3 幸運(1)
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「そんなわけで、私は蘇生したらどうなるのか試すべきだと提案しているんだけど、彼は聞き入れてくれないのよ。この際だからレンジャーの意見も聞かせてもらいたいわ」
シアが推測した通り、サンプルの件を尋ねにシーカの下を訪れたモニカは、彼と共に石塔のそばに生成される赤い魔石を見に行ったところ、盗掘の現場に遭遇しそれを追い詰めたが、盗掘者は魔石を使って暴れ、抑え込むには殺すしかなかったと説明した上でそう尋ねた。
それを黙然と聞いていたレンジャーは困ったような表情を浮かべ、異様な姿となった盗掘者の体に目を向ける。
「赤い魔石については私たちも霊樹や魔樹に悪影響が出ないかと危惧し、調査したいと思っていたところだったの。墓地街の自治局に調査協力を申し込むか、報告会を要請するか、あるいはサンプルの貸し出しを頼もうかと考えたりもしたわ。でも自治局はまだ大がかりな調査をしていないと聞いたし、まずは自治局に赤い魔石の危険性を説く方が先決なんじゃないかと話していたのよ」
レンジャーのその言葉にモニカは苦笑を浮かべながら「その見解はかなり的確ね」と応える。
「自治局も放置したいわけではないようだけど、本腰を入れて調査に乗り出すほどの危機感は持っていないのよね」
「そうでしょうね。正直、赤い魔石の採集を禁止したことさえ驚きだったわ」
「彼が最初に持って来てくれたサンプルを見て、それを危険視した一部のお偉方と私で何とか説得したのよ」
ちらとシーカの方に目を向け、モニカが疲れたように言う。
そんな彼女をねぎらうように「英断だったと思うわ」とレンジャーは微笑んだ。
しかしすぐにその表情を曇らせ、独り言のように言葉を紡ぐ。
「件の魔石が生成される石塔のあたりは死霊が多いから、霊樹たちはそれを避けているわ。おかげでまだ何も影響が出ていないのが幸いね」
それにモニカも眉を寄せ、「影響が出てからでは遅いんじゃない?」と険しい口調で応じた。
「急に何か事故が起こった場合、現状では万全な対処ができるとは到底言い難いわ」
「そうね……特にこちらとしては数が少なくなった霊樹に悪影響が出るのは避けたいところよ。でもこの状態の人間を蘇生するとなると、慎重になるのも判るわ。万が一、彼が言うように魔力が暴走状態になった時、現状一番負担がかかるのはシーカでしょうし。やるなら充分に対応できる魔術師と戦力を集めるべきだわ」
「私の負担などどうでもいい。私が問題視しているのは、こんなありさまの魂を肉体に戻してどれほど凄惨なことが起きるかということだ」
黙って女たちのやりとりを聞いていたシーカがそう口をはさむと、彼女たちは一様に口をつぐんで彼の方へ目を向けた。
ほのかに青白くあたりを照らす光球以外に明かりのない中、黒いフードを目深にかぶっているシーカの顔は誰にも見えない。だがそれでも、出会ったばかりの若草の民の少女にすら彼が硬い表情を浮かべているであろうことが判った。そこには簡単に言葉を返せない、どこか緊迫した空気がうかがえる。
しかし、モニカはわざと明るい声で「でも」と反論した。
「何も起きない可能性だってあるでしょう? さっきと同じ状態で蘇生するだけかもしれないし、元に戻る可能性だって……」
「それは絶対にない」
きっぱりと即答したシーカの言葉にモニカが再び口を閉ざす。
そんな彼女を一瞥し、そして地に倒れ伏したままの盗掘者を見下ろしてシーカは呟くように言った。
「この魂をお前たちに見せてやれれば、誰も私に異を唱えようとは思わないだろう。だが……お前たちにこれが視えないのは幸いだろうとも思う」
その静かに発せられた言葉からは、彼の目にだけ映っている魂がどれほどむごたらしい状態であるかが感じられた。
「お前たちにはこの魂が視えていないからそんなことが言えるのだろうし、この認識の齟齬はどうしようもないことだろう。それを承知の上で何度でも言うが、蘇生はすべきではないし、この魂が元の状態に戻ることは決してない。これについては彼らも同意見だ」
そう言ってシーカは未だ周囲にひっそりとたたずんでいる死霊たちに視線を送る。
「彼らもこの融合した魂を警戒している。還すまでここから離れないだろう」
その言葉に呼応するようにざわざわと死霊たちの低く暗いうめき声が響き、シアはそれを耳にして怯えるように身をすくませた。
レンジャーもどこか落ち着かない様子で彼らに目をやりながら「魂の専門家たちがそこまで言うなら、よほどなのでしょうね」と呟く。
しかし、モニカだけは気丈に説得を続けた。
「そうだとしてもこの機会を逃すのは惜しいわ。現在日常的に使われている、普通の魔石による暴走事故の記録は過去にいくつかある。それと比較してどれほどの規模で何が起こるのかを知るだけでもかなり有益だわ。それにシーカ、あなただって赤い魔石のことで最近いろいろと困ってるんでしょう? 魔石を狙って地上をうろついては死霊たちを騒がせる者や、死霊と戦って死ぬ人間が増えたって言ってたじゃない。今回のサンプルが遅れたのだってその対策に追われたせいだし、石塔の守りをする死霊まで手配するはめになったって」
「それはそうだが……」
少しばかり苦々しげにシーカは言い、言葉尻をにごす。
その隙を逃すまいとするようにモニカはさらに言葉を重ねた。
「危険性が明確になれば、逆にそれが赤い魔石の流出や盗掘の抑止になるわ。その度合いによっては自治局の対応も変わるでしょうし、具体的な対処もしやすくなる」
「あなたが本当に危険だと思ったら、蘇生を中断して構わないと思うわ」
レンジャーも控えめにそう言ってモニカに加勢した。
シアは新参者らしく中立の立場を貫き、無言のままに女二人と墓守の方を交互に見やる。
「……」
黙したままのシーカは思案している様子で、倒れたままの盗掘者に再び視線を落とした。
モニカはそんな彼に背を向け、レンジャーに向かって「あなたたちは伝書鳩を飼ってたわよね」と声をかける。
「自治局の抱える傭兵を要請できると思う。貸してもらえるかしら」
それにレンジャーも頷き、「本当に試すならこちらも精鋭部隊を呼びます」と応えた。
そしてふと足下の小さな少女を見下ろし、尋ねる。
「ところで、あなたの意見は?」
「ボク!?」
突然話を振られ、シアが驚きのあまり素っ頓狂な声をあげる。
そんな彼女に代わり、モニカが言葉を返した。
「その子は偶然この場に居合わせただけの一般人よ。赤い魔石とは何の関わりもないわ」
「あら、そうなの? でもこういう時は公平にいろんな意見を聞いた方がいいわ」
そう言ってレンジャーは真摯な視線を若草の民の少女に送る。
それにシアは一瞬ひるんだ様子を見せたが、異形の姿と化した男の方へちらりと目を向けたあと、ためらいがちに答えた。
「ボクは正直、悪い人は報いを受けて当然だと思ってるタイプだけど……地図屋のお姉さんが言った病気の子供のたとえ話を聞いたら、判らなくなっちゃった。この人も本当の悪人とは限らないし、そもそも誰かの魂で試していいことなのかどうか、ボクには判らないよ」
「それは私もよ」
沈鬱な面持ちでモニカが同意する。
おそらく何が正しいかなど、今ここにいる誰にも判りはしないのだ。それが判るのは神か、これから起こることがすべて記された歴史書をひも解く未来の者たちだけだろう。そこに記された結果を見た者たちが、彼らの行動の善悪を決めるに違いない。
「だから私はこう考えるわ。シーカが言うようにすでにこの魂が正常な蘇生をするには手遅れな状態なら、今後のためにこの状況と機会をとことん活用するべきだって」
彼女のその言葉にシアは心からの賛同はしかねるという表情を浮かべたが、何も言わなかった。
代わりにシーカが小さく息をついたあと、「いいだろう」と物憂げな様子で口を切る。
「この件については一生平行線だろうし、屍師でもなければ魔術師でもないお前たちの理解を無理に得ようとも思わない。だから私の裁量で蘇生するか中断するか決めさせてもらう」
「それでいいわ」
モニカが言い、レンジャーもそれに頷く。シアは肯定も反論もせず、死霊たちもまた言葉にならないざわめきを返すだけだった。




