2 赤い魔石(3)
「昏倒させられなければ『切り離す』しかないが……」
すんでのところで男からの攻撃を防いだシーカはそう呟きながら大鎌を下ろし、近くで黙然と成り行きを見守っていた紺色の魔装をまとった死霊に視線を向けた。
「メイジ」
それに応える声はなかったが、メイジと呼ばれた骨だけの死霊はシーカの意図をくみ取り、カラカラと音を立てて異形の男の方に歩み寄ると手に持った杖を突きつけた。そこから放たれた魔力が急速に男に絡みつき、抑え込む。
しかし、男は異様なまでにふくれ上がった体を震わせながらもじりじりと歩を進め、止まる様子はない。シーカの目にはメイジの魔力と男が取り込んだ魔石の魔力がせめぎ合っているのが見えた。
いや、徐々に男の方が押してきている。
それを感じ取り、死霊の魔術師は男の体にまとわりつかせた魔力を素早く一点に集めてエネルギー球に変えると、微塵の躊躇もなく男の頭上に叩き落とした。
巻き添えになった木の枝がバキバキと無残に散る音が響く。
本来ならそれで脳震盪を起こしてもおかしくないはずだというのに、男はよろめいただけで何とか踏みとどまり、憎々しげに死霊の方を見やった。
向かい合う両者を傍からうかがいながら、シーカはフードの奥で眉をひそめる。
魔石の力によって体が変形するほど、男が相当無茶で強力な身体強化をしているのがシーカには判った。あの一撃に耐えるとなると、もはや生半可な力では捕らえることも気絶させることも難しいだろうということも。
「強制的に魂を切り離すしかないな」
シーカが小さな声でそう言うと、メイジも何かを察した様子で今度は火球を次々に生み出し、男にぶつけ始めた。小さな爆音が連続で響き、日の落ちた暗い森に何度も閃光が走る。
魔術の炎でちらくつ視界の中、シーカはその場をメイジに任せてモニカやシアがいる後方へ下がった。そして彼女たちには聞き取れない言葉で何事かを呟く。
すると大鎌から魔力が彼の中に流れ込み、体を満たし始めた。その魔力の流れは先ほど魔石を使った盗掘者の身に起きたものによく似ている。
だが魔力を感じ取れる魔術師なら判っただろう、それが肉体の持つ本来の限界をはるかに超えた活性化を維持しながらも、異様な姿となった男のように身体組織を壊したりゆがめたりすることなく、安定した状態で巡っていると。そして治癒学を学んだことのある者なら、それが身体能力の強化を得意とする治癒術の範囲を逸脱していることにも気付いたに違いない。
もっとも、この場に居合わせた二人には魔術の心得がなかったため、彼女たちにはシーカが何事か呟いたあと、何の前触れもなくその場から姿を消したように見えた。目のいい若草の民のシアですら、一陣の風のように駆け出し、一度の跳躍で男の背後に回ったシーカをとらえきれなかったほどだ。
今や身長も一回り大きくなったように見える男の首にシーカの大鎌が迫る。
しかしその刃が届く寸前に男が振り返り、腕を上げた。鈍い手ごたえと共に切っ先が止まる。首筋を狙った刃は、倍ほどにふくれ上がった男の太い腕に止められていた。
――瞬間的にさらに強化したか。いい反射神経だな。
心の中で呟き、シーカは男の腕に足をかけると、大鎌を引き抜いてその場から飛びのいた。
血にしてはやけに黒い液体が飛び散り、男が怒りに満ちた苦悶の声をあげる。
その横っ面にメイジの放った火球が立て続けに当たり、異形の男はたたらを踏んだ。
赤い光を放つ目がぐるりと回り、紺色の魔装を着た死霊を睨め付ける。
しかしそれを見返す彼の眼窩に光はなく、その感情は読めない。
骨だけになってなお意思も持たず、地上を彷徨いながらただ命じられるままにくり出すだけのうつろな死霊の攻撃にわずらわされ、盗掘者はいらだちを覚えた。
こんな連中なんかに、と苦々しく思う。もはや魂以外何も残されていない『からっぽ』の死者や、それを利用してあやつる墓守、さらにそれを傀儡とする自治局のような連中にいいようにさせてたまるか、と。
『能なしの死霊なんぞ片腕でひねりつぶしてやる!』
もはや言葉として聞き取ることのできないくぐもった怒号をあげて男がメイジに突進し、木の幹のような腕を叩きつけた。
どしんと重い音が響き、地面が揺れるのと同時に再び木の葉が舞い上がる。その中に黒い人影が飛び込み、男の背後を取るのがシアの目には見えた。
シーカが一息で大鎌を振り下ろす。
白銀の刃はあやまたず男の首元を切り裂いたが、その首が地面に落ちることはなく、代わりにまるで糸の切れたあやつり人形のように突然男の体がその場に崩れ落ちた。
そのそばにシーカが静かに着地し、身を起こす。目深にかぶったフード越しに男を見下ろすが、ゆがみ、ふくれた巨体はぴくりとも動かない。
シーカはそれにほっとしたように息をつき、離れて様子を見守っていたモニカたちの方へ顔を向けると、「十秒ほどで戻る」と独り言のように呟いた。その次の瞬間、黒いローブをまとった彼の体が傾き、前のめりに地面に倒れ込む。
それを見てシアが驚きの声をあげ、あわてて駆け寄った。
「ちょっと、しっかりしてよ!」
うつ伏せに倒れたシーカの肩をつかんでゆするが、反応がない。すぐそばに倒れている盗掘者と同じく微動だにしないのを見てとり、少女の顔から血の気が引いた。
シアは黒い手袋に覆われたシーカの手を取り、その冷たさに「うそでしょ」と言いながら脈を確認しようとローブの袖をまくる。
その時、周囲からざわざわと人ならざる気配と乾いた骨の音がさざ波のように押し寄せるのを感じ、とっさに彼女は顔を上げた。その大きな目に数体の死霊の姿が映る。
彼らは一様にシアを――いや、彼女が抱えるシーカを見ていた。
『離れた……』
『器……』
聞き取りづらいうめき声のような言葉の波の下から、下半身のない骨だけの死霊が一人、はいずりながらシーカとシアの方へ寄って来る。
『肉体……』
「これはキミのじゃないよ!」
そう叫んでシアが守ろうとするかのようにシーカの冷たい体を抱きしめる。
その瞬間、シーカが小さな声を発してかすかに身じろぎし、シアの手の中からすり抜けるようにして長い腕を持ち上げた。




