3 幸運(2)
ならば話は決まったというようにモニカは早速その場で傭兵の派遣要請書をしたためる。紙とペンとインクを持ち歩いているのはさすが地図屋というところだろう。
レンジャーも詰所に向けて精鋭部隊の召集をかけるべく、二羽の伝書鳩を呼び寄せた。
レンジャーたちの飼っている伝書鳩は訓練された領域なら夜でも迷わず飛べ、その速度も速い。小一時間もすればある程度の戦力がそろうだろう。
「ねえ、そっちのお姉さんはどういう人なの? 精鋭部隊がいる、みたいなことを言ってたけど」
一人手持ち無沙汰にしていたシアがモニカに小声で尋ねたが、彼女はレンジャーにも聞こえる声で答えを返した。
「彼女はこの怨嗟の森を管轄しているレンジャーの部隊長よ。レンジャーは霊樹や森を守るのを目的とした組織で、本拠地は森の街にあるわ」
そして、彼女の言葉を耳にして振り返ったレンジャーに視線を向ける。
「様子を見に来てくれたのが彼女で良かった。おかげで話が早いもの。レンジャーたちの方が赤い魔石への危機感を強く持っていたようだから、彼女でなくても反対はしなかったかもしれないけど、部隊を動かすとなると彼女がもっとも適任よ。そういう意味では運がいいわね」
「どうせなら大したことが起きずに終わるほど幸運であって欲しいわ」
伝書鳩が目的の方へ飛び去るのを見送り、レンジャーはそう言って微笑む。
そんな女たちからは少し離れ、未だ立ち去ることなく成り行きを見守っている死霊たちのそばでシーカもまた戦力となる者を召喚しようとしていた。
ローブの下に隠れたロケットペンダントを首からはずし、その蓋を開く。するとそこから黒い煙のようなものが立ち昇り、やがて人の形をとった。
しかしその姿は明らかに生きた人間とは異なり、わずかに向こう側の景色が透けて見えている。夜の闇に溶け込んで見える漆黒のベールと喪服のような黒いドレスの裾は宙に浮き、風もないのにふわりふわりと揺れていた。そのさまをたとえて言うなら『幽霊』という単語が一番しっくりくるだろう。その首には先ほどまでシーカがしていたロケットペンダントがかかっている。
「レイス、緊急事態だ。力を貸してくれ」
シーカはそう言ってモニカのいる方へ目を向けた。
「地図屋を守るだけでいい」
その言葉に黒いドレス姿の幽霊は小さく鼻を鳴らして応える。
『あなたにはやりづらいと言うなら、私が彼らを止めてやってもいいが?』
「よせ」
暗い洞穴に吹き込む冷ややかな風を思わせる女の声で幽霊が言う。その言葉が暗に指すのは、魔術を使って力ずくで地図屋やレンジャーの考えを変えさせるということだ。しかしそんなことをすれば、レンジャーと墓地街の自治局を敵に回しかねない。
それはレイスと呼ばれた幽霊にも判っていたが、彼女はシーカの決断が気に入らない様子だった。
シーカの周りを一度くるりと回り、不満げに呟く。
『いつになったら損な役回りばかり背負い込むことに飽きるのやら』
シーカはレイスの言葉を無視し、右手に持った杖を左手に持ち替えると、柄の表面に右手の指をかけた。折りたたまれていた小さなハンドルを起こして素早くそれを押し上げる。すると柄の一部に穴が開き、中から空になった魔力薬の容器が転がり落ちた。
腰に着けている革製のホルダーから予備の魔力薬を抜き取り、装填する。その数、三本。
「わあ、装填式の魔器だ。初めて見た!」
不意に背後から少女の明るい声が飛び込み、軽い足音を立ててシーカのそばにやって来る。
「その杖、大鎌にもなるんでしょ? こんなに細かい仕込み杖は珍しいね」
やや興奮気味に言うシアを無言で見下ろし、シーカは杖を元の状態に戻した。そしておもむろにレイスの方へ目を向ける。
その視線を追うようにシアも何気なく顔を上げ、黒い幽霊の姿を視界におさめた瞬間に「うわ!」と声をあげた。
「その人も知り合い?」
「……そのようなものだ」
静かに答えるシーカに若草の民の少女は眉根を寄せてみせる。
「キミ、生きてる友達はいないの?」
そんなシアの言葉に笑い声をあげたのはレイスだった。どこか品良く聞こえるかすかなその笑い声は、彼女が元は高貴な身分であることをうかがわせる。
『長き時を生きる者には一番刺さる言葉であったな』
ころころと笑ってそう言ったレイスは音もなく二人の頭上に舞い上がり、詩を読み上げるように呟いた。
『ああ、だがその無数に過ぎ去った時代のどこにもない悲劇が幕を開けるだろう。あの魂を蘇生したとして、不運と不幸以外のものは起きぬであろうよ』
予言にも聞こえるその言葉にシーカはやはり何も応えず、シアは『幸運だ』と先ほど語り合っていたモニカとレンジャーの方を見やりながら不安そうな表情を浮かべた。




