール、部屋には紙とインクの匂いが充満していた。
廊下を歩いている何人かの兵士が、急ぎ駆けていく。
ミカエルは、小隊部屋の窓から外を眺めた。理由はすぐに分かった。
「あいつら、今日で何日目だ」
ミカエルがつぶやく。
フランシスが椅子にもたれながら応じる。
「三日目ですよ。中尉はよろしいのですか?」
彼女の机には、まだ書類がある。
ミカエルとハートフォード副隊長、それにフランシス准尉の士官三人は、今日も書類手続きに追われていた。
ハートフォード副隊長は、士官学校での成績は上位だとミカエルは記憶している。実際、事務作業の手際は良い。
「依頼された報告書の取りまとめは完了済みです。ご確認願います」
彼はホッチキスでまとめた書類の束をミカエルへ手渡す。
ミカエルは、ハートフォードに戦闘に関する報告書の取りまとめを命じ、弾薬等、消耗品や装備に関してはフランシスに任せていた。
「昨日よりは幾分マシだな。後はこちらで仕上げておく」
戦闘報告書は、何度もミカエルとハートフォードの間を往復している。彼女は報告書を副隊長と連名で提出する予定だ。次回の出撃までには少尉へ昇進も推薦する予定でもあった。
フランシス准尉も書類を閉じてペンを置いた。
「中尉は、あまりご無理なされない方が、よろしいかと存じます」
「准将からも忠告を受けた。規定通りに進める」
戦死者に対する書類。
特に、戦士した兵士の遺族に向けて送る弔慰状の進捗が滞っていた。
また、弔慰状をしたためる前に、役所の戸籍を処理するために必要な戦死通知書を作成する必要があった。これは遺族年金にも関わるので重要なことだ。
だが死体がないのだ。
確認できるような死体がない。
二回目の『天雷』
森の中での惨劇は『悪夢』の隊員たちは、口を閉ざし触れない。
探せば肉片はあるかもしれない。
それがなんだというのだ……
ミカエルは、マクレガー准将の言葉を思い出した。
『知恵のある神は破滅を選ぶ。軍人はただ飯ぐらいが丁度良い』
いろいろと含みのある言葉だが、一番素直に解すれば『余計なことは考えるな』ということだろう。
あの時の状況が死亡と告げている。
なら、ミカエルが決断をするしかない。
彼女にはその責任がある。
死を断定する行為は、殺すのと同義であってもだ。
フランシス准尉があらかじめ作成して戦士通知書を差し出してきた。どれも、ミカエル・ダヴェンポートとサインを入れれば完成する状態だ。
ミカエルは無言のまま瞳に感謝の色を宿した。
言葉は時に無作法だと彼女は常々思っている。ふと、この時、なぜか後で口で伝えた方が良いという考えが心の奥から湧き上がるのを感じた。
だが、今は無言だった。
そしてミカエルは一人になりたかった。
「申し訳ないが、この部屋には当分立ち入るな」
彼女は、フランシス准尉とハートフォード副隊長を追い出した。
なによりも、彼女は、14通の弔慰状をしたためるのが優先したかった。
14通……
『悪夢』は隊員の半分以上を失っていた。
小隊は4分隊で編成される。今の戦力では2分隊丁度になってしまっていた。
弔慰状、その文章は上官に託されている。
一通、一通、言葉を変える。それは、とても立派なことだ。
だが、彼は、文例集から採用した。
最後の一文はこうだ。
『ご遺族の皆様が、彼の誇り高き生涯を誇りに思ってくださることを願っております』
「勇士の称号と一階級の昇進がなんだと言うんだ」
ミカエルは声を殺しながら言う。書類の端をつかむ細い指は小刻みに震えていた。
風が窓ガラスをたたく。隙間風はすすり泣くようにして部屋に入ってくる。曇り空の日差しは弱く、影はぼやけて輪郭が隠れていた。
外から駆け足の号令が響いてくる。
訓練中の部隊が列を作って走っていた。
昼が過ぎた頃。
ミカエルは、全て弔慰状をしたためた。
ノックの音が二回する。
彼女は、身なりを整えてから返事をするつもりだった。
扉は彼女の思いを無視して空いた。
入ってきたのはハートフォード副隊長だ。
彼は、ミカエルを見るなり
「失礼をいたしました」
と教科書通りの敬礼を慌ててして部屋を出ようとする。
ミカエルは「待て!」と彼を呼び止めた。
「貴官は許可を得てから入るよう、心がけよ」
とミカエルは彼に言った。彼女はこの時笑っていた。
ハートフォード副隊長は、着任初日を思い出す。
あの時は、上官を急かすよう何度も呼びかけていた。
今日は、いきなりだ。
それでも、敬礼はあの時と同じ教科書通りにして見せる。
ミカエル・ダヴェンポートは思い出し笑いをした。
「それで? 要件を述べろ」
ミカエルはハートフォードの問いに呆れるしかなかった。
「国境警備隊が亡命者を拘束したとの報告が入りました」
「直ちに司令官に報告、憲兵隊に対応をさせたまえ」
ミカエルは鼻をすすり目の当たり手で拭いた。
彼女は陸戦魔道の小隊長であって政治絡みは関係ないという自負がある。
ハートフォード副隊長は困った顔でいった。
「それが……司令が中尉をお呼びです」
ミカエルは指でトントンと机を叩き
「はあ?」
と彼を見上げた。
ハートフォード副隊長も負けない。
「司令が中尉をお呼びです!」
「くそっ!」
ミカエルは立ち上がった。
彼女は、明日、王都に向けて出発しなければならない。
だから、そこに亡命者の対応をねじ込んできたマクレガー准将が許せないかった。




