第一話 ミカエル・ダヴェンポート中尉
ああ神よ、平和を叫び、人殺しを為す、我らを許したまえ。
ダヴェンポート中尉・ダヴェンポート中尉は、眉間にしわを寄せながら短く祈りを捧げた。
座ったまま、気分を切り替えるようと、背伸びを一つ。机にある書類の束を手に取ると、両手で端を揃え、机に軽く打ちつけた。すると、紙が整然と揃い、指先に伝わる感触にほんの一瞬、満足感を覚えた。
天幕の中は静寂そのものだった。昼の高い太陽が、白い帆布越しに柔らかな光を落とし、無骨な木の梁が地面に影を落とす。使われていないガスランタンは、時折微かに揺れるような気配を見せていた。
机の上に置かれた束は、作戦指示書だ。その表紙の左上には、赤いインクで記された「極秘」の二文字。ダヴェンポート中尉をじっと見つめているかのようだった。
「成功すれば、戦争終結に向けた大きな第一歩になる……」
そう書かれた未来への期待とは裏腹に、ダヴェンポート中尉はため息をつく。極秘書類を読み終えれば、燃やすのが慣例……しかし、その面倒さを思うと、ため息はより深くなった。
「なんにせよ、面倒だな。いっそのこと、勲章をもらうべきだったか……」
思わず呟いた自分の言葉に小さく笑う。いや、そんなものを受け取れば、後々さらに面倒事が増えるに違いない。功績なんて、いくらでも欲しい奴にくれてやればいい。
例えば……今度着任してきた副官のレオン……なんだったか……
ダヴェンポート中尉が名前をひねり出そうとしている、丁度、その時、天幕の外から律儀な声が響いてくる。
「ハートフォード准尉、入ります!」
そうそう、レオン・ハートフォード准尉。貴族社会では名の知れたハートフォード伯爵の血筋だ。ただし、あくまで私生児らしいが……
「ダヴェンポート中尉?」
天幕の外で律儀に待つ声が再び耳に届く。
俺は孤児院出身の平民だ。気を遣う必要なんてないだろうに……
「ダヴェンポート中尉! ハートフォード准尉、入ります!」
少し苛立った声が重なった。
「入れ」
短く答えながら、書類を手に取る。ハートフォードが天幕を開けると、外の明るい光が流れ込んできた。帆布越しの光よりも強く、どこか清廉さすら感じさせる澄んだ光だ。
ハートフォード准尉は、教科書通りの見事な敬礼をして見せた。その所作があまりにも模範的で、逆に不憫に思えてくる。
「ダヴェンポート中尉。分隊の集合と整列、完了いたしました」
一礼の後、ハートフォード准尉の言葉には微塵も乱れがない。
ダヴェンポート中尉は書類の束を持って天幕を出ると、そっと彼の肩を叩いた。驚いた様子のハートフォードが、慌てて先を行く彼を追いかける。
天幕から少し離れると、ダヴェンポート中尉は手に持っていた極秘書類を放り投げた。書類は宙で赤い炎に包まれ、魔法特有の鋭い音を立てながら燃え尽きて消える。
「何を燃やされたのですか?」
背後からハートフォードが尋ねる。
「つまらん書類だ」
ハートフォードの真面目そうな顔が驚きで少し緩み、反応を見た中尉は軽く笑う。口を尖らせた准尉を見て、さらに肩の力が抜ける。
「准尉、指揮とはなんだ?」
突然の質問に、ハートフォードは即座に答えた。
「適時適切な命令で部隊を任務達成に導くことです」
その答えに小さく頷き、彼を見下すように言葉を続けた。
「初陣だったな」
「間違っていますか?」
声の張りには、自信というよりも焦りが滲んでいる。
「いや、間違ってはいない」
「……その答えはずるいです」
ダヴェンポートは少し笑みを見せながら言った。
「実戦を経験すればわかる」
彼の歩調は早く、ハートフォードは小走りで追いつかなければならなかった。その様子を気にも留めず、中尉はぽつりと呟いた。
「指揮とは、死ぬ順番を決めてやることだ」
「何か申されましたか?」
ハートフォードの声が耳に届く頃には、集合場所が見えていた。
「細かいことは気にするな。准尉は、精一杯頑張れ」
整列する分隊の前に立った二人の姿に、強い陽光が影を落とした。
一瞬の静寂。
それを破る一声を喝を入れるようにハートフォード准尉が発した。
「総員、傾聴!」
全員、直立不動の姿勢でダヴェンポートを見つめる。
その瞳は、ご褒美に期待して主人を見つめる猟犬のようにダヴェンポートに見える。
俺の隊には、どうして戦鬪狂ばかり集まったのだ?
などと顔をしかめてしまうものだから、隊員たちも、中尉がいらだっていると勘違いして萎縮してしまう。
ダヴェンポート中尉は、コホンと咳払い、そして、
「楽にしたまえ」
と言った。
しかし、誰一人として姿勢を崩す者はいない。
呆れる程の忠犬ぶり、それを、ダヴェンポート中尉はやれやれと思う。
「喜べ諸君、仕事の依頼だ」
ダヴェンポート中尉が一言放つと、分隊の中にざわめきが広がった。全員が姿勢を崩さぬまま、期待と緊張の色をにじませている。その反応に、中尉は内心で苦笑する。
「お前たちは、まるで猟犬だな」
彼の言葉に、最前列の兵士たちが顔を引き締める。しかし、その目には興奮が宿っていた。まるで「次はどんな地獄に送られるのか」と期待しているかのようだ。 ただ一人、そうでない者もいる。
新兵の補充は、これだから面倒だ……
アーサー・ヴァルトニーニだったか?
伯爵家の問題児、実力を誇示したいのか、平民と同じ待遇で入隊をした変わり者。
ハートフォード准尉とは、違った意味で面倒な存在だ。
さて、
「この作戦の目的は、カラドール山脈を我が王国に手中に納めるということだ」
兵士たちの幾人かは生唾を飲み込む。
それも、そうだろう……
激しい敵の抵抗は、簡単に予想できる。
山脈に眠る潜在資源量とその価値、何よりも領土を易々と奪われれば、絶対的権力者である皇帝とて、その地位は危うい。
「作戦の重要目標は、セヴリョウス要塞、地理的要衝に位地し、地形にも守られた難航不落の要塞だ」
ダヴェンポート中尉は、作戦指示書の一文を思い出した。
カラドール山脈は、アルセリア固有の領土であり、この地の奪還は、国民の悲願。
バカバカしい話だ。
「要塞のある、カラドール山脈は、歴史学者によれば我が王国、固有の領土」
ここ数百年は、帝国が実効支配をしている。
要するこれは、侵略の大義名分だ。
「……だが、歴史とはなんだ?」
隊に緊張が走る。
皆、中尉の質問の意図を捉えきれていない。
「生者が歩んだ足跡を記録したものが歴史だ! 死者の戯言に惑わされる必要もなかろう。つまり、我らに理屈はいらん。王が国民の生活を豊かにする為に、あの山脈を所望するなら、王国の剣である我らは、それを奪い、国に捧げる」
誰も死なない戦争はない。
「作戦名は『雷撃』、稲妻の先陣を我らが務める。心して刻め! 生きて刻め! 歴史を作るのは我らだ!」
中尉の敬礼をすると、それに合わせて全員が敬礼をした。新兵の問題児、アーサー・ヴァルトニーニは地面に唾を吐いた。
まったく、やれやれだ。
ダヴェンポート中尉は、ヴァルトニーニの前に進む。その彼の隣に立つ者は、ギョッと表情になり、当の本人、ヴァルトニーニは、小柄なダヴェンポートを見下ろしていた。
「何か御用でありますか?」
「貴君も含むところがあるのでは?」
「はっ! 隊長のコードネームは『マエストロ』より別称の『プリマドンナ』が相応しいかと」
「よろしい、腹に魔力を込めたまえ」
大砲が着弾したかのような衝撃音!
続く衝撃波に舞う砂塵。
ヴァルトニーニは、腹を起点としたくの字に折れ曲がり、宙に舞う。
その惨状に多くの兵士は、目をつむり姿勢を崩さぬよう耐え、女性兵士のフランシス准尉は、やれやれとため息をつき、二メートルを超える巨漢を誇るガトリング軍曹は、大いに笑った。
いかんいかん、頭に血が昇ってやり過ぎたか?
地面に落ちたヴァルトニーニは、苦しそうにうずくまるが、その目は死んでいない。
彼は、手の平をダヴェンポート中尉に向けてかざす。
その様子に、中尉はニヤリと笑う。「ほうぉ」と言う感嘆も漏れ聞こえた。
中尉の眼前に、圧縮された火の玉が現出した。
中々の威力。
ヴァルトニーニの魔力評価は、準戦術級。
今もなお圧縮され威力を増す火の玉は、主術式は爆裂だが、平行して他の術式も編み込んでいるのが見てとれた。
魔力は、準戦術級、詠唱力は二重奏。
しかも、あえて眼前で術の最終展開を止めているのは、避けろという威嚇だ。
面白い!
「やってみたまえ」
とダヴェンポート中尉は言った。
「後悔しろ」
そう、新兵のヴァルトニーニに返事した瞬間。
閃光が弾けた。
その爆音は、爆裂術式という名の通りに凄まじい。
発現方向とその威力が丁寧に一方向にまとめられていた。そうで無ければ、隊の集合場所は焼け野原と化していただろう。
衝撃により歪んでいた視界が晴れる。
「マジかよ……」
新兵の顔がゆがむ。
爆裂術式を一身に受け止めた、ダヴェンポート中尉は、何事も無かったように立っている。
ミカエル・ダヴェンポート中尉、先の戦いで戦功を認められ叙勲の候補者にも推薦された有名人。
彼は、そよ風に乱された身なりを整えるように振舞う。
そして、
「貴君は不合格だ」
と言った。
隊の空間はなごむ。
新兵のヴァルトニーニは、まだ膝が震えて立たないでいる。
「だってそうだろう? 貴君に率いられる分隊の面々が可哀想だ」
一般入隊の新兵が、いきなり分隊長というのはありえない。そこには、彼の家の力が働いたとみて良いだろう。
「ガトリング軍曹、今の術式の評価をしろ!」
「はっ、派手な花火としては申し分ありません。ただ優美さに欠けるのが残念かと」
「貴様に優美が分かるとでも?」
隊の皆が笑う。
やっと立ち上がったヴァルトニーニは産まれたての子鹿のように見えた。
「ヴァルトニーニは分隊長の任を解く。そして、ガトリング軍曹の隊に入れ!」
中尉がアゴでガトリング軍曹に合図を送る。
軍曹の巨体が動く。
「ヴァルトニーニ君は、大柄な男性が好みらしい。加えるなら軍曹がいる場所が最前線だと覚えておけ。屈強な敵兵が群がってくるぞ。ヴァルトニーニ君は、もっと喜んでいいぞ」
そこらかしこから口笛が聞こえちょっとしたお祭り騒ぎだ。
「フランシス准尉、貴君が代わりに、この分隊を率いろ!」
分隊の面々が明らかに喜んでいる。我が小隊の紅一点だ、それもそうだろう。
しかし、フランシス准尉は中々、動こうとしない。
「作戦の役割を少し変更する。フランシス准尉は、新兵に代わりに分隊を率い、ハートフォード副隊長の指揮下に入れ」
「しかし、中尉」
彼女の反論、その先をダヴェンポートは言わせない。
「ハートフォード副隊長、彼女の防御術式が得意で指揮も中々にうまい。うまく使ってやれ」
当のフランシス准尉は、ダヴェンポートをにらむのをやめない。
「フランシス准尉とハートフォード副隊長は、階級が一緒だが、副隊長は引き立て役に徹しろ」
ダヴェンポートは、仕方なく彼女の元へいく。
そして、
「そういうのは、得意のはずだ」
と言った。
隊のゴタゴタがまとまり、四部隊が綺麗に整列した。
ダヴェンポート中尉から見て左から順番にABCDの四部隊だ。
「先ほど述べた通り作戦の役割を変更する。陸戦先行は、私と軍曹が率いるABの二分隊。残りのCDは、陸戦空中支援で後方500を維持しながら、対地高度30でライフルにまたがって飛べ」
ここではじめてハートフォード副隊長が口を開いた。
「それでは低すぎます」
「フランシス准尉! 説明してやれ!」
「はい、対地高度30は、樹冠ぎりぎりをはうように飛べとのことかと。少なくとも100以下に抑えないと対空必中術式の餌食になってしまいます。それ以上の高度は、空戦魔導士の領域です」
「そのとおりだ。誠に遺憾だが、陸戦魔導のまたがるライフルの対空性能など期待できん。それと比べれば配給食の味の方がましだ」
「確かにそうですな」
ガトリング軍曹の言葉に皆が大いに笑った。
「さて、詳細は各分隊長が集めて後ほど私の天幕でつめる。出撃は、明朝600時だ。それまでの間、各自準備をしておけ。補給品と装備の点検を怠るな! 最後に隊章のロザリオを忘れるマヌケは置いていくからな! 心しておけ!」
その後、中隊に合流した部隊は、定刻通りに出撃した。
雷撃の矢は放たれ、セヴリョウス要塞攻略戦の幕は開けた。