2 赤い魔石(2)
「あれ?」
首をかしげるシアを一瞥し、「また子供――いや、若草の民……」とローブの男が呟く。
「え?」
驚いて少女が振り返ると、黒いローブをまとった男はすでに彼女から視線をはずし、眼下の男に大鎌の刃を向けていた。
「あれは採集が禁止されているものだ。返せ」
その言葉に男はふてぶてしく鼻を鳴らし、「そんな風に独占して、墓守や自治局は何をたくらんでいる?」と返した。
「地上墓地は鳥どもにも見捨てられた荒れ地だ、そこで何を採ろうが自由なはず。採取を禁止してまで独占しようとするのは怪しすぎるだろ」
「採取を禁止しているのは、うかつに外部に持ち出していいものかどうか判らないからよ」
そう答えたのは、やや息を切らせた若い女の声だった。
声のした方へシアが目を向けると、地図屋のところで会ったモニカが膝に手をついて息を整えるようにしながら立っている。その傍らには紺色の魔術師用の服とおぼしきものをまとった骸骨が控えていた。白い骨があらわになったその手には錫杖を持っているので、先ほど男を追っていた槍の死霊とは違うようだ。
突然走って来たと思ったらいなくなった黒い獣、その代わりに現れたローブの男、消えた死霊に、あとからやって来た別の死霊と地図屋の女――シアにはこの状況がまったく判らなかった。
「盗掘者を捕まえてくれたのは助かったし、護衛をつけてくれたのもありがたいけど」
そう言いながらちらりと横の死霊を見やり、ついでローブ姿の男に向けてモニカが不満をこぼした。
「死霊と二人きりにされる一般人の気持ちも考えて欲しかったわね、シーカ」
シーカと呼ばれた長身の男はそれに沈黙で応える。
その名前を聞いて、シアはこのローブの男がフランクの言っていた墓守に違いないと察した。地図屋のモニカが『盗掘者』呼ばわりした男が言う『墓守』も彼のことだろう。
彼らの会話の内容とこの状況からして、赤い魔石の盗掘現場を目撃した墓守が男を追い、足の遅いモニカが護衛の死霊を連れてあとから追いついた、というところだろうか。
――さっき一瞬見えた黒い獣は何だったのかとか、槍を投げてきた死霊がどこに行ったのかは判らないけど……。
心の中でそんなことを思いながら首をひねるシアに視線を投げ、モニカも首をかしげながらいぶかしむように声をかけた。
「あなたはさっき下で会った子ね。何故ここに? まさかこの男の仲間じゃないでしょうね」
大鎌を突き付けられている男を指差し、モニカは険しい表情を浮かべる。それにシアはぶんぶんと音がしそうなほどの勢いで首を振ってみせた。
「ボクは魔樹ってのがどんなのか見に来ただけだよ」
「フランクの脅しは無駄だったわけね。それとも彼がたぶらかしたのかしら」
あきれたというような面持ちと口ぶりで言い、モニカはため息をつく。
しかしすぐに「まあいいわ」と呟き、赤い魔石を盗掘したという男の方に向き直った。
「とにかく、あんたの欲しがるものがかわいい花の一輪なら誰もとがめやしないけど、その魔石はだめ。未知の魔石なんて何が起こるか判らないんだから、軽率に流出させるわけにはいかないの」
「赤い魔石は買い取ってくれるところもないって聞いたよ? そもそも安全かどうかも判らないって話だし、そんなものを採ってどうするのさ」
シアもそう言って未だ地面に横たわったままの男に疑問の目を向ける。
偶然巻き込まれただけなのだから面倒ごとにはあまり関わりたくないと思いながらも、純粋な好奇心もあってシアは口をはさまずにはいられなかった。
それをとがめるようにモニカが彼女の方を見やる。
しかしシアはそれに気付かないふりをした。
「赤い魔石は見付けた場所を知らせるだけで報酬が出るっていうし、連絡したあとは調査してる人たちに任せておけばいいんじゃないの?」
「ガキは黙ってな」
シアの問いに男がぶっきらぼうに応じる。
それにむっとしたシアだったが、先に反論したのはモニカだった。
「あら、子供には教えない方がいいと思うくらいの良識はあるのね」
あざけるような物言いに男が怒りに満ちた表情を浮かべ、小さく唸る。それを尊大に見返しながらモニカはさらに言葉を続けた。
「私が代弁してあげましょうか。世の中には『そういうものだからこそ欲しい』と言う困った人たちがいるって。未知のものだから自分で研究したい、稀少だから手元に置いて自慢したい、魔石なら力があるはずだから私利私欲のために使いたい……あんたの依頼人は何が目的かしらね? それとも赤い魔石を欲したのはあんた自身かしら」
「おい」
寡黙な墓守が何か警告するように短く口をはさんだが、モニカはそれを無視して続く言葉を吐き出した。
「一部の噂じゃ、魔力に替わるまったく別の新しい力だとも言われているわね。この怨嗟の沼地の穢れ、憎悪、呪いといったものを吸い上げてできた結晶――手に入れれば恐ろしいほど強大な力が手に入るって」
「よせ、挑発するな」
先ほどより鋭い口調でシーカが制止の声をあげる。
しかしモニカはそれにも耳を貸さず、最後の言葉を吐き捨てるように男に放った。
「そんなものを使わないと、あんたみたいな人間は何もできないんでしょうね」
「そこまで言うなら見せてやるよ」
男は首元に大鎌を突き付けられた姿勢のまま上着のポケットから暗い血の色をした結晶を取り出し、自分の体の中に押し込むように勢いよく胸に当てた。
その瞬間、ぶわりと目に見えない何かがその男から吹き出し、ふくれあがる。それは魔術師ならば見えなくても感じ取ることができるもの――魔力の奔流だった。それがまたたく間に男の中に逆流し、体を満たしていく。
その一番近くにいたシーカは魔力と共にほとばしる鋭い殺意を感じ取り、とっさに鎌を振って男の首をはねようとした。
だがその刃は首を断ち切るどころか骨にすら届かず、肉の壁にはばまれる。
男の首――いや、首だったはずのものは一瞬でどす黒くにごった血の色に染まり、丸太のようにふくれ上がってシーカの大鎌をくわえこんでいた。その表面はぶくぶくと細かな泡を立てている。そしてその泡がはじけるごとに中から黒い瘴気が噴き上がり、男の体にまとわりついて闇の炎のようにちらちらと揺らめき始めた。
首と同じように何倍にも、そして歪に腫れ上がった腕をゆっくりと伸ばし、男が大鎌の柄をつかむ。
それをシーカが振り払ってその場から飛び退るのと、男の腕が横薙ぎに払われるのはほぼ同時だった。シーカの体が吹き飛び、茂みの中に突っ込む。それを見てシアが悲鳴をあげた。
「キミ、大丈夫?」
「人間の力とは思えないわね。あなたは私と一緒に下がってた方がいいわ」
異様な姿に変わりつつある男から距離を取るように後ずさりしながらモニカが少女に言い、ついでシーカの方へ顔を向けた。
「ここはあんたの腕にかかってるんですからね。頼むわよ」
「私は今やただの薬師だぞ」
シアに助け起こされながら、やや不満そうな口調でシーカが応じる。
その間に異形の盗掘者もゆらりと立ち上がり、モニカの方へ向き直った。その体はかろうじて人間の形状はとどめているものの、魔石の魔力を取り込んでいるせいか全体的に膨張し、暗く穢れた赤に染まっている。白かったはずの眼球も黒くにごり、赤く見える瞳孔は不気味な光を放っていた。その目がモニカを睨むようにとらえる。
それに気付いた彼女はおぞましいものでも見るように眉をひそめた。
「屍師でもあるでしょ。最悪、殺してもいいからあいつを止めて」
「簡単に言ってくれる」
そう返したシーカは大鎌の柄を勢いよく地面に突き立てた。その次の瞬間に男の振り下ろした腕から衝撃波のようなものが放たれ、爆風を起こしてシーカの目の前ではじける。枯れ葉と砂ぼこりが舞い上がり、再びシアが悲鳴をあげた。




