第二四話 夜のプリマドンナ
春の魔女は、風となって種を運び、夏の魔女は、天から陽の光をそそぐ。秋の魔女は、大地に溶け込み豊穣をもたらし、終末を告げる冬の魔女は、深い闇に封じられた。
ーー『クロノノート四季の魔女』より
鳳凰は確かに顕現していた。
眼球のふちから炎が溢れる。
赤い、赤い、真っ赤な炎が眼球をふち取っている。
そして、意外な程、瞳は黒い。闇よりも濃い、真っ暗な瞳。
その人の背丈より大きな瞳が、ダヴェンポートをジッと見る。
闇夜を覆う巨大な火の鳥。
鳳凰が彼を狙っている。
遠い場所、後退中の王国軍。
その隊列の中。
ステラはその鳳凰を見ていた。
「何なの……あれは……」
離れていても、その巨大さ、そして、その翼の雄大さに誰もが目を奪われる。
兵たちは足を止めた。
ステラは敗戦を覚悟した。
ただ約束を思い出す。
そして、
「編成を急がせなさい」
と側近のアリーに言った。
編成とは要塞制圧部隊のことだ。
「ステラさま、あれでは……」
アリーには、あれが人の敵うものには到底見えない。
夜のダヴェンポートがどれほどでも、それは人の延長線にある強さだ。彼の戦績の最大級は、大隊を一人で壊滅させたこと……天を覆うっている火の鳥の化け物は、人類の最強が束になっても敵わないようにアリーは思う。そして、これは王国の兵、全ての総意でもあった。
「ステラさま、ダヴェンポートが心配なのは分かりますが、あれは無理です」
アリーは「彼は見捨ててください」と暗に言った。
「違うのよ。ただ、あたしは嘘つきが嫌いなの……制圧は、あたしが率いるわ。それなら責任が取れるでしょ」
「そんな……」
夜空を隠すほど雄大な炎翼を広げる鳳凰の存在は圧倒的だ。
それに比べれば山々ですら矮小に見える。
鳳凰が支配している夜空。
要塞の最終防衛戦。
そこにいる帝国兵もダヴェンポートたちも、鳳凰に比べれば有象無象でしかない。
帝国の最終防衛戦、そこにいる地上の誰もが天を見上げていた。
銃を構える兵士はもちろん、戦車の砲台はその砲身を天に向け、その他あらゆる火器が彼を狙う。
敵の全てが彼に狙い定めていた。
遮蔽物のない中空。
夜空に向かって突き上げられた岩の槍。
その鋭峰に、彼はいる。
まるで無防備、守るものはない。
だが風が吹く、それでも、その身はピクリともせず髪だけがなびいていた。
槍の鋭峰、そのふもと、ダヴェンポートを斜め横から見上げる位置。
鳳凰を顕現させたイズモは、腰に差した刀を抜いた。
刀身は鈍く光る。
刀の持ち手を軽く扱い構えを整えた。
そして低い構え、にらむように刀を強く握る。
ダヴェンポートの真正面、彼が視線を少し落とすと広がる地面。
そこから『天眼』のクライブがダヴェンポートを指差した。
「はじまりの舞台は整えてやった」
まるで「感謝しろ」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。
帝国側の司令部。
要塞に座する司令官。
彼にもこの光景は見えていた。
「『天眼』め……遅い……」
司令官はやらせない気になる。肩を震わせ拳を握りしめるほどだ。
こんな隠し玉があるなら、もっと早く出せば良い。
その機会はいくらでもあったのでは? という疑念もわく。
それは後で問い詰めることにした。
何らかの制約があるのか? それとも……どちらにせよ、一発ぐらい殴っても許されるだろう。
「それは勝ってからだな。だが……こんな幕切れは、互いに不条理だな」
司令官の横顔をトウノ少佐は黙って見ていた。
誰もが終幕を覚悟した。
ダヴェンポートは、孤高の宙で
「ロザリオを掲げよ!」
と言った。
その声は、鳳凰という圧倒的な存在にかき消された。
『悪夢』の隊員たちには届かない。
フランシス准尉は違った。
彼女はロザリオを握る。
ダヴェンポートが己が血で術式を刻んだロザリオ。
あの血のロザリオだ。
フランシス准尉は、それを握る。
「ロザリオを握って!」
一度目の叫び!
槍が隆起した地面、他の隊員の顔が見えない。
「ロザリオを握りなさい!」
二度目の叫び、皆に通じたか自信が持てない。
だから最後に、威厳を持って命令をする。
「隊員各位! ロザリオを掲げよ!」
仲間の声が、あちらこちらからバラバラに呼応した!
「ロザリオを掲げよ!」
誰もが終幕を予想をしている。
帝国兵はダヴェンポートの敗北を『悪夢』の隊員たちですら天に祈るのみの状況。
『天眼』のクライブとその配下イズモに油断はない。
この一撃の集約で止めをさせずとも、傷ついて地に向かって落ちてくるダヴェンポートに追い討ちをする構えだ。
さらに油断のないのはマリー。
何があってもクライブを守り抜く気。
決着がつくまで、彼女は絶対に気を抜かない。
全てがダヴェンポートに向かって放たれた。
あらゆる砲弾や銃弾、この場にいる敵全ての火力。
そして鳳凰は、彼を飲み込もうと翼を羽ばたく。
その羽ばたきで強風が吹く。
まるで嵐だ。
燃える羽根が抜けていく。
一枚、一枚が地上に降り注ぐ。
その度に爆弾のようなきらめきが地上を襲う。
全ての火力がダヴェンポートを襲う。
その弾幕の惨状で彼の姿が隠れる。
鳳凰のくちばし、まるで龍の顎のように凶暴な口が開く。
それで全てが終わるはずだった。
誰もが思うよりも決着はあっけない。
キラキラと雪が降る。
粉雪よりも細かいダイヤモンドダスト。
宇宙の『ヘルメスの眼球』たちは瞬時に異変を悟る。
彼らは彼ら自身の存在を賭けて阻止に動く。
出来ることは魔力の供給を増やすこと。
最大級の神獣、鳳凰をさらに強化する。
ただ、その一点に望みを託す。
ただ、魔力量が問題ではなかった。
ダヴェンポートは理を書き換えた。
ルールが違う。
魔法の真髄、世界創造が展開される。
『無限の冬』
一つ、炎に霜が張り付く。
鳳凰は悲鳴すら上げれない。
二つ、そこは全てが凍る。
魔力という概念ですら凍る。
三つ、音が消えた。
ダヴェンポートを隠していた弾幕が凍る。
きらめきながら晴れ渡る。
帝国兵たちは視力を失う最後に見た。
ミカエル・ダヴェンポートの姿。
それはまるで白銀の魔法使い。
美しい女性の姿。
血液が凍る最後の時。
帝国兵の誰もが思う。
あれは魔女だ。悪い魔女だと思う。
そして、きっと、これは悪夢だと思いながら彼らは凍りながら眠りについた。
ミカエル・ダヴェンポート。
彼は音を奏でた。
美しい高音。
ソプラノの高い調べ。
その音色に氷の彫像となった鳳凰は砕けて散った。
『夜のプリマドンナ』が『悪夢」のオペラを奏でる。
美しい白銀をなびかせる彼女は無傷だ。
要塞から砕け散る鳳凰を目撃した司令官。
彼は白い息を吐き出す。
司令官には霜が降りていた。
「信じられん……」
彼はつぶやく、そして準備していたメモをトウノ少佐に手渡した。
ミカエル・ダヴェンポートも驚いていた。
過去二度の顕現では、これで全てが終わっていた。
だが、今回は違う。
領域に入っていたはずの要塞は、どうやら耐えている様子。
「結界?」
女性と化しているミカエル・ダヴェンポートは可愛らしい声で疑問を口にする。
要塞を覆うように氷の結晶が貼り付いていた。
その様子は白いレースを要塞が被っているように見える。
そして……
「まったく……この身体には慣れてないのに……」
ミカエル・ダヴェンポートは少女のようにつぶやく。
足元に三人の生存者がいる。
『天眼』のクライブ。
その配下のイズモ。
そしてマリーがミカエルを見上げている。




