4 蘇生(4)
攻撃の合図はシアの一声だ。
とっさに防御されないよう、正面で戦っている者たちからの激しい攻撃に意識が完全に向いている隙を狙う。
「今!」
シアの目と合図だけを頼りに、指示された地点めがけて魔術が撃ち込まれる。三者から同時に放たれたそれは脈打つ肉塊を貫き、破裂して心臓とおぼしきものを粉々に撃ち砕いた。
その次の瞬間、巨大なプディングのような肉塊がさらにどろりと溶けるように崩れる。
それでもなお、人の姿を失った元盗掘者の体からはうなるようなすさまじい怨嗟の声があがり、最期のあがきとばかりに泥のような肉が隆起した。それが巨大な津波のように押し寄せる。その先には号令をかけたシアのいる木があった。
「うそ……!」
まるで彼女が号令をかけたことは判っているのだというように、小さな少女を飲み込もうと肉の波が迫る。
しかし、その赤く黒いうねりがシアの体をさらおうとする直前、それは透明の壁に阻まれたかのように不意に動きを止めた。彼女が魔術師であったなら、その目にレイスの作った障壁が視えたことだろう。
とっさに張られた護りの壁を破ろうと赤黒い肉塊が激しく痙攣する中、それを追い越して漆黒の獣が木を駆け登る。
『来い!』
短く吠える狼の声のように聞こえたが、シアには何故かその意味が伝わった。
黒い獣が眼前を走り抜ける瞬間、彼女はその首にしがみつく。ぐい、と体が持って行かれ、宙に浮くのを感じてシアは目をぎゅっと閉じた。そのあとを追うように立て続けに木の枝や幹が折れるような激しい音と、ばしゃばしゃと肉の塊が地面に叩きつけられる音が響く。
その胸が悪くなる音の中で一度自分の体がはねて止まったのを感じ、シアはそろりと目を開けた。腕の中に獣の姿はなく、黒いフードとローブが視界に映る。
「やっぱり、最初に見たあの黒い犬ってキミ……」
そう言いかけたシアの前でシーカの体がぐらりと傾き、地面に倒れ込んだ。
「ま、また死んだー!」
シアが叫び、シーカの肩をつかんで激しくゆする。
そんな彼女のそばにモニカが駆け寄り、「大丈夫!?」と息を切らせながら尋ねた。
「おかげでボクは何とか無事だけど……」
泣きそうな顔を上げ、シアが息をしていないシーカの体を抱え上げる。
その間にレンジャーや傭兵たちはすぐさま肉塊に火矢や炎の魔術を撃ち込み、後始末にかかり始めた。
激しい閃光と爆音がとどろく中、シアはそれに負けじと声をあげながらシーカの体をゆすり続ける。
「これで生き返らなかったら一生恨むんだから!」
「……やめろ、頭がぐらぐらする」
やがてぼそりとそう呟いてシーカは体を起こし、杖をついて立ち上がった。落ちかかったフードを目深にかぶり直し、疲れたように大きな息をつく。
それを見てシアも「良かった……」と心底安堵した様子で呟き、地面にへたり込んだ。
そんな彼女の横でシーカは杖の魔力薬倉を開き、空になった魔力薬を地面に落としてため息混じりに言った。
「全部使い切った。代金は請求するからな」
「報奨金だって出すわよ。貴重な情報を得るために多大な貢献をしてくれたんだから」
そう答えてモニカが苦笑を浮かべる。
しかしシーカはにこりともせず、淡々と「犠牲も大きかったがな」と言った。
「あれに飲み込まれた者が戻ることは二度とない」
その言葉に皮肉めいた色はなく、ただ事実が述べられただけにすぎなかったが、そこには言い訳も言い逃れも許さない何かが感じられる。
モニカはそれから目をそらすことはしなかった。
「判ってるわ。それでも後悔はしてないわよ。そういうのをすべて覚悟の上で頼んだんだから、無駄にはしないわ。絶対にね」
そう言ってフードに隠れて見えないシーカの顔を真っ直ぐに見返す。
「……ならいい」
シーカは静かな声音でそう応えると、くるりと背を向けておもむろに歩き出した。
「ちょっと、どこ行くの?」
「私がここですべきことはすべてやった。あとはこの魂を鳥たちの下に還すだけだ」
何もない宙を少し見上げて言う彼にだけは『それ』が視えていた。
赤い魔石とそれを取り込んだ――いや、逆に取り込まれた男、そして同じくその中に飲み込まれた死霊、傭兵、レンジャーたちの混ざり合った魂は人の姿をすっかり失い、絶えず形を変えながら霞のようにはかなく漂っている。ともすればそのまま霧散してしまいそうなそれにシーカは時折手を伸ばし、自分のそばに招き寄せて彼らをつなぎとめた。
本来なら肉体から離れた正常な魂は自らの意思で翼人たちが作った遺跡に戻り、そこで肉体の再生と蘇生を試みる。
しかし、もはやここにある魂は不自然に溶け合ったために統率がとれず、自己認識もできない状態で、存在を保つことさえ困難になっていた。そのようなありさまでは到底自力で遺跡に向かうことはできないし、たどり着いたところで自己を失った状態では個別に肉体を再生することなどできるわけもない。
肉体を失い、遺跡への帰還も難しくなった魂を翼人たちが見付けて回収する場合もあるが、そんな幸運に恵まれるのはまれだ。そうなると、唯一魂に介入できる屍師が不安定な魂を可能な限り維持しつつ、翼人の下まで誘導する以外に道はなかった。
現状からして、シーカの目には時間もあまり残されていないように見える。
モニカには彼にかけられる他の言葉が見付からず、ただ「判ったわ」とだけ言って頷いた。
そんな二人の背後でシアがぱっと立ち上がる。
「待って!」
シアの声に気だるそうにシーカが足を止めた。
「助けてくれてありがと」
「……お前が礼を言うなら、私は謝るべきだろう。すまなかった」
それだけ言って再び歩き出したシーカの黒いローブ姿はすぐに森の奥の闇に飲まれ、シアの優れた視力でもとらえられなくなってしまった。
「ああなったのは別にキミのせいじゃないじゃん」
もはや聞こえないと判っていながらもシアがぼんやりと呟く。それにモニカが「そうね」と小さく答えた。
「でもあなたの目がなかったらもっと被害が出ていたのは確かよ。あの状況を作った元凶の私から改めてお礼とお詫びを言うわ。ありがとう。そしてごめんなさい。あなたがあれに取り込まれなくて本当に良かった。あなたが取り込まれて戻れなくなっていたら……さすがに私もこの地を去っていたと思うわ」
そう言って少し泣きそうな顔でモニカは微笑んだ。
いつの間にかシーカの連れていた幽霊――レイスもその姿を消し、集まっていた地上墓地の死霊たちもいなくなっている。残ったのは肉の焦げる嫌なにおいと黒々とした煙、そしてそれらを照らす赤い炎と夜の闇だけだった。