第二六話 武神錬金
『不動行光』は由緒正しい刀だ。
刀身に揺らぐ刃紋は切先に向け広がり、鎬筋とせめぎ合う。鍔に施された桜紋が儚くて美しい。
柄に巻かれた黒い絹糸。綿密に編み込まれたそれが菱形の模様を作り出す。その隙間から覗く鮫皮は黒い。
柄頭には金色の装飾金具。そこに結ばれ垂れ下がる二本の組紐。その揺れが止まる。
侍であり、クライブの従者のイズモが動き出しだのだ。
彼が握る『不動行光』の切先が閃光のように走り出す!
その剣筋は、ミカエルの着地を隙を確かに捉えている。
ミカエル・ダヴェンポート。
彼女は彼女で大変だ。
心の中の彼が身体の彼女とせめぎ合う。
見えるはずのないパンツ。
内股でスカートを抑える仕草。
軍隊から支給されているズボンを履いているのにだ。
ほどなく着地。
地面スレスレでふわりと減速……からのトンと着地をして見せる。
それはまるで隙だらけ、戦場で死をまったく意識していない存在に見えた。だからこそイズモは底知れない恐怖を肌で感じてしまう。
しかし、動き出した『不動行光』は止まることを知らない。
走り出した未来の剣筋は、ミカエルを両断してもいる!
切れぬ物はないと断言できる自信がイズモにはあった。
だが、今となっては、それが揺らぐ自分もいる。
ミカエルには迫る剣筋が見えている。
ただ、それに恐怖を感じてないだけだ。
なぜなら、本能が彼女にそれが些事と告げていた。
例えば、そよ風が吹いていて、それが心地よいと思っても、それ以上はないと思うのと一緒の理屈だ。
ダヴェンポートは戦場での油断は命取りだと知っている。
だかそれ以上の事象が彼女を襲っていた!
髪の乱れがひどい。
ひどいのだ。
これの方が大問題!
前髪が顔にかかっている。
視界が狭まる!
それに可愛いくない!!
心の中の彼と身体の彼女がせめぎ合う大問題。
表情が不機嫌に歪む。
髪を整えよう腕を動かす。
そこに『不動行光』!
侍イズモの渾身の一撃!!
それが衝突した。
斬ったではなく衝突。
刃が彼女の腕に食い込んだでもなく、実際は触れることすら敵わない。
軍服の袖部分に切り込みを入れる。
『不動行光』はそれを成しただけ……
その先にあるミカエルの柔肌に触れることを許されなかった。
目に見えぬ何かに阻まれてしまう。
もし刀の使い手が並ならば折れていたであろう衝撃。
イズモはその衝撃を逃す。
そのせいで、肩が抜けそうになるほどの痛みが走る。
それでも肘を曲げ、優れた体幹を駆使することで致命傷を免れ体勢を整える。
そして二撃目だ!
「……この化け物!」
彼は凍り付く口を開け、大声で叫ぶ!
低い位置から刀の切先を突き上げるようにミカエルの首を狙う。
その動きは電光石火の雷撃だ。
ミカエル・ダヴェンポートには思考を巡らす余裕がある。
刹那の瞬間、その時の刻みが彼女には悠久に感じらる。
ミカエルは「魔法はダメね」と浮かんだ言葉を「魔法はダメだ」と言い直す余裕がある。
魔法の境地、世界創造。
具現化された彼女の世界。
『無限の冬』
ここでの彼女はその身体を絶対零度で包んでいる。
全ての運動が停止する絶対零度。物理上到達し得ない絶対零度だ。エントロピーの低下速度を超え、不確定性原理やその他の概念全てを否定する領域が彼女を覆って守っている。
ミカエル・ダヴェンポートを『無限の冬』の中で傷つけることはおよそ不可能に近い。
魔法はなんとなくダメな気がする。
そして悪い予感しかしない。
ロザリオを握り締めているであろう仲間たちのことを彼女は忘れてはいない。
一方で、彼女は、くんずほぐれずの肉弾戦は苦手だと心得ている。だが、今は違う、心の中の彼に格闘術の心得がある。
イズモが放つ電光石火の突きが迫る。
切先は直ぐそこ。
ミカエルの首を確実に捉えている。
正確無比な見事な太刀筋。
一寸のブレもなく、ただ愚直に真っ直ぐと突き出された切先にミカエルは感嘆の念を抱いた。
ただ申し訳ないとも思う。
ミカエルのイズモに対して得た結論は無視だ。
相手をする必要はない。
突きは首に当たる。
それだけだった。
彼女の何も変わってはいない。
「無視だと……」
イズモの声が震える。
ミカエル・ダヴェンポートは彼に一蔑をしただけ……
彼女は片手で小銃を構えた。
「狙うならアイツだ」
彼女は優雅な仕草で小銃の銃口を『天眼』のクライブに定めた。
クライブの参ったなという表情。
ミカエルは、これで終結だなと思う。あとは「戦闘放棄」を誓わせるだけだ。
誤算が声を上げる。
ミカエルの傍にいるメイド姿の少女。
マリーが目一杯に叫ぶ!
「クライブさまに手を出すなんて……そんなの、絶対……絶対に許さない!」
誤算が続く。
飛び出してくるマリー。
その勢いに若干の脅威を感じる。
ミカエルの頭によぎる言葉は『武神錬金』
マリーは右拳に力を込める。
疾風のごとし勢い。
拳を繰り出すために半身をひねる。
歯を食いしばり、可愛らしい顔を歪ませた。
ミカエルは応戦の構え。
『冬の魔女』の顕現から時間が経ったせいか、それとも、迫りくるマリーの勢いか、どちらにせよ、ミカエルは少し動ける状態。
ミカエルが構えている小銃。
その引き金を引く。
先に指揮官らしき男、クライブを仕留めておく、これが彼女の狙いだった。
だが、結果は空砲。
撃鉄のカチという音が虚しく響く。
『無限の冬』の中、歌われた、天使の声と神の旋律。
その効能で全ての武器は性能を失っていた。
「撃ったな! 許せない! そんなこと、許さないんだから!!」
マリーの顔が真っ赤になる。
振りかぶった右拳をミカエルへ振りかざす。
それを彼女は、ほほのスレスレでかわす。
驚いたことに拳が通過する際、その勢いを肌で感じた。
マリーが腕力任せに放った拳。
その勢いが自身に返って身体がコマのように半回転。
そこから片足で地面を押すようにして跳ねる。
マリーの後ろ回し蹴り。
その踵がミカエルを襲う。
ミカエルは受け身ではなく攻撃に転じて見せた。
半歩前へ。
マリーの襲いかかる後ろ回し蹴り。
それをミカエルは半歩前に出て当て身をする。
どちらも勢いを殺し合う。
そして、お互いの間合いが開く。
要塞攻略戦。
互いの犠牲は少なくない。
大勢がすでに命を落としている。
犠牲は増やしたくない。
ミカエル・ダヴェンポートは思っていた。
彼女は戦場に立つ自分のおごりを恥じた。
マリーは厄介な敵。
イズモは敬意を払うべき敵。
「やはり、戦いは最後まで……か」
ミカエル・ダヴェンポートは役に立たない銃を捨てた。
ぶかぶか軍服、萌え袖に少し隠れる拳を握る。
いつの間にか美しい銀白色の髪には魔力が灯る。
すると長い髪がキラキラとキラキラと輝きはじめた。




