第十三話 狂宴
銃声が鳴り響く。
森に住む生き物たちとって、それは狩の音。
ただ今度の狩人たちは様子が違う。
獣のような雄叫びを上げ、血だらけになっても荒れ狂う。
その様相に狼たちですら逃げ出した。
同じ種族が果て無く争う、狂人たちの狂宴が森中で繰り広げられていた。
鳥たちは大空へと逃げ出し、狼ですら遠くへと去っていく。
粗方の生き物が逃げ出した後、それを追うように山中を駆け上がる動物の姿がある。
鹿の親子の蹄が茂みを踏むと、驚いたトカゲが慌てて樹皮を駆け上がる。
親は子を思い、子は親を頼って逃げていた。
突然、親鹿の身体に緊張が走る。鼻をぴくぴくと動かし、耳をピーンと立てている。
親鹿の視線の先には山を下る複数の人影があった。
子鹿が追いついて来ると鹿の親子は、もっと森の奥へと消えて行く……
『天眼』のクライブと複数の兵たちは山を下っていた。
細く険しい道の脇には名残雪が見える。木々の合間を抜ける獣道のように細く険しい、坂の厳しい山道だった。
兵士たちの足取りは乱れ、背中に背負った装備品が揺れる。その度に不快な金属音を出すので、森に残る静寂はかき乱されていた。
「マリーちゃん、俺は辛気臭いのは嫌いなんだぜ。それに、まだ負けてない」
天眼のクライブはライフルを杖のようにして歩く。
しかも半身を小柄なマリーに預けるようして、やっと歩いている状態だった。
「ボロボロのクライブさまが……」
マリーは口をつぐんだ。
彼女の白いエプロンドレスの裾は泥で黒く汚れていた。
「あいつらは俺の思い通りに動いていた。ただ『悪夢』の奴が強すぎたのと、俺の詰めが甘かっただけだ。ちっ、あの堅物の司令官殿はさぞ怒り心頭だろうな」
「当然です。わたしだって、怒ってます……でも……放っておけないんです」
「そうか、マリーちゃんは優しいからな」
「あまり勘違いなさらないで」
マリーが伏し目がちに口を尖らした。
「してねえよ。このままじゃ、あいつらには合わす顔がないな」
マリーは、戦死した彼の配下のことを言っていると思った。
「そんなことは、ありません。あの方たちも、きっと」
「そんなは、無いんだ」
クライブはタバコを取り出す。それは、残り一本だった。
「そんな身体で吸うのはやめてください」
「そうだな、あいつも一旦、下がらせたんだったな」
『天眼』のクライブは、彼が憑依できる配下があと一人いることを思い出した。
「しばらく、戦うのは控えてください」
「なあ……マリーちゃん」
クライブは立ち止まった。
彼はライフルを脇に挟み、それを突き立てて支えとした。
そして、ジッポライターのふたを二回、開け閉めして手遊びをする。
「平和ってのは弱い奴しかいない世界だろ?」
「突然、何を言い出すのですか……クライブさま、タバコはダメですよ」
「弱い奴らは戦ってもつまらないだろ? だからケンカなんてしないんだろうな。苦手なゲームを進んでするバカは、いねえだろ」
『天眼』のクライブはジッポライターに火を灯す。
ライターオイルの独特な匂い、石油ストーブを思い出す、あの匂いが周囲に漂う。
「なら強い奴は始末しないといけない。特に、王国の『悪夢』なんていう規格外は……始末してやる」
彼は、最後のタバコに火をつけた。
ふもとの森から轟音が響いてくる。
クライブたちの頭上の木々で休んでいた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
ダヴェンポート中尉が率いてきた陸戦空中支援部隊が本来の仕事を始めたのだ。
その頃、帝国軍要塞司令は『天眼』のクライブからの報告を受け取った。
「誰が不条理を知らせろと言った!」
作戦台に両手で作った拳を打ちつけた。
ドンという音とともに地図上のコマが倒れる。
台の周りにいる事務官たちの手が止まった。
「『悪夢』の評価格付けが上がったらしい。対戦前の準伝説級から伝説になり、あげくには準神話級の疑いだと……その格付けに何の意味がある? 我々が行う戦力評価とは……」
司令官は口を閉ざす。軍隊が行う戦力評価とは格付けに他ならない。
「手を止めるな。続けたまえ」
作戦台を前にして立っていた司令官は、深々と腰を下ろす。祈るように両手を組むと、そこにひたいを当てた。
「司令! 左翼ジンロック大佐より、急報!」
「第二線中央軍より、催促! 右翼の合流は……」
「カサラギ中佐、戦死! 戦死? 指揮系統壊滅??」
作戦指揮所には悲痛の声が響き渡っていた。
作戦台を囲むように居合わせる事務官が駒を一つ、地図の上から持ち上げだ。
顔を伏せていた司令は、その事務官と目を合わせるようにして手のひらを差し出した。
「カサラギ……あいつとは、長い付き合いだったな……」
彼は駒を回すようにして眺めると胸のポケットにしまう。
「司令、軍本部より返信です」
司令官は書面を受け取る手を止めた。
「貴官か……落ち着いたようだな」
開戦当初、肩を震わし「犠牲者は、百は下らないそうです」などと発言、感情的になり、司令官から席を外し休むよう命じられた佐官の彼がそこにいた。
「先程は、取り乱してしまい申し訳ありません」
彼は席に座る司令官を見下ろすようにして立っていた。
司令官は席の背もたれに、その身を預けている。
その後ろには書面が投げ出された。
ヒラヒラと白い紙が床に舞い落ちる。最後に表を上にして滑るように着地した。中央に大きく押された「却下」の判子が一際目立つ。
佐官が書類を黙って拾い上げる。
「それは捨ておけ。役に立たんぞ」
「しかし、規則では」
「しっかり立ち直ったようだな、何よりだ」
佐官は伸ばした手を躊躇しながら引っ込めた。
そこを離れようとする彼に、司令官が話しかける。
「カサラギが戦死した」
「カサラギ中佐殿がですか?」
司令官がうなずく。
「残念です……出身が近い中佐殿には可愛がっていただきました……」
「私も、カサラギとは軍大学の同期でな……あいつは面倒見だけは……」
彼は、ポケットから駒を取り出した。
「そうか、そうだな……」
司令官がつぶやくと一気に立ち上がった。
その豹変ぶりに緊張が走る。
彼は、鬱憤を晴らすようにして、矢継ぎ早に指示を出していく。
「左翼に伝えろ! 一個中隊送ってやるから感謝しろと、待機してたレニング大尉には、右翼に回れと言ってやれ! 奴もそれで喜ぶだろう。中央には……」
「さて時間を作ってやった。貴官は、しばらく付き合え」
司令官は相変わらずカサラギ中佐の駒を眺めている。その指先がわずかに震えていた。
作戦地図上の駒が整いはじめる。
第二線右翼後方の赤い駒だけが浮いていた。
ダヴェンポートたち『悪夢』を示す駒だ。
「司令、右翼後方から増援要請です。空からの攻撃で維持困難とのこと」
事務官が、その赤い駒を指し示す。
「まだ、そこがあったか『悪夢』確か……ダヴェンポート准尉だったか、いや、中尉か、出世の遅い奴だ……」
「司令?」
事務官と隣にいる佐官が声をそろえた。
「第二線右翼後方は下がらせろ」
「しかし、それでは、右翼が挟撃されます」
「奴の目標は、ここだよ」
司令官は指揮棒で要塞を指す。
「そんなバカな……」
「ここを落とす。もしくは、沈黙させるのが狙いらしい。我が軍の情報部は優秀だからな」
「なら最初から、ここで迎い撃てば良いではないですか」
「ここに、現れるのは夜だ。奴の出現は二度、一度目は大隊を、二度目は基地を落とされた。夜に出現するからこその『悪夢“ナイトメア》』だ」
佐官は思い出した。『悪夢』の報告書の内容を……
「本領発揮は夜……裏法師を力を借りるべきでした」
彼は、裏法師を返したことについては賛成をしていた。『クロロノートの裏法師』、彼らは何より、うさん臭い……
「外典を信仰するような奴らは信用できん。まあ、彼らが残したクロノノートの聖遺物、そのレプリカとやらは利用するさ」
「司令、クロロノート教団の否定は不味いかと……」
「皇帝など気にするな、それとも貴官が告げ口でもするか?」
「それは……」
「世界統一など……それで、世界平和が達成されるのか? 戦争を起こしては本末転倒ではないか?」
「司令、それ以上は……」
「そうだな、とにかく『悪夢』は放っておけ、ここで迎い撃つ。これ以上、奴に踊らされるのはごめんだ」
事務官たちが動き出した。
第二線は崩壊を踏み止まり、膠着状態に移行しつつある。
作戦地図上の駒が綺麗に整列しはじめた。
司令官は深く息を吸い込む。
そして、彼は士官の胸を叩く。丁度、ポッケの辺りだった。
「トウノ少佐、貴官はカサラギと同郷だったな。どうせ、ポッケに思い人の写真でも忍ばせてるのだろう」
トウノ少佐は耳を赤くした。
「カサラギは面倒見の良い奴だった。ガリ勉の私が妻と出会ったキッカケは、奴が誘ってくれたダンスだったんだよ」
司令官は、トウノ少佐が、突然の話に当惑している隙をつく。
そして彼のポッケから見事、写真を抜いて見せた。
「中々の器量良しではないか、大切にしたまえ」
「からかうのはやめて下さい」
指揮官が笑う。
トウノ少佐は驚いた。
周りにいる事務官も同様だ。
堅物の司令官。
いつも冷静沈着、そして冷酷とも思える言動をする指揮官だ。
その堅物は少年のように笑っていた。
「そういうことだよ。世界統一などしなくても幸せは、そこにあるのだろう。なら、それで良いでは、ないか」
「司令官殿の口振では、この戦争自体、無駄だと聞こえます」
「軍人は命令で動くものだ。そして、戦争に意味を与えるのは勝者の仕事ではないか?」
「しかし……」
「無駄死にさせる上官は嫌われると私も知っている。そして、何より、私は無駄死にが嫌いだ」
「まだ、勝てると?」
「さて、それはどうかな? 何事も因果応報だ、原因と結果……そして、勝利に対する準備は怠ることを忘れてはいけない」
司令官は、再び椅子に深く座った。
「第二線は、ある程度、持ちこたえるだろう」
司令官は写真をトウノ少佐に返した。
「士官学校時代、王国との交流模擬戦があったのだよ。作戦地図上で戦う模擬戦だ」
「そんな時代があったのですか?」
「クロロノート遺跡、その発見からだ……皇帝が変貌されたのは……とにかく、昔は、偶発的な戦闘を防ぐ目的で士官同士の交流があったのだよ」
「ダヴェンポートの奴は……」
司令官は、相変わらず戦死したカサラギ中佐の駒をいじる。
「ダヴェンポート奴が机上の戦死者数に動揺するものだから、カサラギがよくからかって……」
司令官は、また笑う。
よほど、その時に楽しいことがあったかのようだ。
「『悪夢』も所詮、ただの人間だ。化け物であれ、なんであれだ」
いつの間にか司令室にいる者たち、全員が司令官の一挙手一投足に注目していた。
「その時にグランツ中将もいたのだよ。あの負けず嫌いのご老人のことだ、じらせば、二発目の花火を打ち上げるだろう」
「二発目の花火……」
帝国では、開戦を派手に告げられた『天雷』の呼称は、まだ決まっていなかった。
「朗報だ、魔導士長が、あの花火を、何とかできるかもしれんと言ってきた」
司令室にいる者たちは生つばを飲み込んだ。




