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第三一話 師匠と弟子

 数日後、ミカエル・ダヴェンポートの姿は王都にあった。


 きらびやかな社交場。

 スカートをくぐってくる風が、密かに素肌をくすぐる。それが、ひんやりと心許こころもとない。


 つまり、なぜ? スカートのお股はスースーするのか?


 という問題に直面していた。

 ミカエルの後悔。

 だが、彼女は覚悟を決めるしかない。


 言ってしまえば女は度胸を実践するしかないのだ。


 こうなる経緯は、玄関前で兵士から封筒を受け取るのを断った日までさかのぼらねばならない。


 基地に出勤後すぐにミカエルは准将の部屋に呼び出された。


 ベルファス基地司令、マクレガー准将。

 恰幅かっぷくの良い、中年の司令官。

 全体的に質素な部屋は軍人らしいといえる。ただ、調度品の類は支給品なので大抵どこも質実剛健なのが通例だ。


 壁に一枚の絵画。

 それが目を引く位置に飾ってある。

 美しい花畑の絵画、淡い色彩の水彩画だ。


 ミカエルは、その絵画について、軍人らしくない趣味だと、常々感じていた。


 ミカエル・ダヴェンポートは部屋に入ってくると、マクレガー准将は、執務台に座ったまま彼女に封筒を差し出した。


 その封筒は、早朝、兵士がミカエルに差し出してきた、あの封筒にほぼ間違いなかった。だが、彼女は、その封筒を可憐で凛とした顔つきのまま、堂々としらを切った。


 ミカエルの表情に准将は穏やかな笑みを浮かべた。

「相変わらずだねえ、貴官は……可愛らしくなってもその芯は変わらん」


「恐れながら、お伺いしてもよろしいでしょうか? 封筒の中身について」

 ミカエルはわざとらしく背筋を伸ばし、小さな胸を張ってみせる。そこに見事な敬礼を愛らしく添えた。


「朝から若い兵士をいじめてやるな。受け取って貰えなかったとしょげておったぞ」


 マクレガー准将は、要塞戦で戦死したグランツ中将の愛弟子だ。「師匠同様に人を揶揄うことを生き甲斐にしているのでは?」と常々、ミカエルは思う。


「中身なんと?」

「それは、貴官は確認したまえ」


 ミカエルは受け取った封筒の中身を確かめた。

 何度も見たことがある内容だ。


 マクレガー准将は、わざとらしく片眉を上げた。

「王都からラブレターだ」

「叙勲推薦書ですよ」


 叙勲推薦書は推薦であって確定ではない。

 軍務省や参謀本部、元老院などが推薦、その後、通常であれば枢密院で審議、王が追認するというのが通例であった。


 したがって叙勲者個人が推薦書を受け取ることはない。

 なぜなら枢密院で審議確定した叙勲通知書だけが本人に告知されるからだ。


 わざわざ、あなたは叙勲に推薦されましたが落選しましたなどという失礼な書類を渡すことはないだろう。


 ただ、例外が一つある。

 王族が叙勲通知書を発行した場合。

 この通知書が叙勲候補者に対して発行される。


「姫さま、二人からのラブコールとはなんともうらやましい」

 マクレガー准将の大げさなため息。そして、羨望を噛み締めるようにして胸に手を当てるわざとらしい演技をする。まるで大根役者だ。


 ミカエルは唇をむすっとさせた。目の前にいるのが准将でなければ、封筒を投げ返していたはずだった。


 彼女は、拳を握り、姿勢を正す。

「面倒事は御免だ」

「王都におもむき、姫殿下方に拝謁はいえつするだけのことだ。どこに面倒がある? 汽車賃も宿代も軍から出るぞ」


 ミカエルにとって汽車賃や宿代などどうでも良かった。


 王族から推薦書。

 拝謁時に推薦した王族が直接、功績を称え、正式に推薦を確認する儀礼儀式がある。


 ここで初めて推薦書は枢密院での審議対象になるのだ。

 付け加えるなら王族と血縁を結びたい貴族は、沢山いるであろうことだ。


「あからさまに嫌そうな顔をするな。前回は、グランツ中将の図らいがあったが、今回は期待するな。私は無力だ」

 マクレガー准将は口元を引き結び、真っ直ぐミカエルを見た。


「グランツ中将の戦死は……誠に痛恨の極みでありました」

 ミカエルは唇を噛んだ。彼女にとってグランツ中将は、信頼できる人物の一人だった。


「そういえば帝国要塞司令官の戦死について疑念がある。あれは自害ではないのか?」

「司令官は私の銃弾で倒した」

 ミカエルの腰のホルスターには、その拳銃が収まっている。今となっては、半分本当で半分嘘になっていた。


「私もそうだと信じている」

 マクレガーは指先で執務台を二回叩いた。


「貴官は王都に赴き姫殿下に拝謁せよ。これは命令だ。異論は受け入れん」


 ミカエル・ダヴェンポートも考えた。


 叙勲を断るとあらぬ懸念を他人を抱かせるということだ。

 つまり、叙勲を断るのは後ろめたいことがあるからだと思う者も少なくないということ……


 さらにマクレガー准将は言葉を添えた。

「王都に赴き歴史を確定させろ。さらに、女性初の戦功勲章も受け取って来い」

「私は女性でない!」

 ミカエルは上目遣いでマクレガー准将をジッとにらむ。


「上官にそんな態度を取るのは貴官ぐらいだな……外見はどうあれダヴェンポートは、ダヴェンポートだな」

 マクレガー准尉は席を立つ。そして、ミカエルの小さくなった肩を叩く。


「貴官は、あまり意識をしていないようだが、見た目は別嬪べっぴんさんだ。そこには注意を払いたまえ」

「そ、そんな世辞に騙されん」

 ミカエルは目を泳がせると一歩後退りをしてしまう。


 マクレガー准尉は肩の力を抜く、そして

「『知恵のある神は破滅を選ぶ。軍人はただ飯ぐらいが丁度良い』という言葉を知っているか?」

 と言った。


「グランツ中将のお言葉ですか」

「そうだ、あまり深く考えるな。ダヴェンポート中尉、今の貴官の見た目は女性だ。姫殿下方に拝謁しても、変な嫉妬はないだろう」

 マクレガー准尉は外の景色を見ている。


「帝国と王国の戦争、貴官はこの大局をどう分析する?」

「小官には帝国が終戦に応じるとは考えられません」


 ミカエルは思い出した。

 帝国司令官は『皇帝は退くことを決して許さない』と、そして『クロノノートに魅せられた』と言ってもいた。


 クロノノートとはククルース神話の外典の名だ。

 信仰の対象ではない他愛のないお伽話が集められた書物との認識が一般的だ。


「帝国は、昨日、北の公国を攻め滅ぼしたとの報告があった。王国の二方面作戦を迎撃しながら、さらに侵攻とは、その戦力、計り知れん」

 マクレガー准将は窓を開けた。


 冬が終わったばかりの春の風は、少し冷たい。

 それでも、濁ってきた部屋の空気を換気するには丁度良く、心地よい。


 ミカエル・ダヴェンポートは、終戦を望んでいる。

 平和を望み、敵を撃つ。

 王国の兵士のほとんどが、そうだった。


「実際、貴官がこの基地から離れるのは惜しい。強力な兵器がある。それは、攻め込む者にとって、それはまさしく脅威だろう」


 マクレガー准将は、ミカエル・ダヴェンポートの力を強力な兵器と断言をした。


 ミカエルは姿勢を正した。


 目の前に准将は、グランツ中将の弟子に違いなかった。


「王都に行ったら、王国軍人としての威厳を示して来い」

「はっ! 承知いたしまして!」

 ミカエルは綺麗な敬礼をした。


「よし、ミカエル・ダヴェンポート中尉!  貴官は直ちに町へ赴き、ドレスを調達せよ!  女性の正装に軍服の選択肢は存在せん!」

「はっ!」

 ミカエルの二度目の敬礼!


 そして気がついた「どれす??」という言葉に……


「経費は、私のおごりだ。感謝の言葉はいらんぞ」


 ミカエルの顔は真っ赤だ。

 マクレガー准将は、間違いなくグランツ中将の弟子だった。


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