第ニ八話 猟犬たちの夜
凍りついた戦車が墓標のように闇に溶け込む。
激戦の跡地。
風が吹けば、そこにあるはずもない銃撃音や怒号の残響を感じさせ、先の見える不確かな闇の先は、亡霊の幻覚を見せてくる。
戦いの小休止。
『天眼』のクライブは、ミカエルとの交渉の後、要塞に向かった。彼は要塞司令とミカエルの場を設けるとのこと……
ミカエル・ダヴェンポートは彼らの背中を見送る。
先頭歩くクライブ、その後ろ追いかけるようにマリーがいる。最後方は侍のイズモだった。
背中が遠くなるにつれ、彼らの影がぼやけていく。
それが、大きな闇の者どもを背負っているようにミカエルには見えた。
袖が余ってちょこんとのぞく指先を彼女は丸めた。
その瞬間を満天の星だけが見ていた。
ミカエルのひとりぼっちはすぐに終わった。
そう知っていたから彼は、ここで待っていた。
フランシス准尉の声だ。
長い間、離れていたわけではないのにミカエルには、ひどく懐かしい声に思える。そして、皆が無事だと確信出来て安堵した。
「中尉、やりましたね」
小さく息を吐く。その吐息は白く、頬は寒さのせいか赤くなる。フランシス准尉は軍人らしくない笑顔を見せると、ダヴェンポートの血の刻印を入ったロザリオを見せた。
彼女は、そのロザリオを両手で握りしめると
「そんな顔を為さらなくても暖かいですよ」
と言った。
離れた場所からガトリング軍曹は仁王立ちで腕を組んでいる。
「夜の中尉殿は相変わらず別嬪ですな」
などと言い歯を見せて笑う。
生き残ったミカエルの仲間たち。
『悪夢』の隊員たちが大きく見える。
実際、少女の姿になってしまったミカエル・ダヴェンポートの背は縮んでいるわけだが、最強の力を持つ彼女でも、仲間たちが頼もしく思えたのだ。
『悪夢』の兵士たち。
戦場を駆け抜けてきた野良犬たちは、猟犬のような瞳でミカエルを見ている。
彼らには、ダヴェンポート中尉が少女の姿であろうが無かろうが自分たちの隊長であることを信じて疑わない。
ただ、キョトンとした者も二人いる。
初陣の二人。
副隊長であるハートフォード少尉。
そして、問題児の新兵、ヴァルトニーニだ。
副隊長が先に動く、
「本当に……ダヴェンポート中尉であられますか?」
そばに寄ってくるハートフォード少尉。
背が縮んでしまったミカエルとの身長差が強調されてしまう。
傍から見たら兄妹だと言われても仕方がないありさま。
さながら、堂々と立ってハートフォード副隊長を迎えるミカエル・ダヴェンポートは生意気な妹と言ったところだろう。
彼女は副隊長の言に不機嫌で返す。
「私は貴官の上官である。異議があるなら述べよ」
彼女は無意識に背伸びをして言った。
そして厳格な口調、下から覗き見るような上目遣いが少しあざとい。
なのに、ハートフォード少尉は昨日から知るダヴェンポート中尉の普段と重なる。厳しいことを言っていても、どこか他人を気遣っているような人柄。それが、目の前の少女と重なった。
「いえ、申し訳ございません!」
ハートフォード少尉は綺麗な敬礼をして見せる。
その次に彼が発した言葉がミカエルに引っかかった。
「中尉のお姿を脳裏を刻んでおきます!」
刻むってなに!
なんなの?!
ミカエルはゾクゾクとしたので、手の甲で下がれのゼスチャーをした。
「さて」
とミカエル・ダヴェンポートは思う。
ただ、放って置きたい気持ちがある。
彼のミカエルを見る視線がヤバいからだ。
「あれが……ダヴェンポート中尉?」
新兵のヴァルトニーニは昨日の顔合わせ早々、ミカエル・ダヴェンポートと一悶着をしていた。その際は彼は『夜のプリマドンナの方がお似合いだと』言い、ミカエルを挑発している。
つまり、『夜のプリマドンナ』少女姿のミカエル・ダヴェンポートは、新兵のヴァルトニーニにとって信頼に値する上官ではないということだ。
目の前にいるヴァルトニーニが、初恋の相手を前に緊張をしている初心な青年に見えないこともないが、それは、強く、強く勘違いだとミカエルは自分に言い聞かせた。
ミカエル・ダヴェンポートは、新兵のヴァルトニーニにもう一度、自分が上官であると認めさせなければならない。
彼女はキッとした視線で彼を見た。
ヴァルトニーニは、目が合うと直ぐにそらす。
その時、ミカエルは彼の耳が赤いことに気づいてしまう。
それはきっと、耳が赤くなるほと怒り心頭だということだろうとこじつける。
フランシス准尉が、そんなミカエルに声をかける。
ミカエルの耳元でささやくように彼女は言った。
「中尉、わたしが説明をいたしましょうか」
彼女の提案にミカエルは即答をする。
「いや、あれは俺の仕事だ」
ミカエルは胸に手を当て唇をきゅっと噛む。そして、頬を軽く叩いてヴァルトニーニの方へと歩いた。
「そこが、中尉らしいですけど、あまり刺激をしない方が……」
ミカエルはフランシス准尉の言葉を背中で聞く。
確かに昨日のような荒事に、何かの弾みでミカエルのリミッターが外れると大惨事だ。
そしてミカエルは言った。
「貴官も何か言いたいことがあれば許可する。申せ」
風が吹く。
ミカエルの髪が乱れる。
無意識に風に煽られる髪を片手で抑えた。
その時、ヴァルトニーニが発した一言をミカエル・ダヴェンポートは聞きたくなかった。
彼は一言、こう言った。
「か、可憐だ……!」
明らかに驚きと照れが見え隠れしている。
そして、照れているくせに彼はミカエルに手を差し出してきた。
なんという大胆。
その手をミカエルは、威嚇する猫のように弾いて見せた。
パチンという音。
ヴァルトニーニは、叩かれた自分の手を残念そうに見ている。
彼の軍服、その肩の部分に血が滲んでいた。
さっきまでの激戦をミカエルを思い出す。
「戦場でその態度とは、随分と余裕だな」
ミカエルはヴァルトニーニの胸あたりを拳でコツンと当てた。
胸に当てた拳をそのままでミカエルはヴァルトニーニに語りかける。
「しかし、生き延びたことは評価に値する。だが、まだ終わりではない。しばしの間だ。気を抜いて私を失望させるな」
その嫌味な口調にヴァルトニーニは聞き覚えがあった。
さらに続いた言葉に彼は彼女がダヴェンポート中尉の姿をはっきりと見る。
「肩の傷は速やかに手当を受けろ。それは勲章ではないぞ」
ヴァルトニーニはゆっくりとした敬礼をする。
「りょ、了解っす!」
ミカエル・ダヴェンポートは口元を押さえながら小さく肩を揺らす。
「軍曹! 後で、新兵の言葉遣いを是正しておくように!」
「はっ! 承知いたしました! それと、新兵には隊長殿に惚れるなと念を押します!」
「勝手にしろ! どうせ、日が登れば奴も失恋するだろう」
腕を組み大きく息を吐き出すと、ちょっと不貞腐れたように重心を移動させる。
ヴァルトニーニをからかう仲間たち姿が彼女の目の前にある。
それをやり返そうと必死な彼は、肩を怪我してこそすれ元気そうだった。
「士気はまぁまた十分だな」
ミカエルは、隣のフランシスに話す。そして、要塞を見る。
結界に守られた要塞は、まだまだ健在だ。
「次も大変になりそうですね……」
フランシスも要塞を見ていた。
作戦の目標は要塞の沈黙だ。
「要塞の司令官次第だ。交渉をするなら応じるし、拒むなら潰すまでだ」
フランシス准尉は両手を後ろで組みながら、不安げに足をそろえる。
要塞の上に月が輝く。
今夜が三日月だと気がついたのは、ミカエルもフランシスもこの時が初めてだった。




