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4 蘇生(2)

 そんな一同の目の前で男の体がぶるぶると震えながら急速にふくれ上がる。わらを散らすように髪が抜け、眼球と歯がぽろぽろとこぼれ落ちては肉の中に飛び込んだ。あらわになった骨もバラバラに崩れ、それらをすべて飲み込んで咀嚼するようにもぞもぞと身じろぎする男の体は、もはや人の姿の名残りもなくした巨大な肉塊へと姿を変えていく。その色はかがり火の炎の色を差し引いてもどす黒いほどに赤く、嫌悪感をかき立てるまがまがしさをたたえていた。

 それを見た死霊たちの目に恨みの色が宿る。

『敵……!』

 一様にそう呟いてざわめく死霊たちの異変に気付き、シーカは彼らに駆け寄って制止するように両腕を広げた。

「落ち着け、お前たちの敵はもういない。お前たちの戦いは終わったし、戦う必要はないんだ」

 しかしその言葉が届いていないのか、死霊たちはなおも暗い声なき声でさざめいた。

『近い……憎しみ……恨み……呪い……』

 シーカの眼前で死霊の一体の目が何かに取りつかれたように赤く光り、彼の背後にいる溶けた肉の塊のような怪物を睨み据える。

 その目をふさぐようにシーカは腕を伸ばし、「落ち着け」ともう一度言った。ひやりとした静かな声がかすかに空気を震わせ、死霊の眼窩に再び虚無が戻る。

『墓守……』

 ぽつりとそう呟く声を聞いてシーカは腕を下ろし、小さく息をついた。

『あれは……』

「相当まずいものであるのは確かだろうな」

 正気を取り戻したらしい死霊に苦々しい口調でシーカが言葉を返す。

 そんな彼のそばで別の死霊が『返せ……』とうめくように言った。そしてわき目もふらずシーカの横を駆け抜け、不気味に脈打つ肉塊へと向かっていく。

「よせ!」

 制止しようとしたシーカの声も、伸ばした腕も届かず、我を失った様子の死霊は体当たりをするように錆びた剣を肉塊に深々と突き刺した。

 しかし相手はもはやそんなものなどおそるるに足らぬといった様子で平然と体を伸ばし、骨だけの死霊の体を軽々と絡めとる。

 交戦を始めたレンジャーや傭兵たちがそれを救おうとしたが、彼らの攻撃が届くより先に死霊は穢れの色に染まった肉の波に飲み込まれた。一同の眼前で白い骨がまたたく間にかき消える。

 その時、シーカは死霊のかろうじて残った魂が肉塊となった男のものと溶けて混ざるのを視た。雪が溶けるように跡形もなく命が消え去る瞬間。それはあまりにもあっけなく、無慈悲なまでに一瞬だった。

 それを見た他の死霊たちの目にも同じような赤い光が宿り、惹かれるように次々と異形の敵に向かおうとする。

 あそこに溶け込んでいるのは彼らの血と肉と死と嘆き、苦痛、そしてすべての負を吸って生成された魔石だ。彼らに最も近しく、もっとも憎いもの。

 さらに死霊の数体がうごめく肉塊の方へ駆け出し、ろくに何もできないままに飲み込まれた。傭兵やレンジャーも数人が触手のように伸びた腕につかまれて引き込まれ、その魂が消え去るところがシーカの目に映る。

 彼らを取り込み、大きなうねりのように波打つ肉の塊は徐々に肥大化しているように感じられた。その表面は以前にもまして激しく泡立っている。割れた気泡からは黒い瘴気と共にどろりと溶けた肉のような液体があふれ出し、あたりに穢れた色の雫をまき散らした。それが触れた地面からは煙が上がり、すえた匂いが広がる。肉塊の大きさはすでに人間の何倍にも達していた。

 それが周囲の木々を見境なく壊しながら一同に迫る。

 シーカは大きな過ちを犯したことを自覚した。たとえレンジャーや墓地街の自治局、そしてモニカ個人を敵に回したとしても、蘇生を承諾するべきではなかったのだ。

 今や巨大な肉だけの化け物となった者に宿る魂は、その体同様に不安定に崩れ、ゆがみ、ねじれてもだえながらもなお、貪婪にすべてを飲み込もうとするかのように広がっていく。

 シーカは音がしそうなほど強く歯をかみしめた。

「メイジ、戻れ!」

 彼がそう叫ぶと、傭兵たちの間にいた紺色の魔装をまとった死霊はその場に崩れ、小さな白い骨片のようなかけらになった。それをすかさず拾い上げ、シーカは他の死霊たちの方へ向き直る。

 メイジは彼が召喚契約を結んでいる死霊だ。元はこの地上墓地にいた死霊の一人であるため、下手をすると先ほどの死霊たちのように理性を失って取り込まれかねない。それを防ぐためには、召喚を解除するしかシーカには彼を守る方法がなかった。

 もっとも、それよりも問題なのは召喚契約をしているわけではない他の死霊たちだ。シーカが建てた石塔のおかげで多少理性のようなものを取り戻した者もいるが、それでもあの肉塊に宿る穢れのような刺激に感化されれば、取り込まれた死霊たち同様にたやすく恨みと憎しみの衝動に飲まれてしまうだろう。

「こんなことのためにあの石塔にお前たちの名前を刻んだわけではないが、仕方がない」

 シーカはそう呟き、杖を両手に持つとそれを地面に強く打ち付け、もっとも魔術が強く働く言葉である古代妖精語で『止まれ!』と叫んだ。

 その一喝の下、不意に死霊たちが凍り付いたように動きを止める。

「どうしちゃったの、この人たち。ていうか、キミも大丈夫?」

 肉塊に取り込まれそうになったシーカを心配したのか、駆け寄ってきたシアが不安そうに言って下からシーカを見上げた。

 その彼の口から短く息がこぼれる。それと同時に雨粒のような雫が一つ、シアのふっくらした頬に当たって滑り落ちた。

 え、と心の中でシアは呟く。先ほどの小さな息は嗚咽に聞こえなくもなかったが、まさか、と少女は思った。

「……強制的に動きを制限した。しばらくはおとなしくしていてくれるだろう。その間に何とかするしかない」

「何とかって……また魂を切り離すの?」

 顔を上げ、疲れたような声音で言うシーカにためらいがちにシアが尋ねる。

 そんな彼女に目を向けることなく、独り言のようにシーカは答えた。

「それは不可能に近いだろうな。肉体から魂を完全に切り離すには一撃でやらないといけない。どこかがつながっている状態では、そこを次に切ろうとした時には先に切った部分がつながる。それくらい魂と肉体のつながりは本来強固なものだ。あの大きさ、しかもあれだけ不定形に広がった状態の魂を一回で切り離せるほどの腕は私にはない」

「キミにできないなら誰にもできないよ! そしたらどうするの? 体の中にある魔石を壊すとか?」

 驚いて声をあげるシアとは対照的に淡々とした声音でシーカは答えた。

「あの様子からして、魔石はとうに同化して形は残っていないだろう。ならば、この地における『完全なる肉体の死』にもっていくほかない」

「それって……」

「心臓をつぶして、体をすべて灰にすることね」

 シーカの代わりに、あとから駆け寄ってきたモニカが答える。

「私と一緒に離れてなさいって言ったのに、勝手に動き回るんだから」

 そうぼやく彼女のそばにはレイスの姿もあった。

 しかしシアはモニカの不満など耳に入っていないらしく、『心臓をつぶす』、『体を灰にする』という言葉に反応し、怯えたように息を飲む。

 この地でも彼女の故郷でも、もっとも一般的な葬法は土葬だ。心臓をつぶすということももちろんだが、肉体がまだある状態で火をつけることに残酷さに似た恐ろしさを感じるのも仕方のないことだった。

「地図屋とここにいろ。レイスが守る」

 シーカはそう言って傭兵やレンジャーたちのいる方へ駆けて行った。

 それを半ば呆然と見送り、シアが呟くように言う。

「あんな形になっちゃってるのに、心臓がどこにあるか判るのかな……」

「やってくれることを祈るしかないわね」

 かがり火のぼんやりとした明かりの中で、無数にはびこる枝のように伸ばしたいくつもの腕を振り、暴れまわる肉塊を見つめながら力なくモニカは答えた。

 こんなものを本当に止められるのだろうか、と彼女は心の中で自問する。自分にはそれに立ち向かう力もないのに、本当にこの事態を招いて良かったのだろうか、と。後悔するつもりなどなかったはずなのに、改めて感じる自分の無力さに心が揺れるのを自覚した。

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