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第一九話 月の決意

 彼は戦友の半数を失っていた。


 ミカエル・ダヴェンポートは数えてはいない。数えるまでも無かった……


 誰かが居たはずの場所。

 そこの土がえぐれていた。


 主人あるじを失った装備の数々が散乱している。


 さっきまでの風景が重なる。

 ひと時の休息。

 談笑と笑い声。


 そして決意を持って準備をしていた姿。


 確かに、そこにいた人々。


 小銃が墓標のように大地に突き刺さっていた。

 ダヴェンポートは、そこに目を留めた。


 彼は泥を払いながら、それを手に取る。

 大切な物を扱う手つきで……ゆっくりと泥を払う……


 小銃の弾倉を引き抜いた。

 そこには、弾がしっかりと込められている。


「いったい何の意味がある……」

 彼は思考の渦に飲み込まれそうになる。


 小銃の泥が綺麗に払われた。

 重厚で控えめな黒い輝きが戻ってくる……

 彼にとって、銃がこんなに重く冷たい物だと感じたのは初めてだった。


 そして海の底に引きづり込まれそうな感覚が、彼を襲ったのだ。

 目の前が暗くなり闇に覆われていく感覚……


「……中尉! 中尉! ダヴェンポート中尉!」

 フランシス准尉が彼を呼ぶ。


 生き残った仲間たちが、ダヴェンポートを見ている。


 そしてフィリオを中心に人集ひとだかりができていた。

 フィリオは無線技師だ。無線機用のヘッドセットを片耳に当ててダイヤルをいじっている。


「うぉおおおお!」

 歓声だ。


 ハートフォード副隊長がダヴェンポートを手招きをした。

「中尉、無線がつながったそうです」


 フィリオがガトリング軍曹に背中を叩かれ痛そうだ。

 皆に、もみくちゃにされる無線技師。


 その中に新兵の姿もあった。


 彼らは、まるで泥遊びをする野良犬たちのようだ。


 フランシス准尉は、ダヴェンポートに声をかけた。

「中尉が思っているより皆は強いですよ」


「そうだな……」

 彼は手にしていた小銃を元の場所へそっと置いた。


 皆が彼を見ている。

 だから、彼は、そこへ……


 そこへ、戻っていく。


 ダヴェンポートは、無線技師、フィリオの頭に手を置いた。

 くちゃくちゃの髪を、さらに乱すような手つきで撫でてやる。

「良くやった。えらいぞ」


 フィリオが歯を見せて笑う。

 そして、誇らしげにヘッドセットをダヴェンポートへと差し出した。


 その時、彼は言った。

「通信は平文です。司令部は暗号通信を放棄しています。どうも電波状況のせいかと……」

「そんなに悪いのか?」

 無線技師のうなずきにダヴェンポートは疑念を抱く。


 彼はグランツ中将を良く知っていた。

 あの狡猾こうかつな策士は、この混乱を利用するはずだった。


「暗号通信の放棄……」


 それ自体、悪手ではない。

 体制を整え事態の収拾させることを優先するなら好手ともいえる。


「あのジジイ、何を考えてる……」

 そう言いながら、ダヴェンポートは受け取ったヘッドセットを耳に当てた。


 砂嵐の音が彼の耳に飛び込んでくる。

 そして、技師のフィリオが無線機をいじると、砂嵐にピーやらビーといった電子音が混じり込む。


 それが安定する。

「つながりました」

 無線技師は親指を立てながら太鼓判を押した。


 ダヴェンポートは、ヘッドセットのマイクを通して部隊名を告げる。


 定型句を繰り返す簡単なやりとり。

 その後、無線機の向こう側は、彼に冷たく告げた。

「中将は、死亡と推定されております」

「死亡だと……」


 ダヴェンポートの絶句。


「戦死ではなく、死亡なんだな!」

 彼は声を荒げた。


 ここは戦場だ。


 軍人の死は、原因が何であれ、彼にとっては、全ては戦死だった。


 ダヴェンポートは、直接、グランツ中将と無線を交わすつもりは無かった。

 実務的な状況報告と今後の方針を伝えるのが目的だった。


 それだけで、あのグランツ中将であれば、上手くやるという信頼があったからだ。


 参謀本部直属の小隊。

 その指揮官である、ダヴェンポート。


 そうであれ、たかが中尉だ。

 中将と直接言葉を交わすなど、向こうが望まない限り、呼びつける無礼を働くなどあり得なかった。


 しかし、彼は告げる。

「今、指揮を執っているのは誰だ? そいつを連れて来い!」


 無線機の無音が続く。

 隊の皆は、黙って無線機を見つめている。


 どうやらダヴェンポートの会話で何かを察したようだ。

 フィリオは、地面に置いた手の上を歩く蟻を払いのけた。


「あたしを呼びつけるなんて、いい度胸でしたよ。ダヴェンポート中尉」

 彼にとって聞き慣れた声が「ダヴェンポート中尉」という部分をこれみよがしに強調しながらゆっくりと喋る。


 いつものなら無視をするダヴェンポート。

 声を聞き、白い軍服を着たステラ嬢が彼の頭に思い描かれる。


「お嬢には無理だ。指揮を執るなんて悪ふざけがすぎるぞ!」

 彼は珍しく声を荒げた。


「あたしは……」

 ステラの声が一瞬途切れる。


 そして彼女は言い直した。

「私は、王国、第二の月、ステラ・フォン・ミュンゼンバーグとして指揮をとってます。それと、この無線は、平文でしてよ」


 ダヴェンポートは天を仰ぐようにして絶句。そして空いた手で自らの頭を髪の毛ごとわし掴みにした。


「そこまでの無理は誰は望んでいない。少なくとも俺は望まない」

「あたしは、望んで指揮を執っているわ」


 彼女は、この惨状の責任を取ろうとしている。

 ダヴェンポートは、そう思った。


 これは、戦争であり、ここは戦場だ。

 全ての責任は指揮官にあるはずだった。


 だが、グランツ中将は、もういない。


「無線通信の平文は反対されただろう?」

 彼は、彼女に問う。


 中将の直参、そうで無くても、彼を知るものは、この混乱を『好機』と捉えるだろう。


 結局、ステラ個人に責任ではないのだ。

 なぜならば、ここは戦場であり、これは戦争だ……


「反対? 今は、負傷者を含めた生存者を回収して前線を下げること、これが最優先。だから、私は譲りません」


 彼女らしい良い判断だ。

 ダヴェンポートは、被害を最小限にしようとする彼女の思いをくみとった。


「優しくて良い指揮だ。それでも、悪ふざけを言っている方が好きだ」

「ななっなっ……あんたなんかに頼らなくても平気なんだからっっ! どうせいつもみたいに知らん顔してればいいでしょ!」


 ステラのキツイ言葉に彼は腹を抱える。


「これは、平文ですよ。ステラ様」


 無線越しに「コホン、コホン」というステラの咳払いが聞こえる。

 彼女は喉を整えて大きく生き吸う。


「ダヴェンポート中尉、あなたの隊『悪夢ナイトメア』は、即刻、撤退をしなさい。これは、ステラ・フォン・ミュンゼンバーグとして命令です」

「嫌だね」

 一時の間も置かずにダヴェンポートは返事した。


「あ、あんたバカなのっ! ほんと、バカバカバカッ! 性別とか容姿が変わる意味ぐらい、ちゃんと考えなさいよね! だいたい、お姉さまが叙勲を進めた理由くらい分かるでしょ!? 」


 ステラの真っ赤な顔が、ダヴェンポートには思い浮かぶ。

 戦場が似合わないひとだとも思ってしまう。


 当然、彼女の言葉を聞くまでもなく、彼は勘付いていた。

『禁呪』の一つに獣人化がある。


 性別までとはいかないが容姿変貌と能力向上は、彼の夜の変貌と似ていた。


 獣人化は非人道的だから『禁呪』なのだ。

 人間の命や尊厳をもて遊ぶ術式だからだ。


 軽くない代償が、ダヴェンポートにもきっとあるはずだった……

 その事実を国は彼に隠しているのだろう。


 爵位があれば、ダヴェンポートの運用も多少変わるはずだった。


 ただ、ハートフォード准尉、伯爵家の私生児の扱いを見るまでもなく、貴族社会は面倒くさい。


「戦争の意味は勝者が決めるらしい」

「いきなり、揶揄わないで下さい」

「昔、士官学校交流で帝国の士官候補が言ってた言葉だ」

「だから?」

「そのままの意味だ。勝ちを狙う」


 ステラはハッとした。

 勝利すれば、少なくとも敗戦の責任は無くなる。


「責任ぐらい取れるわ。だから」


 続く言葉、彼女の地位を示す「王国、第二の月、ステラ・フォン・ミュンゼンバーグ」と言う名をダヴェンポートは言わせない。


「勘違いするな責任ではない、これは意地だ」

「あなたが何と言うようと、指揮官として命じます。撤退しなさい」

「嫌だね」

「なっ!」

 ステラが絶句している。


 彼女は一生懸命だ。そして、指揮もできるだろうと思う。彼女らしい思いやりのある良い指揮だ。軍人としては、いささか疑問の余地はあるが、それでも下手はしないという確信が持てた。


 しかし、ステラ嬢には敬意を示さねばならない。

 そして、ダヴェンポートは頭をかいた。


「参謀本部より極秘指令が承っております。たとえ姫さまの命令であっても背く訳にはいきません。背けば、私の命に関わります」

「命だなんて……ホント、あなたって、良くズルいと言われるでしょ?」


 ザザザと電波の乱れ。

 それがまるでステラのため息のようだ。


「姫さまのご健闘をお祈りいたします」

「分かったわ……なら、事態を収拾しながら制圧部隊の準備を進めます。どうせ、少数じゃ沈黙させても制圧維持は無理でしょ?」

「流石てございます。頼りにしてます!」

「バッ、バカにしないで、これぐらい簡単なんですから!」

 最後のステラの声は大きい。


 ダヴェンポートがヘッドセットを耳から離したぐらいだ。

 隊員たちも、これにはビックリしていた。


 そして、ガチャンという音でも聞こえるぐらいの勢いで無線が切られた。


 ダヴェンポートは頭をかく。

 その姿に隊員たちは、生つばを飲み込んだ。

 そして瞳に光を宿しはじめる。


 ダヴェンポートは頭をかいた。

 なぜなら、彼は隊員たちに謝罪をしなければならないからだ。

 彼はこの後、彼らに「突撃」よりもキツイ命令をしなければならなかった。

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