第十話 教会と彼と彼女
夏の事件。
それが、フランシス准尉に軍医から兵士への配置転換を希望させていた。彼女は、元々、魔導士との資質を評価されていたことから、それは直ぐに許可が降りる。
そして、秋口には、ダヴェンポート少尉の部隊に配属されていた。
そして、昨年の冬。
ベルファス前線基地の国境哨戒任務でのことだ。
そこでのダヴェンポート少尉は相変わらずだった。
帝国部隊との交戦中。
彼は表情一つ変えず敵を撃った。
そして、フランシス准尉に駆け寄る。
「事情は承知しているが、敵を撃つのに躊躇するな!」
彼女の事情とは夏の事件のこと……
フランシス准尉は、彼女を身を挺して庇った同僚を失っていた。
軍医だった彼女が治療した敵。
その者が凶弾を放つ。
救った命が、同僚の命を奪ったのだ。
さらに、彼女が魔導士の資格があること、そのことを同僚が知っていれば生きていたかもという事実もあった。
その秘密は上官から他の同僚に伝る。
それでも彼女を責める者はいなかった……
そして今、フランシス准尉は魔導士として戦場にいるのだった。
ダヴェンポート少尉は、ポリポリと頭をかく。
戦場で見せる彼の余裕。
「准尉の防御術式で助けられてるからな……無理にとは言わんよ」
気を使ってくれたのだろうか?
いずれにせよ彼女は戦争に利用されているのだ。
フランシス准尉が防御術式で仲間を守れば、その仲間が敵を撃つ。
それは矛盾であり、当たり前に為すべき必要なことだ。
理屈では納得していても受け入れるとこを拒絶する自分がいる。
だから、その頃の彼女はダヴェンポートのことが苦手だった。
「申し訳ありません……」
フランシス准尉は小さな声で返事するのが精一杯だった。
数日後、フランシス准尉の姿はベルファス前線基地内にあった。
久しぶりの休暇だ。
ダヴェンポート少尉の隊には三日の休日が与えられていた。
基地の廊下を一人歩く彼女。
冬の祝祭が近いとあって基地の空気が浮ついている。
顔見知り女性が近づいてくる。
彼女はバインダーを抱えていた。
「ねえ、フラン、あなた暇でしょ」
失礼な人だとフランシスは思う。
内勤で事務をしている彼女より、前線に出ている自分の方が……という考えを咄嗟に否定。
フランシス准尉は笑顔を作ってみせた。
「そうでしょ、そうでしょ。これから、あたしたちと街に出ない」
事務職の女性は、ある場所に視線を送る。
つられて見ると廊下の角に年ごろの男女が複数人集まっている。
皆はフランシスたちに手を振ってきた。
それに、彼女は首を傾げてちょこんとお辞儀で返す。
すると、事務職の彼女がフランシス准尉と彼女の口元を、持っていたバインダーで隠すようにしてヒソヒソ話をはじめた。
「彼があなたのことを気になるってよ」
彼って誰だと彼女は思う。
「もう彼よ、彼。どうせ、一緒に街に出たら分かるわよ」
事務職の彼女は、それを最後にヒソヒソ話をやめた。
そして、話しを続ける。
「どうせ、良い人なんていないんでしょ。冬の祝祭を一人で過ごすなんて悲しいわよ」
「でもいつ招集が掛かるか分からないし」
「そうよねぇ。あなたの隊、ちょっと怖いもの。ダヴェンポート少尉って、あれじゃない? 一人で一個大隊を倒したとかいう人よね。無口だし、愛想悪だし」
「そうでもないのよ。よく気にかけてくれるし」
とフランシスは言い返してしまった。
「えっ! あなた、もしかして……」
「ないない、ないわよ。あんな人、私も苦手よ!」
そして彼女は強く否定してしまう。
耳が熱くなるのをフランシス准尉は感じた。
「なら?」
事務職の女性が意地悪く聞いてきた。
「行くわ、行くわよ。着替えてくるから時間を頂戴」
事務職の彼女が集まっている若者たちの方へ駆けていく。
それを背に彼女は廊下を歩いた。
そして直ぐにため息をつくことになる。
ご老人が彼女を手招きしているのだ。
見覚えのあるご老人。
グラハム中将がベルファス基地の視察に訪れていたのだった。
中将の招きを断れず、彼女はそれを受け入れるしかなかった。
「貴君はダヴェンポートの所だったな。ちょっと使いを頼まれてくれんか?」
フランシスの「用事がある」という返事を中将は言わせない。
首を動かす間も与えず続く言葉を発した。
「ほれ、この書類を届けてくれんか?」
中将の振る舞いは、言葉とは裏腹だ。
封筒をフランシス准尉に押し付けるようにして渡してきた。
相手は中将だ。
この基地の誰より偉い。
廊下を歩く兵士たちは、その様子を横目に規律正しく去っていく。
「これは……」
「ダヴェンポートの奴、聞けば実家に帰っているというじゃないか。ひどい奴じゃ」
中将は愛用の杖をコンコンと廊下の床に打ちつける。
これでは、まるでフランシス准尉が叱られているようだった。
彼女は理不尽に恐縮するばかりだ。
「王都からの召喚状だ。あやつは、姫さま直々のを一度、断っておる。罪な男じゃ」
「ダヴェンポート少尉殿は爵位をお持ちなんですか?」
フランシス准尉は戦場での彼しか知らなかった。
カカカカっと中将は高笑い。
「あいつは、そんなに上品な男か。面白いジョークじゃ、あやつは孤児じゃて、そして優秀な軍人で、ワシの大切な駒じゃ」
グラハム中将は、フランシス准尉にメモを渡した。
どうやら、それにダヴェンポート少尉の居場所が書かれているらしい。
あまりの強引さにフランシス准尉は仕方なく、それを受け取った。
事務の女性には、遅れる旨を伝えねばならない。
着替える暇も無くなってしまった。
グラハム中将は先を急がせてくれない。
引き留めて、他愛の世間話を彼女にする。
しばらくして、やっと解放されると思った矢先、グラハム中将はコートのポケットをまさぐり、ある物を取り出してきた。
「忘れる所じゃった。ほれ、このロザリオもダヴェンポートに返してやってくれ」
そのロザリオには魔術術式が刻印されているようだ。ただ、彼女には気になる点がある。その刻印は血が渇いて出来たように見えることだ……
彼女は、そこを繁々と見つめている
「それは奴が自分の血で刻んだ刻印じゃ。フランシス准尉は、夜のダヴェンポート少尉を見たことなかろう」
当たり前だ。
破廉恥な想像がフランシス准尉の頭をよぎる。
「怒りますよ!」
軍上層部に訴える心構えも出来ている。
それをグラハム中将は無視した。
「夜のダヴェンポートは強いぞ。じゃが周りがついて来れん。夜のあやつは誰も寄せ付けることを許さない程に強い。大隊を単体で撃破するほどじゃ」
グラハム中将は杖に体重を預けた。
「そのロザリオがあれば、あやつが本気を出しても守ってくれる。そういう術式が刻まれておる。そして軍の研究所での試験でその効力が証明された」
「そこまで無理して戦う必要はないです」
「守れる力があり、それを使わないのは罪じゃ。貴君は身をもって知っているはず」
「そんなのズルいわ」
フランシス准尉は敬語を忘れてしまう。
「まあ、あやつはお人好しじゃて……それは、貴君と同じ」
ご老人は愛くるしい笑顔になる。
「それと、本気を出したあやつの夜の姿は可憐で美しい。若い頃のワシの妻にそっくりじゃった」
「ご一緒に戦われたのですか?」
「奴が大隊を撃破した時、ワシは後方におった。確かに、結果は悲惨じゃったが、多くが救われたのも事実じゃ。奴はバカじゃて、それを認めようとしないお人好しじゃ」
グラハム中将はフランシス准尉を優しく包むようにしてロザリオを握らせた。
「ワシはお人好しは嫌いじゃない、その者がさらに優れた軍人であれば愛おしいとも思う。そうで無ければ戦争なんて続けられんよ」
グラハム中将は軽いウインクをして締めくくる。
フランシス准尉は、事務の女性に遅れると伝え、ダヴェンポートの元へ向かった。
汽車とバスを乗り継ぎ一時間程でそこへ着いた。
レンガ畳の古い街並み。
野良猫が塀の上で昼寝を楽しんでいる。
子どもたちが鬼ごっこをはしゃぎながら楽しむ。
その笑い声を聞きながらフランシス准尉はメモを片手にキョロキョロとしていた。
昼過ぎのパン屋の店主は時間を持て余し店を出た。
そして空を見上げるように大きな背伸びをしてみせる。
彼の視界にフランシス准尉が目に入る。
軍服の彼女だったが店主は放っておかなかった。
「嬢ちゃん、探し物かい」
パン屋の店主はフランシス准尉を呼び止める。
彼女はメモを見せ道を尋ねた。
店主は口頭で説明したあと、指先で方向を示した。
高台の丘に見える教会。
その横が孤児院だと彼は言った。
孤児院は意外と賑やかだ。
門の外に来たフランシス准尉。
彼女を直ぐに子どもたちが見つけた。
「みてみて、すごいでしょ」
幼女が誇らしくぬいぐるみを准尉へ差し出す。
「わあ、かわいいわね」
などとフランシス准尉の相槌。
「ミカエル、お兄ちゃんに貰ったんだ」
「そう良かったわね。大人の人いるかしら?」
幼女はキョトンとしてしまう。
「ミミ、ダメだよ。お客さんを困らしちゃ」
「あなたがミカエルくん」
「ちがうよ! あ母さぁーん!!」
孤児院に向かってその子が叫ぶ。
中から出てきたのは高齢の院長先生だった。
「あらあら、ミカエルの知り合いかしら? ミカエルなら教会よ」
「ミカエルさんを存じないですが……それに、なんで」
「軍服なら軍人さんでしょ。そんな方が訪ねてくるなんて、ミカエル以外にいないのよ」
院長先生のエプロンに子どもたちがじゃれつく。
彼女はしばしの思案を経て、
「あの子、ダメね。こんな可愛らしいお嬢さんに名前をおしえてないなんて……、ミカエル•ダヴェンポートと言えば、お分かりかしら?」
フランシス准尉はハッとする。
そして、彼女は上官の名前を覚えていない失態を犯した事に気がついた。
「ダヴェンポート少尉からお名前は一度、聞かされておりました。申し訳ありません」
軍人らしい綺麗なお辞儀。
あはははっと院長先生が豪快に笑い出した。
いつの間にか大勢集まった子どもたちも真似するような豪快な笑い。
「ここは軍隊じゃないのよ。あんな頼りない子に気を遣わないでちょうだい」
院長先生はじゃれつく子どもたちを優しく払いのけた。
「うちの旦那も暇してるわ。冬の祝祭が近いのに、うちの教会たら暇なのよ。さあさあ、お行きなさいな」
彼女は、フランシス准尉の両肩を押すようにして教会へ行くように急かす。
最初にフランシス准尉を出迎えミミと呼ばれていた幼女が彼女の服のすそをつかむ。
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」
「ごめんなさい、お姉ちゃんはお仕事があるよ」
院長先生がまた笑う。
「まあ、お仕事だなんて、そうよね、あんな子にこんな美人さんはもったいないわ」
フランシス准尉は苦笑しながら教会へ向かった。
そこは意外なほど閑散としており静かだった。
教会の礼拝堂へと続く扉が無造作に開かれている。
そばでは、年老いた神父が壁のペンキ塗りに夢中だ。
足元の地面に置かれた一斗缶。
その横には使用済みの、まだ渇いてない道具が一式、無造作に置かれている。
「お祈りかい?」
神父が自分の腰を揉むような仕草をしてから、フランシス准尉の方へ振り返る。
「いや、ダヴェンポート少尉が、ここにいらっしゃると聞いて」
「あのバカなら中だよ」
神父の話しはまだ終わっていない。フランシス准尉は、それに気づくことなく教会の中へと急ぐ。
「あっ」
神父は己れの面を片手で覆い隠した。彼は「ちょっと待ってなさい」と言うつもりだった。
「まあ、懺悔を口に出して言うマヌケもおるまい」
彼は、ペンキ塗りを続けることにした。そしてダヴェンポートが戻って来たら自分の仕事の早さを自慢したいとの思惑もあった。
「年寄り扱いしおって。バカ息子を一度、ギャフンと言わせなならん」
壁が真新しい白色に染まっていく。
教会の扉は無造作に開かれていた。
その扉は礼拝堂へ続いている。
そこをくぐると直ぐに人の気配がする。
最弱が広がる礼拝堂。
歴史を感じさせる作り、礼拝堂に並べられたベンチはニスが剥がれ木肌があらわになっているものの清潔感がある。ステンドグラスを通り抜けた光が辺りを照らしていた。
聞きなれた声がする。
「……そして神よ、平和を願い、人殺しを成す我らを許したまえ」
その人が立ち上がった。
フランシス准尉は、ダヴェンポート少尉の姿をそこで見た。
彼が振り返る。
そして目が合う。
礼拝堂に気まずい空気が満たされた。
「バカなんじゃ無いんですか……許しを請うぐらいなら軍人を辞めればいいのよ」
フランシス准尉は文句を言ってしまった。
だから彼女は謝罪をしようとした。
フランシス准尉自身、戦争の本質は、それだと思ったからだ。
しかし、謝罪の機会はない。
ダヴェンポートは頭をかいた。
もはやこれは彼の癖と言っていい。
それを見るとバカらしく思えてしまう。
「まいったな……秘密にしてくれよ」
ヨレヨレの私服を着ているダヴェンポートは、軍人とは思えなかった。
「あと、その服、なんとかして下さい」
また頭をかく。
その様子が、フランシス准尉はクスクスと笑いを堪えた。
「上官がちゃんとしてないと部下が困ります! あと、中将から封筒を預かってます」
「あの爺さん、休日を何だと思ってるんだ」
「私も休日です」
「君のことを言ったんだ」
そして、最後にまたダヴェンポートは頭をかいた。
ふと見れば、彼の鼻の頭には白いペンキがこびり付いている。
フランシスは「ズルいです」と言って笑った。
彼女の大笑いだ。
それから二人は神父のペンキ塗りを手伝った。
「どうだ、俺の塗った面積が一番だ」
「なら神様に報告をしろよ。父さんは神父だろ」
神父とダヴェンポートが言い合う。
しばらくすると冷たい風を我慢するのが辛くなってくる。暖炉が恋しくなる時間帯だ。
フランシスは両手でコートを抑えブルっと震えた。
その様子を見て神父とダヴェンポートは言い合いを終えた。
最後にフランシス准尉は、中将からの預かり物を渡そうとする。
ダヴェンポート少尉が自らの血で術式を刻んだロザリオだ。
「ああ、これは君が持っててくれ」
「困ります。中将から渡すよう言われた物ですから」
神父が話に割って入る。
「ミカエル、あきらめろ。お前には、もったいない美人だ」
二人は沈黙した。
そして赤くなる。
「勘違いしないで下さい」
二人の声がそろう。
その様子に神父は嬉しそうだ。
そして、ダヴェンポートの肩を叩いた。
「勘違いをするな。このロザリオは、部隊全員に配るつもりだったんだ」
「分かった、分かったから、寒いところにお嬢さんを待たせるな」
神父は手を軽くふって、急げ! 急げ!のゼスチャー。ダヴェンポートに有無を言わせる隙を消す。
ダヴェンポートはバス停までフランシス准尉を送ることにした。
先に教会を出るダヴェンポート。
フランシスは、彼を追う形になった。
神父は、フランシスを呼び止める。
「あの子のことをよろしく頼む」
「少尉なら大丈夫ですよ。いつもは、ちゃんとしてます」
「お嬢さんも無理をするな。教会の扉は、いつでも開いておくから」
「はい、ありがとうございます」
フランシスは、年相応のお辞儀を神父に返す。
彼女は、最後に孤児院にも、あいさつをする。
その時までは誘われた会に遅れて参加するつもりだった。
引き留めたのは孤児院の子どもたちだ。
「お姉ちゃん行かないで」
フランシスの足元に絡みつき、一番熱心に引き留めているのはミミと呼ばれているお気に入りのぬいぐるみを自慢していた幼女だ。
「ミミ、無理を言って困らせるな。こう見えて、お姉ちゃんは忙しいんだ」
ダヴェンポートがミミを引き離す。
「ミカエル、お兄ちゃんのバカァ」
幼女の大泣きは手に負えない。
「ミミちゃん、こっちにいらしゃい」
フランシスが幼女の目線に合わせるようにして地面に座り込む。
彼女が両手を広げるとミミはそこへ駆けていく。
そしてフランシスの両手に包み込まれるように収まった。
ぐずりながら、ダヴェンポートをにらむ幼女。
指を口にくわえ、しっかりとぬいぐるみを抱いていた。
「意地悪な、ミカエルお兄ちゃんでちゅね」
フランシスが幼女をあおるようにしてダヴェンポートに言う。
「准尉、なにを考えている?」
「少尉こそ、こう見えてってどういう意味ですか? わたしだってモテるんですよ」
ダヴェンポートは頭をかこうした。
しかし、それをしない。
年長の男の子たちがフランシスに抱きついたからだ。
「確かに、モテているようだ」
フランシスがほほをふくらます。
そこへ院長先生が口をはさむ。
「そうだ、ちょっと早いけど冬の祝祭をしましょう。お嬢さんは料理を手伝ってくれるのかしら?」
「電話を貸して頂けるのなら」
「そんなもの、何所えなりとも勝手に使って頂戴」
フランシス准尉は孤児院に留まることにした。
「私の料理を食べたらビックリするんだから」
彼女はダヴェンポートを舌を出して挑発する。
彼は頭をかくしかなかった。
休日が終わりを告げ、それから数日後、ダヴェンポート少尉の部隊に命令が下る。
敵基地の夜間強襲命令だ。
直ちに、それは実行され、成功を収めた。
そのことで王国は国境の防御を強固することになり。
そして、その一連の出来事が要塞攻略戦へとつながっていった。




