2 赤い魔石(4)
黒い手袋に包まれた手がはい寄る死霊に触れると、それは鼓膜に焼き付くようなすさまじい悲鳴をあげてはじけ飛び、バラバラと骨をまき散らしながら地面に落ちる。
その光景にシアが悲鳴をあげかけた途端、彼女の腕の中でシーカがゆっくりと体を起こした。
「良かった、戻ったのね」
心底安心したようにシアの背後からモニカが呟く。
それには応えず、シーカは立ち上がって地面に散らばった死霊の方へ歩み寄った。
彼の足下からすすり泣くような声が響いてくる。
『すまない……』
「生身の体を失ったお前たちが欲しがるのは当然だ。気にしなくていい」
静かな声でシーカが応じる。その口調にはどこかなぐさめるような色が感じられた。
カラカラと音を立て、骨が元の形に組み上がっていく。しかしその死霊はそれ以上彼に近付こうとはせず、後ずさりをするようにして闇の中にもぐりこむと、かすかな嘆きの声だけを流し始めた。
周囲に集まった他の死霊たちも一定の距離を保ったまま、彼らの様子をうかがっている。
「死霊たちのいる前でこんなことをせざるを得ない状況になったことがそもそもの問題だ」
いささかとがめるような語調で言い、シーカがモニカの方へ顔を向ける。その表情はフードに隠されて見えなかったが、モニカには彼が珍しく怒っていることが判った。
「あんたの言いたいことは判るわ。でも――」
「待った! それより先にボクに説明してよね。巻き込まれたボクにはその権利があるはずだよ」
両手を腰に当て、強引に話に割って入った若草の民の少女がふんぞり返るようにして背の高い二人を見上げる。
その剣幕に気圧されるようにモニカは口をつぐみ、シーカと顔を見合わせた。そしてどちらからともなく、ため息に似た小さな息をこぼす。
それを承諾の意ととったのか、シアはシーカの方へ目を向けて尋ねた。
「まず、今何が起こったか教えてよ。キミは死人みたいに冷たかったし、脈もなかった気がしたんだけど」
「……魂が肉体から離れている状態を一般的に死と言うから、その意味では確かにさっきの私は死んでいたと言える」
生真面目に答えたシーカの言葉に少女が呆然とする。
「じゃあ……キミも死霊なわけ?」
「彼は屍師よ」
「屍師?」
口をはさんだモニカの方に向き直り、シアは首をかしげてみせた。
それにモニカは一つ頷き、「屍学という学問を最高術位まで修めた魔術師のことよ」と言う。
「死や死霊のことを研究して、死人を生き返らせる魔術――蘇生術の実現を最終目標にしているわ」
モニカの説明にシアは思い出したというように手を打って言った。
「聞いたことある! でも確かそれって、人間が生きてる限りは絶対に極められない、理論上の魔法だって言われてなかったっけ」
「ここではそれが可能なのよ。だから屍師も実在するわ。数は多くないけどね」
「どういうこと?」
再び首を傾けたシアに今度はシーカが横から答えを返した。
「この地では、死というのは魂の一時的な剥離にすぎない。翼人たちの残した遺跡――あれは一種の魔術装置だが、それを介して魂を肉体に戻せば、肉体寿命が尽きるまで蘇生は何度でも可能だ。それにより、生きている間は決して得るはずのない『死』の経験をくり返し得ることができる。そうすることで死の何たるかを理解し、魂の形を正確にその目にとらえ、肉体から離れた魂に介入し元に戻す術、つまり蘇生術を修得する――それが屍師になる唯一の方法だ」
そう言ってシーカは動かなくなった盗掘者のそばに屈み込み、近くの地面に落ちている骨片のような白く小さなかけらを拾い上げた。長い指先で土を払い、いたわるようにそっと握りしめる。
そのあたりには男の突進を受けたメイジがいたはずだが、いつの間にかその姿はどこにもない。
シーカは立ち上がり、ついで周囲をふわりふわりと音もなくただよっている青く淡い光球の一つに指先を向けると、招き寄せるように指を振った。それに従うように青白い光の玉がするりと近付き、彼らをほのかに照らし出す。
いつの間にか訪れた夜の闇の中、蛍のように木々の間を漂うその光は、照明と呼ぶにはどうにも心許こない。
黒いフードの奥に落ちる影にさえぎられて見えないシーカの顔を見上げながら、シアはためらいがちに彼に尋ねた。
「じゃあ、ここでは何度死んでも生き返れるってこと……?」
「肉体が魂の器としての限界を超えるまでは」
静かに答えてシーカがゆっくりとシアの方へ向き直る。
その動作に不自然なところはなく、だからこそ少女はある種の不気味さのようなものをそこに感じ取った。死んでは生き返り、人々の中に素知らぬ顔でまぎれ込んでいる得体の知れない者――彼女の中に湧き上がった感覚は、自分とは違う異質なものに対して抱く不信感や恐怖心に似ていた。
「キミは何で突然死んだわけ?」
警戒するような語調でシアがさらに尋ねる。
それにシーカはわずかに沈黙をはさんだあと、「一時的に肉体の限界を超える強化をしたから」と答えた。
その返答にシアがいぶかるように片眉を上げてみせる。
「ボク、自分の体を強くする魔法を使ってる人を見たことがあるけど、その人は死んだりしなかったよ」
「それは治癒術による身体強化だろう。本来肉体が持つ限界の範囲内で強化を行うのが治癒術と呼ばれる魔術の基本だ。彼が赤い魔石を取り込んで行ったのもその延長のようなものだと思うが、無茶な強化をするとあのように体が変形してしまう」
「じゃあキミがやったのは何?」
胸の内の警戒心を隠そうともせず、彼女なりの厳しい表情でさらに追及するシアに、屍師のシーカは淡々と答えを返した。
「屍術で行う、肉体の限界を超えた強化だ。普通、限界を超える強化をすると魂と肉体の同期が取れなくなって彼のように体がゆがみ、体の細胞や組織が壊れる。そして肉体がそんな状態になってしまうと、魂とのつながりも維持できなくなる――つまり死んでしまうわけだが、治癒術には魂に介入するすべがないのでそれを避けることも、魂を元に戻すこともできない。だが屍師ならば一時的に魂と肉体のつながりを強固にし、限界を超えた状態でも正常な肉体や魂とのつながりを維持できる。そのため、治癒術による強化では得られない強力な身体能力を得られるが、その反動で強化を解いた時に一時的に魂が肉体から離れる。ただ、屍師は自分の魂を自分の肉体に戻すことができるので、自己蘇生が可能だ。治癒術による強化との違いは強化の度合いがはるかに強力かつ安定していること、そして魂が離れるタイミングをある程度自分で決められる点だと言える」
よどみなく答えるシーカにシアは判ったような判らないような、複雑そうな表情を浮かべる。
それに気付いていないのか、あるいは彼女が理解できていなかったとしても気にしていないのか、シーカは独り言のように続く言葉を呟いた。
「そんな強化でもしないと、私の腕では彼の魂を肉体から強制的に切り離すのは不可能だった」
そして背後の盗掘者の方へちらと視線を向け、黙り込む。
「その人、死んじゃったの?」
彼の視線を追って倒れている男に目を向け、シアは不安そうに尋ねる。
シーカはそれに「魂が肉体から離れているから、まあ、死んでいると言える」と、どこか歯切れ悪く答えた。
「しかし、この魂の状態は……」
シーカは険しい口調で呟き、考え込むように細いあごに手を当てて口をつぐむ。
そんな彼にモニカが不意に言葉をかけた。
「そいつの身に起きたことについて、あんたの意見を聞かせて欲しいわ」
シーカが無言で顔を上げ、シアも怪訝そうな表情を浮かべてモニカの方を見やる。その両者のまなざしには不審の色がうかがえた。
「……それを問う前に、その問いの真意を話すべきだろう。彼を挑発し、あの魔石を使わせたのは何故だ」
「それはボクも思った。お姉さん、わざと怒らせてあの人に魔石を使わせたよね? でもただ戦わせただけで殺してもいいとまで言ったし、一体何がしたかったの?」
すっかり当事者顔で話に加わるシアにちらりとシーカが視線を向ける。その表情はどこか懐かしいものを見るようだったが、フードにさえぎられてそれは誰にも気付かれることはなかった。




