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2 赤い魔石(1)

     2


「地下のトンネルも気になるけど、やっぱりまずは魔樹ってのを一回くらいは見ておきたいよね」

 そんな独り言を呟きながら若草の民のシアは地上への階段をそっと上がる。地図屋のフランクは彼女のあとにやって来た客と話し始めたため、シアが地上に上がったことには気付いていないはずだ。

 彼が同僚のモニカを不安そうに見送ったのは、死霊に襲われやしないかと案じたためだろうし、その彼から地上の危険性については充分聞かされたものの、シアは朝日が昇るまで地上に出るのを待つ気にはなれなかった。大人になっても子供と同じような背丈と見た目の若草の民は、外見だけでなく好奇心も本当の子供のように旺盛で、それを抑えることは本人にも難しい。

 フランクが言っていた門の跡だとおぼしき石造りのアーチを抜け、黄昏に沈みゆく森の中へと彼女は進んで行った。

 乾いてひび割れた地面にはぽつりぽつりと墓石の名残りのような、人工の石片が突き出しているのが見える。

 しかし、手入れされることもなく無秩序にはびこった自然の木々が落とす影は陰鬱で暗く、伸び放題の茂みには闇がよどみ、枯れ葉と雑草ばかりが目につく荒れ地のような地上は一見して墓地とは思えない様相だった。

――何だか寂しいところだな。

 シアはそんな風に思いながら周囲の木々に目を向けた。歩いている人影ならぬ木の影を探すが、目に付くどの樹木も険しい顔で押し黙り、黙祷をささげる人々のように身じろぎ一つしない。

 魔樹が動き回っているのは日のあるうちだと地図屋のフランクは言っていたが、まさかもう眠りについてしまったのだろうかと少女はいぶかった。

 空を見上げてもまだ月は見えない。だがずいぶんと日は暮れてきていた。

 とはいえ若草の民は夜目もある程度利くので、この程度の暗さならまだまだ問題はないはずだ。

 儲けになるという魔樹を一目見ようと、シアはぶらぶらと森の散策を続ける。

「ボクをここに連れて来てくれた翼の生えた人の話が本当なら、ここは死んだ人が来る世界みたいだけど、死んでからもお金儲けのことを考えるなんて、よく考えたら変な話かも」

 独り言を呟き、少女は一人で小さく笑った。

 そしてぼんやりとこの地に来る直前のことを思い出そうとする。しかしその記憶は何故か曖昧で忘れかけた夢のように遠く、あやふやに感じられた。

 仲間と共に鉱山に入り、採掘をしていたことは思い出せるが、その後のことはどうにも不確かだ。記憶の糸をたどろうとすると胸が苦しくなり、目の前が暗くなる。まるで岩に押しつぶされるような感覚だ。

 それが命を失った時に感じたものなのか、はたまた嫌なことを思い出すまいとする拒否反応なのかすら彼女にはよく判らなかった。

「まあ、何にしろこうしてまた生きてられるんだから、どうせなら楽しくやらないとね」

 自分に言い聞かせるようにそう言って少女はあたりを見回し、森の奥に目をこらす。

 少しの間そうして周囲に目を向けていると、やがて視界の先にのそのそと重い足取りで動く大きな木の影をとらえた。

「あれが魔樹かな? かなり大きそう……もうちょっと近くで見たいな」

 好奇心に目を輝かせながらシアは忍び足で揺れる木に近付いていく。

 しかし、慎重に距離を詰めている間に木はその歩みを止め、他の木々にまぎれて判らなくなってしまった。

「動いてたのって、確かあれだよね? もしかして寝ちゃった?」

 不意に時間が止まったかのようにすべての動きを止めてたたずむ木々の間で、シアもまた困惑したように立ちすくんだ。動くものを探すように不安そうな面持ちで首を左右に向ける。

 その時、周囲の空気が変わっていることに気が付いた。ただ静かで暗鬱だったものが、重くにごった泥に変わった気がする。その足下から感じられる、獣のような生物とは異質な気配。もぞもぞと何かが地面の下でうごめくような感覚。日はいつの間にかすっかり暮れていた。

 薄闇の中には何の明かりだか判らないほのかな青い光がふわふわと浮かび、その寂寞たる色は地上墓地をいっそうわびしく、悲しげに見せている。

「やば……夜には死霊が出るんだっけ。石塔があるっていうところからは離れてるから大丈夫かと思ったんだけど……」

 カラコロと骨の鳴る乾いた音が響き始め、少女はあわてて走り出した。きびすを返し、やって来た方――墓地街を目指す。

 そんな彼女の前に突然、横手から茂みをかき分けて男が飛び出してきた。

「どけ、ガキ!」

 荒々しく怒鳴り、男は小さな若草の民の少女を突き飛ばして走り去っていく。

「何よ! いきなり出てきたのはそっちの方……」

 ひび割れた固い地面に尻もちをついたシアは憤慨しながら怒鳴り返したが、男がやって来た方から殺意のようなものが急速に迫るのを感じ取り、途中で言葉を切って振り返る。そこにはボロボロの長槍を振りかぶって追って来る死霊の姿があった。

「何てものを連れて来てるのよ!」

 そう叫んで飛び起きると、少女は男を追うように駆け出した。そんなシアの頭上を槍が追い越し、男のかかとに刺さる前に地面をえぐる。それを見て少女は鋭く短い悲鳴をあげた。

「ちょっと、これで死んだら一生恨むからね!」

「ついてくんな!」

 死霊と少女、どちらに向けて言ったのか判らない叫びをあげて男が後ろを振り返る。その目に映ったのは追手の死霊とシア、そして数秒前まではなかったはずの狼のような黒い獣の姿。突如としてどこからともなく現れたそれはまたたく間に少女の横を駆け抜け、男に飛びかかった。

「うわ!」

 悲鳴をあげて男が地面に転がり、シアは「今度は何?」とすっかり動転した様子で叫びながら足を止める。

 黒い犬のような何かが自分を追い越し、前を走っていた男に襲いかかったように見えたが、気が付くと彼女の視界の先に獣の姿はなく、代わりに黒いローブ姿の人影が転んだ男のそばで膝をついていた。

「赤い魔石を返してもらおうか」

 ひやりとした夜気のように静かな男の声で、ローブ姿の者が音もなく立ち上がりながら言った。フードを目深にかぶり、手には魔器とおぼしき杖を持っている。その背はすらりと高い。

 ローブの男が杖を一振りすると上部から研ぎ澄まされた刃が飛び出し、一瞬で鎌状に組み上がった。それを掲げ持つ男のさまはまるで死神のようだ。

「ちょっと、レディーの前で刃傷沙汰なんてやめてよね! 後ろから死霊だって追いかけて来てるのに」

 そう言いながらシアは背後に目を向けたが、そこにはもう骨だけの死霊の姿はなかった。

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